ケンのブログ

日々の雑感や日記

超高齢化社会

2021年09月20日 | 日記
敬老の日にちなんで、今日の新聞に65歳以上の人口が過去最多の3640万人になったと出ている。

総人口の29.1%と出ている。

国民の3人に1人近くが65歳以上かと思うと愕然とする。

団塊ジュニアの世代が65歳になる2040年にはこの数値は35.3%になる見込みと書いてある。

それは、こんな人口構成では、経済も立ち行かなるはずだと思う。

それに、コロナ。

ワクチンもできるだけ多くの人に打ってもらうという政策が模索されるのも経済ゆえと思えてくる。

経済が立ち行かなくなればコロナでしんどい目をする人よりも経済でしんどい目をする人のほうが多くなるのかも知れない。


イタリアでは労働者に接種を義務付ける政策が実施されると新聞に出ている。

もはや、接種を義務付け、あるいは、半ば義務付けという国も欧米にはあるようだ。

ただ、イタリアはルネサンスの国であると同時にファシズムが起きた国でもあるので、イタリアがやっている政策だから日本でやっても、ということにはならないような気もするのだけれど、、、。

イスラエルでは2回接種の効果が薄れてきて、3回め接種をしないとワクチン証明書が無効になる動きだと出ている。

イスラエルは、パレスチナとの戦争がたえない国だから、ちょっと事情がことなるかも知れないけれど、あまり、強制ということをしていたら、3回目も義務、となって、ワクチンを投与し続けなければならないことになるのか、、、。


本当に心配しだすときりがなくなってしまう。

すべてが僕の取り越し苦労であることを祈るばかりだ。

コロナからまた人口の話に戻るけれど、高齢者の人口が増えたので社会保障が支えきれず70歳まで企業は労働者を雇用することが努力義務と新聞に書いてある。

他方で男の健康寿命(寝たきりや認知症にならずに生きられる寿命)は72.14歳(2016年)と出ている。

要するに70歳まで働くというのは健康寿命ギリギリまで働くということか、仕事をやめたらあとは2年くらいしか健康寿命はない。

と統計どおりに考えるとそれもわびしいし、、、。


これだけ、みんなが高齢になってからも働くと、僕のように早めに仕事の一線から退いてしまった者は申し訳なさを感じることもあるし、、、。

これでは若い人も何に希望をもったらいいのか、わかりずらい世の中と感じる。

もう、このような状況になってくると本当に人類が生き延びられるのかどうかも怪しいと考える人もでてくるだろう、というか、僕自身も本当にそのように考えることもある。

ノアの大洪水のような時代かも知れないと、、、。

そんな中、なんとか心のよりどころ、心の支えを自分なりに見つけていきたいとは思う。


そんなことをあれこれ考えていたら、今日テレビに出ていた松任谷由実さんのANNIVERSARYという歌の歌詞のこんな一節が心に浮かんだ。

“”今はわかるの 苦い日々の意味が
ひたむきならば やさしいきのうになる“”

ひたむきでいられればいいなと思う。できればやさしいきのうになることを夢見ながら、、、。

それはともかく、いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。


副作用と副反応

2021年09月20日 | 日記
本宅から離れに通じる扉をガラッと開けて母が言う。

「今日はちょっと虫の声元気がないね」

「昼間暑かったからやないやろうか」と僕が言う。

本当に昼間は暑かった。35℃位行ったのではないかと思う。正確なことはしらんけど、、、。

まあ、昆虫の生態に詳しいわけではないので勘で言っているけれど、昼暑かったから虫の声に元気がないのか。

思い当たるふしはそのくらいしかない。

確かに母がそう言った時刻は虫はやや元気がなかったように思う。

ちょっと夜が更けてきたら虫の声も元気になったような気がする。

夜になると秋の虫も元気だけれど、ゴキブリを見るとぞっとする。

とぶりっ子して書きたいところだけれど、子供の頃から割と見慣れているのでまあ、そうでもないとも言える。


まあ、ゴギブリがいないというか見ないに越したことはないけれど、、、。

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新聞に「ワクチンの2回目接種を終えた国民が53%に達する中、ワクチン証明書などによる行動制限緩和の実証実験が実施される」と出ている。

