ケンのブログ

日々の雑感や日記

東京オリンピック開会

2021年07月24日 | 日記
旧約聖書の第一章は次のように書き出されている

“”はじめに神は天と地とを創造された。

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。

神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。“”と。


旧約聖書がこのように書き出されているのは、まず、天と地があること、そして光とやみがあること、つまり昼と夜があることが、私達の世界にとって最も大切なことと、この時代に聖書が書かれた地域の人が考えたからではないだろうか。

きっとそうだと僕は思う。

日本国憲法の第一条はこのような書き出しになっている。


“”第一条

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。“”


これも、やはり、敗戦後に日本が進むべき道を考えた人たちが、天皇を日本国の象徴とすること日本国民統合の象徴とすること、そして、それは主権者である国民の総意、つまり国民主権という前提の上で成り立つ事柄であると定めることが、非常に大切と考えたからではないだろうか。

きっとそうだと僕は思う。

大切なものを一番初めにもってくる。

物事を体系的に構成する上で大切なことと思う。

音楽でも、全体を構成する上で大切な主題を曲の最初にもってくる例は枚挙にいとまがないことと思う。

今日の読売新聞にオリンピックの開会式て天皇陛下とバッハさんが並んで会場に向かって手を振っている写真が掲載されていた。

天皇陛下は白いマスク、バッハさんは黒いマスクをしている。

公の場所で、皇族以外の方が、天皇陛下と並んで、会場に向かって手を振るという光景を始めてみたと思う。

天皇陛下のお顔は、読売新聞の写真がとらえた瞬間のものは困惑の表情に見える。

そして、読売新聞には写真についてのコメントは一切書かれていない。

ただ、写真が掲載されているだけだ。

ときどき、モーツァルトの音楽を聴いてとても人間業とは思えないと感じることが僕にはある。

天皇陛下と並んで手をふるバッハさんの姿を見て、それとはまた違う意味で、ちょっと人間業とも思われないような気がした。(個人の感想です)

それで、驚いて、ネットを見ると、僕が見た範囲では、天皇陛下とバッハさんが並んで手を振ったことに関しては特になにか書いてあるサイトはなかったけれど、政治家が、天皇陛下の開会宣言を座ったまま聴いていてあわてて、立ち上がったとかそういうたぐいのことはいくつか書いてあるサイトがあった。

オリンピックも始まった以上は、前向きに受け止めていこうと思っていたけれど、なぜかそんな気持ちにも水をさされたような気分になってしまう。

外国から乗り込んできて、天皇陛下と並んで日本国民にそして世界に向かって手をふる人物がいらっしゃるとはちょっと信じがたいようにも思える。(個人の感想です)

過去のオリンピックの歴史をひもとくとIOCの会長は開会式で、国家元首と並んで、開催国の国民、そして、世界に向かって手をふる慣例になっているのだろうか。

もし、そうであるならば、世界の慣例ということで、まあやむを得ないこととは思うけれど。


もし、そうでなかったとすれば、旧約聖書の書き出しや、日本国憲法の条文の書き出しに大切なものをもってくるという発想、つまり、ものごとを構成するときに大切なことがらをまず最初に考えるという発想が欠如していたのではないかと思えてならない。(個人の感想です)

ちなみに、金光さんも家を建てるときは神棚の位置をまず最初に考えよ という主旨のことを言っておられる。

神は目に見えないものだから、トイレはどこ キッチンはどこ、リビングはどこ と言っているうちに、あれ?神棚の場所決めてなかった ということにもなりがちだ。

今回も、コロナ対策、感染を防ぐ、リスクはゼロ、などとそちらに気を取られているうちに、天皇陛下の扱い、ひいては天皇陛下の開会宣言の扱いということがついおろそかになったということであるかもしれない。(個人の想像です)

神 とか、象徴、とか、そういうものは、目に見えないものだから、目先の事柄に追われると、つい、おろそかになってしまいがちだけれど、本当に日本国憲法の「統合の象徴」という表現にも現れているように、そこがしっかりしていないと、人心がまとまらなくなってしまうことがありうると思う。

そういうことを、私達は、こういう機会に考え直してみるべきだと思う。

オリンピックに関しては、気を取り直して、引き続き心のなかで応援していく所存でいる。

それはともかく いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。