今日、進行方向に向かって垂直方向に座席が切ってある電車に乗っていた。
僕が座っているところから3列か4列くらい、つまり微妙に離れた位置に僕と向かい合う方向に若い女性が座っていた。
フルーのノースリーブのワンピースを着ていた。
ブルーと言っても、鮮やかなフルーというわけではなくちょっとくすんだ感じの微妙に地味なイメージのブルーだった。
ただ、ちょっとその微妙に地味な色合いが逆に妙に印象深くて、不思議だなと思っていた。
そうしたら、割と中核都市の駅に電車が止まったときに若い男の子が電車に乗り込んできて、そのブルーのワンピースの女の子と合流した。
そうか、あの、なんとも言えない印象深さはそういうことだったのかと思った。
まあね、なんと言ったらいいのかわからないけれど、ちょっと いいな と思ってしまう。
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高校生は、電車の中でも平気で大声でしゃべっている。
まあ、そういう年頃なのだろうか。
ただ、あまりにも無遠慮に大きな声で話をしている高校生を見ていてあることを思い出した。
それは、井上陽水さんが、割と若い頃、大麻で逮捕されたことだ。
のちになって、陽水さんが大麻で逮捕されたときのことをあるテレビ番組か何かで問われて
「あのころの僕は、世間 ということがよく、わかっていなかった、世間をなめてかかっているところがあった」という趣旨のことを語っておられた。
その陽水さんの言葉が僕には妙に印象に残っている。
若いから、まだ、高校生だからといって、あまりにも社会規範を無視したことをやっていると、それが、おとなになってから跳ね返ってくることがあるような気が僕にはする。
ただ、それと同時に、例えば、夏目漱石の三四郎は、汽車に偶然に乗り合わせた、女性と一緒に名古屋で同じ宿に泊まることろから話が始まるんだな、時代も変わったものだなと思う。
別に夏目漱石の時代にまで遡らなくても、僕も子供の頃は岐阜から大阪へ向かう急行電車の中でおばちゃんにみかんをもらったりとかそういうことはあったし、、、。
でも、それはともかく、いま、世間で一流の官庁に努めていたり、誰からも一流企業だと思われている会社の人が、詐欺をしたり、不正を働いたり、そういう事件ってけっこう増えている。
僕、そういう事件を週刊誌的に掘り下げた話ってほとんどしらない。
そういうものをあまり読まないから、、、。
ただ、僕は予備校に勤めていたので、例えば、一流大学と呼ばれているような大学に行く学力のある生徒は、予備校の授業なども無料で受けられたりする場合が多いということは体験的に知っている。
それで、合格すれば、予備校は宣伝に使えるから、、、。
最近、近畿地方では、公立のトップ校に合格者を多く出しているような塾の母体の会社が、コロナワクチンに関して、危険性を誇大に強調するようなチラシというかそういうものを配布していて、僕が購読している新聞ではそれを問題視していた。
僕もその、塾のチラシは元同業者として読むことが多かったけれど、なんか、ハッタリを言って、保護者を煽るような感じの文句が多く並んでいるなと常々思っていた。
その、新聞が問題視していたチラシも、ネットでちょっと目を通してみると、コロナワクチンの危険性を指摘していることそのものににひっかかるというよりも、塾が、ちょっと世間一般とは違う情報を提供して、塾に来る人にある種の特別感を与えるような文章の作りになっているところになんとも言えない心の引っかかりを覚えた記憶がある。
ひょっとすると、無料で成績の良い子を招待する予備校や、扇動的な広告文句で保護者を煽るような塾の手法も、学力は高くても世間を軽く見てしまうような、人材を排出する一因になっているかもしれないと、過去に自分がやっていたことに対する自戒の念もこめてそう思う。
それは、学力も高くて、道徳的な意味でも志が高いという人が指導的立場に立つのが理想といえば理想なのかもしれないけれど、なかなか、そうはなっていない世の中のように思う。
まあ、そうは言っても、時代の流れに逆らうことはなかなかできないわけだけれど。
でも、少しでも世の中が良い方向に向かうようにということだけは願っている。
それはともかく、いちにち一日無事にすごせますように。
それを第一に願っていきたいと思う。