菅首相が退陣されるというニュースを見て、「菅さんもいろいろボロカス言われてたみたいやけど辞めるとなると寂しいね」と僕が言ったら、僕の知り合いの方は「菅さん頑張りましたよね」とおっしゃった。
政治の細かいことは僕、よくわからないけれど、僕も基本的にはそう思う。
地方紙の社会面に「(菅首相の)乏しい発信力最後まで」という見出しの記事があり、その中に次のような記述がある。
“”「いつになったら普通の生活に戻れるのか、総理の言葉で国民に語ってください」。東京都に4度目の緊急事態宣言発令を発表した7月8日の記者会見。質問に対して菅氏は「感染対策の決め手となるのがワクチン」などと述べ接種目標や有効性の説明に終止した。“”
要するに記事は、いつになったら普通の生活に戻れるのかという質問に対して、ワクチンの接種目標を語っても質問に対する答えになっておらず、質問と答えの論点がずれているということを指摘している。
それは、そのとおりなのだけれど、菅首相も一人の人間であって神様ではないのに「いつになったら普通の生活に戻れるのか」という質問を繰り出すもの菅さんに対して失礼だと思う。
記者の方も、菅さんはいつになったら普通の生活に戻れるのかの展望も持たずに緊急事態で国民の生活を制約しているという書きたい記事のストーリーが予めあるかのようで、その意味でははじめにストーリーありきの質問だと思う。
そして、日本人は、やはり今も、昔と同様に、政府はお上(おかみ)という考え方が抜けないからこういう質問がはびこると思う。
自分たちが選挙で国会議員を選ぶ、そして、その国会議員が総理大臣を選ぶ、その意味で総理大臣は自分たちが民主主義の手続きで選んだ人という意識があれば、この質問のように、自分たちはお上(おかみ)の被害者だと言わんばかりの質問はできないと個人的には思う。
新聞記事に載っているのは質問の一例に過ぎないかも知れないけれど、こういうたぐいの質問が最近多いということも否めない事実と思う。
本当に身のある質疑応答をしようとするのならば質問する側にも中身のある答えを引き出す問い方が求められると思う。
コミュニケーションというのは双方が互いに理解し合おうという努力があって成り立つものと思うから。
そして、コミュニケーションのないところには本当の民主主義はないのではないかと僕は思う。
まあ、そんな理想どおりにいかないから、みんなしんどいのだと思うけれど、、、。
しかし、コミュニケーションを成り立たせようとする努力は必要と思う。
質問する側は攻めるだけ、答える側はかわすだけではなにも生まれないだけでなく、密室で決められたことがそのまま通る世の中にますますなってしまうような気がする。
それはともかく、いちにち いちにち 無事に過ごせますようにそれを第一に願っていきたい。