僕にとっては従弟(いとこ)、母にとっては甥にあたる人が亡くなった。
織田信長の時代のように人生50年と言っていた時代の基準で判断すれば長きといえるかもしれないけれど、今の平均寿命ということで判断すれば、ちょっと短命だったかなという年齢で亡くなった。
子供のころは、よくその従弟とあそんだ、僕の家は、母の実家だったので夏休みになると東京にとついだ母の姉やその子供が遊びに来て、僕の家は夏のひと時は林間学校のような様相を呈していた。
いろいろ遊んだ思い出は枚挙にいとまがない。
楽しかったな。
その従弟の奥さんからはがきが来た。
母がそのはがきを僕に見せてくれて一通り読んだだけなので一言一句すべてをおぼえているわけではない。
ただ、その内容は次のようなものだ。
「山田太郎(従弟の仮名)はなくなりました。
本来なら早々にお知らせするところご連絡が遅くなったこと深くお詫び上げます。
葬儀、納骨は近親者のみで済ませました。
個人が生前に受けたご厚意に感謝いたします。」と。
余計な修飾を省いて、書いてある内容をまとめると上記のようになる。
そのはがきをさっと読んで僕が母に言う。
「これは、素人が書いた文章じゃないよ。簡潔に内容がまとめられてあるから素人では書けない。プロの人があらかじめ用意したマニュアル通りのはがきだと思う。でも、とても内容が簡潔だから、上場企業の社長が亡くなった時に、新聞に当社の社長、○○は亡くなりました。と新聞の下のほうに出る企業からのお知らせを思わせるような文章だね」と僕が言う。
「まあ、そうやけど、喪に服するはがきと受け取るわけにもいかないし。甥(おい)が亡くなったのにいかにも味気ないというか・・・」と母が言う。
「まあ、そうやけと従弟(いとこ)とはいろいろ遊んだりした思い出があるけど、従弟の嫁さんとは結婚式の時にあったきりやしね」と僕が言う。
「まあ、そうやけど」と母が言う。
「冠婚葬祭に関する考え方も、ここ数年、急激に変わってきているしね」と僕が言う。
「まあ、そうやね」と母が言う。
「結局、冠婚葬祭って、プロが用意したマニュアルに沿ってやるのが一番無難やし。
でも、そのマニュアルを作るプロの人の考え方も、昔とは違ってきているしね。昔のように、いろいろと取り紛れて数々のご無礼申し訳ありません とかそんな言い回しも考えもいまはなくなってきてるし。」と僕がいう。
「まあ、そうやね」と母が言う。
「人の出してきた、はがき読んで、味気ないとかいうのは簡単やけど、いざ自分がその立場になったときに、しっかり自分で考えて文章が書けるかどうかもわからんしね。
特に結婚式とちがって、葬式はいつ起きるかわからないから、さあ、亡くなった、待ったなしで葬式となったら、まともに文章考えてる余裕もない。
どうしてもプロの書いたサンプルの中から選ぶということになってしまう。そのサンプルも時代の流れで、余計なことは書かずに、簡潔に事実を伝えるという流れになってきている。
僕も従弟の嫁さんから来たはがきは味気ないと思うけれど、いざ自分がその立場になったら、やはりマニュアル通りにやる可能性が高いと思う。確かに味気ないとは思うけれど、味気ないと文句たれる資格もないとおもう。
自分ができないのに、人のことに文句言っててもね」と僕が言う。
母は僕のいうことに適当に生返事をしている様子だった。
本当に、人のはがきを味気ないと思っていても、自分がいざその立場になったら、やはり葬儀屋の用意したサンプルの中から選んで、少し訂正を入れる程度に結局はなるだろうなという気がしている。
いただくはがきが味気なくなるのは、寂しいことだとは思う。
でも、いざ自分がそういうはがきを出す立場になった時のことを思うと、今はこういうことも時代の流れで簡潔になっているんだから、自分も簡潔にやればいいんだと考えると気が楽になるようにも思う。
