ケンのブログ

日々の雑感や日記

伝統に根ざす強み

2021年07月11日 | 日記
長良川の堤防沿いを自動車で走る。

僕が走っているのは川の中流から下流域なので、岐阜県の中では、まだ、宅地や商業地が多いところなのだけれど、それでも見渡すと川と緑と山、そんな感じだ。

川は雨が降った日の濁流とは打って変わって静かな流れになっている。

周りの緑が水面に映るせいか、川の色も緑に見える。

ずっと、大阪の風景になれていると、自分はこんなに緑の豊かな場所で育ったのかと改めて思いちょっと胸にジーンとくる。

金華山の頂上に岐阜城、その下に長良川。いつ見てもいいなあと思う。

ただ、岐阜駅の近くを歩いていると、大半のお店のシャッターが降りていて、これが県庁所在地の日曜日の風景かと目を疑いたくなる。

ちょっと駅から離れると(離れると言ってもほんの10分くらい歩いた程度離れるだけで)もう、街はなんだか、京都の河原町などを見慣れた目には、ゴーストタウンのように見えてくる。

高度成長期にはあの美川憲一さんの歌う「柳ヶ瀬ブルース」っていうご当地ソングけっこうヒットしたのに、、、。

※柳ケ瀬は岐阜市の代表的繁華街のことです

もう、本当に寂しい限り。

一体、どうなっているんだと思ってしまう。

それでいて、駐車場の料金は大阪の中核都市とそんなに変わらない。

こんなにお店が閉まっているのに、大阪の中核都市並みの駐車料金を払って街をウロウロしているのがアホらしく思えてきたりする。

だから、結局、岐阜のような田舎の県では、駐車場完備の郊外型の大商業施設にみんなが行って、県庁所在地の駅に近い場所は空洞化してしまうのだろうか。

いずれにしても、都会は都会で、人口が過密で経済競争も激しい。

田舎は田舎で都市の空洞化で、さびれてしまって、それはそれでしんどい。

本当に、日本の現状を見せつけられる思いがする。

ただ、駅の商業ビルのラーメン屋さんに入っていくおじさんを見ていると、お店までゆっくり歩いてきて、どうや という感じでメニューをおもむろに見て、お店の中に入っていく。

いわゆる、都会のような せかされてる感はないなと思う。

そのぶん、とろい といえばとろいかもしれないけれど、のどかといえば、のどかともいえる。

まあ、月なみな言い方だけれど、都会と田舎 一長一短ということなのだろうと思う。

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実家に帰ってくるとテレビが有る。

普段、テレビを見ないので、やはり、テレビも印象的だなと思う。

今は、大相撲名古屋場所を見ている。

館内が、声援などを自粛するようになっているのだと思う。

力士を応援する声は聞こえてこない。

ただ、それに応じて場内アナウンスの声も抑え気味になっている。

相撲の場内アナウンスを担当するのは行司の方で、そこには独特の形式がある。

まず、声が野太い。相撲の文字が太いのと同様に、場内アナウンスの声も独特の野太さがある。

僕は、北の湖 輪島の時代に一番相撲を見ていたので、その頃に暗記したものを再現するとこんな感じだ。

「東方 横綱北の湖 北海道有珠郡壮瞥町出身三保ヶ関部屋 西方 横綱輪島 石川県七尾市出身花籠部屋 行司は木村庄之助 今場所最後の取り組みであります。

この取組には、お茶漬け海苔の永谷園、鮭茶漬けの永谷園、梅干し茶漬けの永谷園 味一筋永谷園、いい味作ろう永谷園より懸賞があります」とまあ、こんな感じの文句を行司の方が野太い声で場内アナウンスで読み上げる。

※永谷園の懸賞が5本かかった場合の例です。

場内放送が永谷園を何回も連呼すると “”永谷園!“” と声援を送る人も時々いたりする。(大阪府立体育館の場合)

ちなみにNHKの場内音声は「懸賞は永谷園」の部分になるとボリュームを絞るのでテレビではあまり聞こえない。(永谷園でNHKがボリュームを絞る理由は書かなくてもわかってもらえると思います。永谷園に限らずどのスポンサーの場合でもNHKは音量を絞る。相撲放送の場内アナウンスの係の人は大変と思う)

さて、その場内放送、普段の場所だったら、音楽で言うとフォルテの音量、音圧で発声する。

しかし、今は、みんなに自粛を要請しているためだろうけれどメゾピアノくらいの音量、音圧で発声しているのが、実家の大きいテレビで聞いているとよくわかる。

しかし、声が小さくなっても、厳かさが失われることはない。

むしろ、声を抑えている分、逆に厳かさが増しているようにも思える。

それは、単なるアナウンスと違って、この場内アナウンスが伝統的な発声法にしたがって、なされているからだと思う。

伝統に根ざした発声というのは、声を絞っても失われない厳かさがある。

ある意味、伝統とはそういうものだと思う。

アマチュアのオーケストラを聴いていると、音が小さくなると音楽の勢いや緊張感も落ちてしまうことがあるけれど、プロのうまいオーケストラだと音が小さくなっても音楽の勢いが落ちないだけでなく逆に緊張感が増す場合もある。

そういうのにある意味似ていると思う。

伝統とか基礎に忠実であるということは、こういう、いつもと違う条件になったときにも力を発揮するものだなとしみじみと思う。

それはともかく、いちにちいちにち無事で健康にすごせますように、それを第一に願っていきたい。