ケンのブログ

日々の雑感や日記

大島康徳さんなくなる

2021年07月06日 | 日記
岐阜県で僕は育ったので小中高生の頃、テレビの野球中継は巨人の試合と、中日の試合しか映らなかった。

地元、名古屋のテレビ局が中日主催の試合を中継して、全国ネットの放送が巨人戦を中継する。

なので、コンスタントに見れるチームは 巨人と中日だけだった。

大島康徳元プロ野球選手が亡くなられたとネットのニュースで知った。

さだまさしさんの 木根川橋という歌の歌詞にこんな一節がある。

“”
僕らはこっそり ノートの片隅に あの娘の名前に 自分の苗字を 
被せて書いては あわててぬりつびし あたりを見回し 赤くなったもんです“”

と。

一昨日くらいに、中3の頃クラスの女の子がピンクレディーのカルメン77の振り付けを僕と友達のKくんに教えてくれたという話を書いた。

そのHさんという女の子、さだまさしさんの歌のように特に赤くなったりせずに、ときどき、自分の苗字に 大島 と被せて書いていた。

そのくらい大島選手のファンだったのだと思う。

気持ちはなんとなくわかるような気がする。

かっこいいけれど、ちょっと三枚目のところもあって、どことなくユーモラスで、打つときは打つけど、ずっこけるときはけっこうずっこける。

昔、プロ野球、珍プレー集 というような番組があったけれど、そこで、乱闘シーンがあったとき、もう乱闘が収まりかけて、みんなの興奮が静まりかけたときに、やっとアンダーシャツだけ着てベンチから出てきた大島選手を写した映像があって、けっこう面白かった記憶がある。

まあ、いかにも大島選手らしいなという感じで、、、。

中日の選手の映像で、珍プレーのような番組でよく使われたのは、宇野選手が、ショートフライの目測を誤って、おでこに打球をぶつけてしまって、そのときピッチャーで投げていた、星野が、「なんでそんなしょうもないエラーするんや」と言わんばかりにグラブを地面にたたきつける映像と、大島選手が乱闘が終わりかけたころに、なんともとぼけた感じでベンチから出てくるものであったように記憶している。

でも、ネットのニュースの特質なのかもしれないけれど、大島康徳さん逝去の報道と、大島さんのブログなどに 中傷のコメントがよせられていたことが同時に報道されている。

そういうのはかなしいことだなと思う。

言論の自由とかそういう色々な権利とのからみもきっとあるのだろうけれど、ネットで他人の誹謗中傷などをした人の、名前などがもう少しわかりやすくなる仕組みができるといいなと思わなくもない。

ただ、僕は素人なので、そうすることによる、人間の権利とのかねあい、また、ウェブ空間の技術的な問題はまったくわからないから、一人の素人の願いと思って読んでくださるとありがたいです。

当時の、クラスの女の子と、有名人との思い出としては、Hさんが、大島選手の名字を自分の名前にかぶせて書いていたこと、そして、Yさんという子が中村雅俊が五十嵐淳子と結婚したときにとてもショックを受けていたというか、怒っていたこと、そんなことを思い出すな。

本当に人がなくなるたびに、ときの流れを感じ、また、自分の年令というものも意識していまうきょうこの頃だと思う。

それはともかく

大島康徳さんのご冥福を祈りつつ、いちにち、いちにち無事で健康にすごせることを第一に願っていきたい。