ケンのブログ

日々の雑感や日記

豊橋名産ヤマサのちくわ

2021年09月15日 | 日記
母と県庁所在地の百貨店へ。

入口のドアをくぐり抜け、母がエスカレーターに乗ろうとするとピピピピーとおまわりさんのような笛が鳴った。

というわけではないけれど、

女性の職員が母の方に歩み寄ってなにか声をかけている。

小声なので何を話しているのかわからないけれど、振り返った母を見るとマスクをしていない。

ああ、マスクをするように注意されてるんやと思った。

母も耳が悪いのか、よく話が飲み込めないのか、わからないけれど、ちょっと、女性の職員と母が向き合って、膠着状態になっている。

僕はたぶんコワモテではないとおもうけれど、頭が丸刈りで目がでかいので職員を威圧してはいけないと思って、そばには行かず、ドアの脇のアルコールスプレーのあたりでそれを見ていた。

どうも、話が進展しないようなので、母を手招きで、僕の方に呼んだ。

話を聞いてみると、マスクはトートバッグの中にあるという。

ところが、そう簡単に見つかりそうにない。

椅子に座って落ち着いて探したらと促したけれど、コロナで椅子も少ない上に硬い椅子しかおいてない。

もう探しているよりも百貨店の隣のスギ薬局で買ったほうが早いと思った。

職員の人は、よかったらマスクをお出ししましょうかと言いたげだったけれど、それもちょっとシャクというか恥ずかしいと言うか、なんとなく買いに行った方がいいと思った。

母にこの硬い椅子に座って待っているようにと言ってダッシュしてマスクを買って戻ると母はいない。

あれ、と思っていると先程の職員の方が「お連れ様が5階エレベーター前のソファでお待ちです」と言った。

何?マスク無しで強行突破して5階まで行ったんか?と思いつつ、職員の人に「それは おおきに わかりました」と言って5階へ。

ソファのところで待っていると母がトイレから出てきた。

見ると、マスクをしている。

「結局、職員の人にマスクもらったの?」と問えば「カバンの中からマスク出てきた」と母は言う。

まあ、それはよかったけれど、なんか息のしにくそうな分厚いマスクをしている。

職員の人に5階で待つと伝言してから5階に行けるのも人生経験かと思ったりする。


地下の食品売り場へ。

「ちょっと、きゅうりの奈良漬けないか見てよ」と母が言う。

僕は人に聞くよりもパッケージの説明を読んで商品内容を知るタイプなのでパッケージを見ても、瓜そして大根 というのはあるけれど、きゅうり というのはない。

なにかの間違いやないかと思って「本当にきゅうりの奈良漬けってあるの」と問えば「ある」と自信を持って母は言う。

店員の人にも「きゅうりの奈良漬けないかね」と聞いている。

「ちょっと、きゅうりの扱いはございません」と店員の方は答えている。

僕は瓜という字をみながら、亡くなった義理の叔父が
「瓜に爪あり、爪に爪なし」(うりにつめあり つめにつめなし)と漢字の覚え方を語呂で教えてくれたことを思い出す。

本当に、旧制教育を受けた人に教えてもらったことって七七の語呂で耳に入りやすく記憶に残りやすいなとおじのことを思い出す。

きゅうりの奈良漬けはあきらめて魚肉練り製品のコーナーへ
「母がこのちくわどう?」と問うのでパッケージを見ると裏に小さくサマサと書いてある。

「これ、ヤマサってなってるよ。そういえば昔よくラジオで『豊橋名産ヤマサのちくわ』って言ってたな」と僕。

「豊橋名産ヤマサのちくわ ここにある」と母が自分の真下のあたりを指さして言う。

見るとパッケージに、そのまんま 大きいロゴで「豊橋名産ヤマサのちくわ」と書いてある。

それで、母は、豊橋名産ヤマサのちくわ をかごに入れた。
そのまんま 買うことになってしまった。

いやに耳に残っているサウンドロゴだなと思って 豊橋名産ヤマサのちくわ と指を折って数えてみると
七七ではないけれど八七で、まあ言えば七七の字余りの形になっている。

これだったら、そのまま大相撲の懸賞で「この取組には豊橋名産ヤマサのちくわより懸賞があります」とアナウンスしても違和感がないどころかキレイに収まりすぎと心のなかで考えたりする。

買ったのもを袋詰することになって、氷が必要になった。

「氷いくついる?3×3で9つくらいか」というと母は「そうやね」という
それで9つ氷の袋(甲子園のかちわりのような袋)を持っていくと、母は「こんなにいらん3つで十分」という。

