秋篠宮家の眞子さまの結婚に関して、岐阜の地方紙に識者のこんな談話が載っている。
静岡福祉大 小田部雄次名誉教授の話
“”国民に寄り添うことを大切にしてきた皇室だが、今回の結婚を疑問視している国民は多い。皇室の方にもプライベートはある。
しかし「私」を抑えて人々のために活動することで、国民から崇敬の念を抱かれ、信頼を得てきた面がある。眞子さまの希望を優先した今回の結婚で、裏切られたと感じる国民もいるだろう。
今後も秋篠宮家全体の問題として残り、皇位継承順位が高い秋篠宮様、悠仁さまへの不信感につながる恐れがある。皇室から国民の気持ちが離れる可能性があり、禍根を残す。“”と。
僕、この眞子さまのニュースに関して、図書館にこもって全国紙と地方紙を読み比べたわけではないけれど、いつも新聞を読んでいる感覚として、全国紙では皇室に関して、ここまで思い切って何かを述べた記事って、なかなか載せにくいと思う。
しかし、僕の個人的な感想として、小田部名誉教授のおっしゃるとおりだと思える点も多い。
また、この記事のすごいところは、眞子さまの結婚に関して厳しいことを言っていても、なんだか、淡々と名誉教授の気持ちが述べられている感じで、その意味で嫌味がなくていいなと思う。
表面をかすめたような記事を読んでいるよりもこういう記事を読むとなんだか胸がスッとするから不思議だなと思う。
また、この新聞には 「表層 深層」というコラムで次のようにも書かれている。
“”儀式(納采の儀)省略の拠り所となったのは20年11月の誕生日に記者会見した秋篠宮様の発言だった。「両性の合意のみに基づく」とする憲法の条文を引き合いに出し、結婚を認めつつも「結婚と婚約は違います」と述べた。
「秋篠宮様の言葉を生かしたい」。皇室の伝統行事を伴う婚約と、婚姻届を出すことによって成立する結婚を分けて考えれば、婚約をせずに眞子さまの願いをかなえることができるのでは 宮内庁幹部はそう考えた。“”と。
屁理屈のような論理とも捉えられる考え方と思うけれど、法律に詳しい宮内庁の幹部の方も考えられたものだとは思う。
ただ、なんかちょっと無理があるなという理屈になってしまうところが、今の眞子さまのご結婚のしんどさなのだと思う。
新聞に書いてあることが本当だとすると、眞子さまにとっては言葉は不適切かも知れないけれど、破門に近い結婚であるようにも思えてくる。
そこまでして、何かに走ることができるのが、すごいことなのか、どうなのか、こればかりは時を経なければわからないという面もあるし、究極的には、眞子さま御本人にしかわからないことなのだと思う。
ただ、国民の一人として、眞子さま、日々、ご無事でありますように、それを祈りたいと思う。
いちにち いちにち、無事に過ごせますように、それを僕自身も第一に願っていきたい。