本当に行動制限緩和と言うけれど、ワクチン証明書というのは新たな制限にほかならないと思う。

接種を終えた人が5割を超えたタイミングでこういう話が出てくるというのもごく直感的に、ワクチン接種に対する同調圧力的な心理的負荷につけこんでいるのではと思ってしまう。(単なる直感による個人の思いです)

日本国憲法の大切な柱の一つに基本的人権の尊重というものがあり、その中に自由権は含まれると言うか大切な要素と思う。

その自由権も、なにか事があると簡単に制限を受けてしまうのだなと思う。

人権は、戦後75年にもなる今は普遍的に守られるものと思ったら大きな間違いで、一人ひとりが、自分、そして他者の人権を意識することで初めて守られるものなのだなとしみじみと思う。

戦争の時には、情報統制が行われたということは周知の事実と思う。

しかし、戦争でなくても、コロナのワクチンとか 太陽光発電とかいわば国策として行われていることには ちょっとわけのわからない言葉が出てくることも事実。

例えば 太陽光発電はデメリットとして景観を損なう と言われるけれど、はっきり言って景観というよりも環境が損なわれるという言い方が率直で的を射ていると思う。

コロナのワクチンも副反応 という言葉が出てきている。

普通、ワクチンも含め薬一般が生む、その薬本来の目的以外の作用は、副作用と呼ぶように思う。

副反応という言葉も微妙に論点をはぐらかすような言葉遣いでちょっと怖いなと思う。

ちなみに副反応と副作用とどう違うのか調べてみると、読売新聞のサイトに次のように出ている。

“”Q 副反応は、副作用とはどう違うのか。

 A 薬やワクチンの使用後に起きる、期待されたものと異なる有害な影響という意味では同じだ。治療に使う薬では「副作用」と呼び、ワクチンの場合は「副反応」と分けて呼ばれる。

英語では同じ「side effect」という言葉が使われるのが一般的だが、日本では薬害の歴史などもあり、より厳密な使い分けが進んだとみられる。“”

「日本では薬害の歴史などもありより厳密な使い分けが進んだとみられる」 とまあ、なんて曖昧な言い方。薬害の歴史などもあり使い分けが進んだって、やはり環境破壊を景観を損なうと言い換えるのと同じで、副作用を副反応と言い換えて微妙に人の意識をそらしているとも言えるように感じる。(個人の直感です)

ちなみに副反応の情報をどう集めるかについて、読売新聞のサイトには次のように書いてある。

 “”Q 副反応の情報は、どのように集めるのか。

 A はしかなど定期接種のワクチンの場合は、副反応が疑われる症状がわかった場合、医療機関から国への報告が予防接種法で義務付けられている。因果関係がわからないものも含めて幅広く集めるため、「副反応疑い」として報告される。その後、専門家の意見も踏まえて因果関係を調べ、安全対策に生かしている。“”

読売新聞のサイトにははしかなどの例として書いてあるけれど、今日、僕が見た厚生労働省のサイトには、コロナワクチンの副反応のことに関しても上記の読売のサイトの記述とほぼ同様の記述がなされていた。

つまり、「副反応疑い」というのはあくまでまだ疑いの段階で、ワクチンとの因果関係の結論が出ていない。

結論が出ていないものは「副反応」として発表されることはないと考えれば、「副反応疑い」も含めてワクチンによるよからぬ結果とカウントすると本当に、不都合なことは、国民の耳に届かない仕組みがここでもできあがっているように思えてくる。

本当にこういところではいくらでも言葉のトリックがまかり通っているなと感じる。

頭のいい人は、言葉のトリックを考えることばかりに頭を使わないで、もっと有効に頭を使ってほしいと思ってしまう。

まあ、それがなかなかむずかしい世の中なのだろうけれど。

ワクチンに関しては、本当に様子を見ながら考えていきたいなと思う。

どうしても打たなければということになったら、もう、ままよと思って、うつとは思うけれど、、、。

それは、ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に願っていきたい。