ケンのブログ

日々の雑感や日記

科学の課題 ザクリスマスソング

2021年12月20日 | 日記歌入り
12月19日付の読売新聞にノーベル賞の山中伸弥さんが「コロナが示す科学の課題」というコラムを載せておられる。

読むと、山中さんってなんて真摯で真面目で謙虚でそして面白い人なのだろうと思って涙が出そうなほど感心してしまう。

コラムのタイトルは「コロナが示す科学の課題」となっているが、内容はこの科学が進歩した時代に私たちは科学をどのようにとらえ、物事を考え判断していくべきかというかなり普遍的なものになっている。

なので、僕のブログで、山中さんのコラムを引用し、コメントをつけながら、紹介したいと思う。

山中さんは次のように書いておられる。

「科学は未来を透視できる水晶球ではない。科学にできることは未来に起こりうる複数の可能性を予測することである。科学者は定説を作り出すことはできても、真理に到達できることはほとんどない」と。

“”科学者は定説を作り出すことは出来ても、真理に到達できることはほとんどない“”

この一文は山中伸弥さんの名言として後世に残るかもしれないと言っても過言ではないと思う。

科学が示すものはほとんどの場合、定説であって真理ではない。



これは、わたしたちひとりひとりが自分の知識や判断について謙虚であるために胸に刻んでおくべきことではないかと思う。

ちょっと聞きかじった知識を、真理と勘違いして、人に押し付けたりすることのないように私たち一人一人が注意を払っていくべきなのではないかと思う。

また山中さんはこのようにも書いておられる。

「生命科学においては最初の実験に成功したのち①自ら何度も再現性を検証し、②論文として投稿し、数人の専門家による検証を受け③論文公表後は多くの研究者による検証を受けることにより成果の“確からしさ”が増す。多くの研究者が再現することで徐々に定説として受け入れられるが、後になって覆されることもある」と。

高校の現代文の授業のようで恐縮だけれど、山中さんが本文で使っておられる
真理 定説 “”確からしさ“”の三つは一連のキーワードと言える。

要するに、この三つのキーワードで山中さんが言っておられることを要約すると

“”科学は真理に到達することはほとんどなく 検証によって確からしさの度合いが増した定説を作れるのみである。その定説でさえも後になって覆されることもある。“”

ということになろうかと思う。

科学は真理ではなく定説を作れるのみ。その定説ものちに覆されることもある。


本当に、しみじみと感動してしまうほど、慎重で謙虚な姿勢と思うけれど、これが本来の姿勢なのだと思う。

とりあえずは、定説にしたがって、判断していく。しかし、その判断も絶対的なものではなく、状況によって、判断を変える必要がある。

このように、考えると、山中さんの発想はとても柔軟で自由な発想であると言える。

自分の考えに、固執せず、必要があったら、変更を加えていく。科学に限らず、私たちが日常生きていくうえでとても大切な姿勢なのではないかと思う。

また、山中さんは次のように書いておられる。

「春の高校野球の中止が決定されたとき、理由は選手の安全を守るためとされた。しかし、元気な高校生が新型コロナウイルスに感染して重症化することはまずない。問題は感染が周囲に広がり高齢者や基礎疾患のある方が重症化することだ。高校球児には、社会を守るために自分たちの夢を断念してもらったのだ」と。

元気な高校生がコロナウイルスに感染して重症化することはまずない。高校球児には社会を守るために自分たちの夢を断念してもらった。

コロナのために夢を断念した高校生やその保護者が読んだら涙が出るほど、思いやりのある山中さんの言葉ではないかと思う。

この山中さんの言葉は、また、私たちの言葉には本音と建前があるということも教えてくれる。

建前は、高校生の安全を守るために甲子園大会は中止ということだったけれど、本当はそれは社会全体を守るためだったのだ。

問題の本質は、高校生を守ることではなく、高校生に断念してもらうことによって社会全体を守ること そこだったのだと改めて気づかされる思いだ。

何が問題の本質なのか それをしっかりと見極めることは、私たちが物事を包括的に正しくとらえるために必要不可欠のことなのだと改めて教えられる気がする。

しかし、山中さんのコラムの話から急に下世話な話になって申し訳ないけれど、例えばコンビニに行って、「マイバッグを持ってきた人はコロナ感染予防のために自分で商品をバッグに詰めてください」と張り紙などで告知されて、実際にマイバッグに買ったものを詰めている、そして後ろに人が並んでいるのに、コンビニの店員の方はそれを手伝わずにぼーっと目の前で突っ立っているだけということがある。

そういう状況になったときに、コロナ感染予防のためにマイバッグに自分で詰めるって、本当にコロナ予防の「確からしさ」はあるのか?それは「真理」と言えるのか?そもそも、マイバッグに自分で商品を詰めることが感染予防につながるという科学的「定説」はあるのか?と山中教授のキーワードを使ってぼやきたくなってしまう。