本当に話が通じているのかどうかわからないと思いつつ、余った氷を冷蔵庫に返しに行く。

返した瞬間、今はコロナだから「一度取り出したものを戻すな」 と言われたらどうしようと思って、ちょっと周りを見たら、誰もいない。ホッとした。

次からは、ちゃんと余らないように氷を取るか、戻すときにはアルコールスプレーをしてから戻すか真剣に考える。

でもアルコールスプレーのアルコールは飲めないはずだから、それもまずいかと思ったりして、、、。

まあ、今日は結果オーライでよかったけれど、、、
気をつけないと こういうご時世だから。

それはともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。








ワクチンの接種率も高まって

2021年09月15日 | 日記
コロナも本当に長引いてきたなと思う。

コロナに対する恐怖感の持ち方も人それぞれだと思う。

多かれ少なかれ、その人の日々の意識のあり方がコロナに対する気持ちのあり方にも影響を与えると思う。

たとえば、僕の場合、子供の頃から、かっぱえびせんなど食べていて、食べそこなって床の上に一つ 二つくらい落としても人が見ていなければ、床から拾って食べてしまう子供だった。

おとなになっても恥ずかしながらその傾向は続いている。

それで、この歳までお腹一つ壊したことないから、経験則でまあ大丈夫やろうという変な自信がある。

死ねへん、死ねへんみたいな、、、。


なので、外食チェーンにアクリル板などなくても特に気にならないどころか、そのほうが通気が良くてむしろいいのではないかと思ってしまったりする。

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職場で、切手を貼るときに、みんなスポンジに水を含ませた容器を共通で使っていて、そのスポンジの水で切手を湿らせて貼るのが習慣だった。

僕は、そういうのが面倒くさいので、何気に油断して、舌で、切手をベローっと湿らせて貼ると、なぜかそれを見ていた人から「ナカシマさん、そんな切手を舌で舐めるなんてダメですよ、ちゃんとスポンジでしないと」と注意されることもあった。

今、コロナになると、そういう切手はスポンジでというのはむしろやってはいけない範疇の行動になるとおもう。

切手のスポンジを共通で使うなんて、そこからコロナに感染する元だろうと考える人が多く出ることは容易に想定できるから。

お行儀の良さ、悪さといういわゆるマナーの問題を度外視して考えれば、いざコロナになってみると、切手は舌で舐めて貼ったほうが、人にコロナをうつす可能性も、人からうつされる可能性も低くなるように僕には思える。

いま、スーパーマーケットなどでも、そういういろんな目的(静電気でくっついてしまった袋をはがすなど)で手を湿らせるためのスポンジって撤去されてしまっていると思う。

そういうスポンジが撤去されているとかいう状況になると僕のような習慣のものはむしろ強いと言えるかも知れない。

しかし、僕は、なぜは、ワクチンにはとてもビビっている。

そのビビる気持ちって、スポンジをみんなで共通で使うことが本当に合理的に見て清潔なのかどうかという議論とある意味同様で、特に合理的な根拠があるわけでなない。

でも、コロナになることに対する恐怖心よりも、ワクチンでなにかよからぬことになる恐怖心のほうが僕の場合強い。

もちろん、ワクチンに反対するデモを都会の駅前でしている人のように、ワクチンは人口を減らすための陰謀だとかそういうことを信じているわけではない。念の為。

ただ、なんとなく、感覚的に怖い。

長期的に見て副作用が出たらとか考えて、ネットで検索してみても少なくとも僕が検索して上位に出てくるウェブには、理論的には、長期的な副作用は考えにくいという主旨のことが書いてあるサイトがほとんどだ。

ただ、心配しだすときりがないというか、その理論上はリスクは考えにくいという話が僕には逆に怖かったりする。

なぜなら、科学的根拠というのは理論で想定したことを、しかるべき実験によって、証明して初めて成り立つものだと思うから。そして、今は、コロナのワクチンはできたばかりだから、長期的な実験データなどあろうはずかない。
※僕は文系だし専門家ではないから、こういうことは差し控えるべきかも知れないけれど、数学の証明は僕が習った範囲では、実験というのはなかったと思うけれど、、、。

とごちゃごちゃ前置きを長く書いてしまったけれど、ワクチンの接種率が国内で5割を超えてきて、今後は緊急事態などになってもワクチンを打った人には行動制限を緩和していこうという話を新聞で読むと、いよいよワクチン証明書の提示をコンサートホールの入り口などでも求められるようになるのかと、本当に心配になってくる。

今でも、コンサートホールの職員はマスクにフェイスガード、手袋をして、パンフレットの手渡しもしない、チケットも感染予防のために、半券を切り取ることもしないという、少なくとも僕にとっては、ちょっとここまでしなくてもという状況になっている。

ワクチンの接種率が高まるのに比例して接種に対する同調圧力が高まれば、ワクチン証明書の提示をコンサートホールなどで求められることは十分に考えられる。

演奏者やホールの職員にも「ちゃんとワクチン打ったの」という目が向けられる可能性は高まると思う。

そうなったら、もう、目をつぶって、念仏でも唱えながらワクチンも、ままよと思って打たなあかんかなとは感じる。

まあ、すべては様子を見ながら、そのとき そのときで考えていこうと思う。

マスクはまめにしているけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち無事に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。