僕の家は、冠婚葬祭の時の、母の女姉妹の情報伝達が、まるで音速の速さで、あっという間に東京、大阪、岐阜と情報がいきわたり、誰それはどこの宿に泊まって、香典はこのくらいで、という話になっていた。
本当に、そのたびに女性の、情報のスピードにただ、驚き、いいなりになっているだけだった。
それで、男はそういうときは、大体、酒を飲んで、久しぶりにあった親戚と話をして、もうそれで終わりという感じだった。
終わった後で、あそこはこうすればよかった、とか、もうあれこれ反省の話をしているのは女ばかりという様相を呈していた。
男は、冠婚葬祭の翌日にはもう忘れているという場合が多かった気がする。
まあ、いろいろと簡潔になるのはさびしくもあり、また、みんなが簡潔なら自分も簡潔でいいんだと思えると気が楽なような気もする。
コロナで結婚披露宴もしないひとが増えて、経営に苦しむお花屋さんもあるという話も聞いた。
いろいろと世の中変わっていくな思う。
どれだけ丁寧にお葬式をしたって、亡くなった人が生き返るわけでなく、結局、その人が亡くなった後に心に残るのは、そのひとからかけてもらった言葉とかそういうものになるのは紛れもない事実だと思う。
八王源先生も、自分自身は神道ということを大切にしてやっておられたけれど、葬式の指示をするということはない人だったので、先生の葬式の時には、どこから見ても先生とは無関係の普通のお坊さんが来て、普通にお経をあげていったという感じだし。
坊さんがお経をあげているあいだ、八王源先生は棺桶の中で、このお経をどんな気持ちで聞いているだろうと、その時は思っていたけれど、今から思うと、葬式とかそういうことにこだわる必要はないと先生が自らの実例をもって教えてくださったようにも思う。
それと同時に、映画 男はつらいよ の中で寅さんが「坊さんなんて簡単だろう、もう相手は死んじゃってるんだから」と無神経に言っていたこともなつかしく思い出す。
そのお坊さんも、今は檀家制度の崩壊で大変らしい。
そこで、岐阜県民謡 郡上節 やっちく の歌詞をひとつ
お寺のお坊さんは 檀家衆がたより やせ畑つくりは肥しがたより
村の娘達ゃ若い衆がたより そして叉若い衆は娘さんがたより
下手な音頭さんはお囃子たより やっちくやっちくさとお囃子たよる
※やっちく やっちくさ はお囃子の掛け声です。
そのまんまで 素朴でいいなとおもう。
世の中、互いにたよりあって生きていくという真髄もおもしろおかしい歌詞の中にしめされているところがすごいと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に考えていきたい。
織田信長の時代のように人生50年と言っていた時代の基準で判断すれば長きといえるかもしれないけれど、今の平均寿命ということで判断すれば、ちょっと短命だったかなという年齢で亡くなった。
子供のころは、よくその従弟とあそんだ、僕の家は、母の実家だったので夏休みになると東京にとついだ母の姉やその子供が遊びに来て、僕の家は夏のひと時は林間学校のような様相を呈していた。
いろいろ遊んだ思い出は枚挙にいとまがない。
楽しかったな。
その従弟の奥さんからはがきが来た。
母がそのはがきを僕に見せてくれて一通り読んだだけなので一言一句すべてをおぼえているわけではない。
ただ、その内容は次のようなものだ。
「山田太郎(従弟の仮名)はなくなりました。
本来なら早々にお知らせするところご連絡が遅くなったこと深くお詫び上げます。
葬儀、納骨は近親者のみで済ませました。
個人が生前に受けたご厚意に感謝いたします。」と。
余計な修飾を省いて、書いてある内容をまとめると上記のようになる。
そのはがきをさっと読んで僕が母に言う。