結局、僕が言いたかったのはそれだったりして、、、。

でも、ぼやきたくなるのはきっとコンビニの店員さんも同じだと思う。このことにはかなりの「確からしさ」があったりして、、、。

山中さんは次のようにも書いておられる。

「情報発信の重要性は、新型コロナウイルスに限ったことではない。私たちの研究活動は税金で支えられており、研究成果を納税者、すなわち国民に説明することは当然の義務である。その際も確からしさとともに伝えることが重要だ」と。

研究が税金で支えられているってちゃんと意識できるってすごいなと思う。

なんのおかげで、日々の暮らしが成り立っているかを意識することは研究にかぎらずどんな場合でも大切だと思う。

しかし、山中教授は次のようにも言っておられる、

「確からしさは」確かに重要だけれど、それだけを重視すると目新しさがなくなり、人々の科学に対する興味が薄れてしまう。たまには“確からしさ”は高くなくても目新しい話題を提供するのも大切。 と。

本当に、ここまで、あらゆる配慮ができるから、ノーベル賞もとり、新聞のコラムも依頼されるということになるんだろうなと感心してしまう。

つくづくすごい人だなと思う、、、。

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クリスマスということでナットキングコールの「ザクリスマスソング」をカラオケDAMの音源で歌ったものをアップします。

栗の実を暖炉の上で焼いている。
霜の妖精は君の鼻をくすぐる。
聖歌隊はクリスマスキャロルを歌う。
人々はエスキモーのように着飾る。

みんな知ってる。七面鳥とヤドリギはクリスマスの季節を
明るくしてくれるとね。
小さな子供たちは、目を輝かせ
今夜は眠れそうもない。

みんな知ってる、サンタがやってくるところだと。
サンタがたくさんのおもちゃと美味しいものをそりに乗せているとね。
そして、お母さんと子供はスパイに行くのさ。
トナカイは本当に飛び方を知っているのかとね。

そして、僕は一歳の子供から九十二歳のお年寄りにまで
このシンプルな言葉を贈ろう。
それが、何度も、そしていろんな方法で語られた言葉であってもね。
「あなたにメリークリスマス」

※ザクリスマスソングの歌詞を見ながら意訳しました。(発音はダメでも訳は多少できます)

僕、この詩の中で、お母さんと子供がトナカイは本当に飛べるかスパイに行く というところがとても好き。

夢とユーモアと冒険心があるから。
この時はお母さんも子供になれる。それは、とても大切なことと思う。

2.3年前にナットキングコールが歌うザクリスマスソングをユーチューブの映像で見ました。

ナットキングコールの口の動きは、音よりすこし遅れて出てくるようでした。
そうか、この遅めに口を動かすというところがナットキングコールのように、うまく歌うコツかと僕は思いました。

しばらく見ているうちに何か様子がおかしいと思い始めました。

ナットキングコールの口の動きと、音の出るタイミングが不自然だと。

僕はやっと気づきました。映像と歌声は別々に収録して、あとから合成したものだと。

俗にいうアフレコですね。ナットキングコールの時代はそういうのも多かったのだと思います。

メロディはそこそこ正確と思いますが、発音はダメなので外人が聞いたら何を歌っているかわからないと思います。

が、聴いていただければ嬉しいです。



季節に色どりを

2021年12月20日 | 中ノ島観音
この詩は、クリスマスの季節によく歌われる「ザクリスマスソング」という歌の歌詞を日本語に直したものです。

“”栗の実を暖炉の上で焼いている。
霜の妖精は君の鼻をくすぐる。
聖歌隊はクリスマスキャロルを歌う。
人々はエスキモーのように着飾る。

みんな知ってる。七面鳥とヤドリギはクリスマスの季節を
明るくしてくれるとね。
小さな子供たちは、目を輝かせ
今夜は眠れそうもない。

みんな知ってる、サンタがやってくるところだと。
サンタがたくさんのおもちゃと美味しいものをそりに乗せているとね。
そして、お母さんと子供はスパイに行くのさ。
トナカイは本当に飛び方を知っているのかとね。

そして、僕は一歳の子供から九十二歳のお年寄りにまで
このシンプルな言葉を贈ろう。
それが、何度も、そしていろんな方法で語られた言葉であってもね。
「あなたにメリークリスマス」“”

この詩にあるように、クリスマスなど季節に応じて、いろいろ飾りつけを楽しんだり、音楽を楽しんだり、食事を楽しんだりすることは大切なことではないでしょうか。

そういうことが、暮らしにちょっとした色どりや、楽しみをもたらしてくれると思います。

今の季節ならゆずの香りを楽しんでみるとか。

僕はクリスマスソングの歌詞の中で、お母さんと子供が、トナカイは本当に空を飛べるのかスパイに行くというところがとても好きです。

スパイに行く つまり こっそりと見に行く というところに夢とユーモアと冒険する心があるようで好きです。

お母さんも時には子供のような気持ちになる、子供と同じ目線に立ってみる。それは とても大切なことだと思います。