「これは、素人が書いた文章じゃないよ。簡潔に内容がまとめられてあるから素人では書けない。プロの人があらかじめ用意したマニュアル通りのはがきだと思う。でも、とても内容が簡潔だから、上場企業の社長が亡くなった時に、新聞に当社の社長、○○は亡くなりました。と新聞の下のほうに出る企業からのお知らせを思わせるような文章だね」と僕が言う。
「まあ、そうやけど、喪に服するはがきと受け取るわけにもいかないし。甥(おい)が亡くなったのにいかにも味気ないというか・・・」と母が言う。
「まあ、そうやけと従弟(いとこ)とはいろいろ遊んだりした思い出があるけど、従弟の嫁さんとは結婚式の時にあったきりやしね」と僕が言う。
「まあ、そうやけど」と母が言う。
「冠婚葬祭に関する考え方も、ここ数年、急激に変わってきているしね」と僕が言う。
「まあ、そうやね」と母が言う。
「結局、冠婚葬祭って、プロが用意したマニュアルに沿ってやるのが一番無難やし。
でも、そのマニュアルを作るプロの人の考え方も、昔とは違ってきているしね。昔のように、いろいろと取り紛れて数々のご無礼申し訳ありません とかそんな言い回しも考えもいまはなくなってきてるし。」と僕がいう。
「まあ、そうやね」と母が言う。
「人の出してきた、はがき読んで、味気ないとかいうのは簡単やけど、いざ自分がその立場になったときに、しっかり自分で考えて文章が書けるかどうかもわからんしね。
特に結婚式とちがって、葬式はいつ起きるかわからないから、さあ、亡くなった、待ったなしで葬式となったら、まともに文章考えてる余裕もない。
どうしてもプロの書いたサンプルの中から選ぶということになってしまう。そのサンプルも時代の流れで、余計なことは書かずに、簡潔に事実を伝えるという流れになってきている。
僕も従弟の嫁さんから来たはがきは味気ないと思うけれど、いざ自分がその立場になったら、やはりマニュアル通りにやる可能性が高いと思う。確かに味気ないとは思うけれど、味気ないと文句たれる資格もないとおもう。
自分ができないのに、人のことに文句言っててもね」と僕が言う。
母は僕のいうことに適当に生返事をしている様子だった。
本当に、人のはがきを味気ないと思っていても、自分がいざその立場になったら、やはり葬儀屋の用意したサンプルの中から選んで、少し訂正を入れる程度に結局はなるだろうなという気がしている。
いただくはがきが味気なくなるのは、寂しいことだとは思う。
でも、いざ自分がそういうはがきを出す立場になった時のことを思うと、今はこういうことも時代の流れで簡潔になっているんだから、自分も簡潔にやればいいんだと考えると気が楽になるようにも思う。
僕の家は、冠婚葬祭の時の、母の女姉妹の情報伝達が、まるで音速の速さで、あっという間に東京、大阪、岐阜と情報がいきわたり、誰それはどこの宿に泊まって、香典はこのくらいで、という話になっていた。
本当に、そのたびに女性の、情報のスピードにただ、驚き、いいなりになっているだけだった。
それで、男はそういうときは、大体、酒を飲んで、久しぶりにあった親戚と話をして、もうそれで終わりという感じだった。
終わった後で、あそこはこうすればよかった、とか、もうあれこれ反省の話をしているのは女ばかりという様相を呈していた。
男は、冠婚葬祭の翌日にはもう忘れているという場合が多かった気がする。
まあ、いろいろと簡潔になるのはさびしくもあり、また、みんなが簡潔なら自分も簡潔でいいんだと思えると気が楽なような気もする。
コロナで結婚披露宴もしないひとが増えて、経営に苦しむお花屋さんもあるという話も聞いた。
いろいろと世の中変わっていくな思う。
どれだけ丁寧にお葬式をしたって、亡くなった人が生き返るわけでなく、結局、その人が亡くなった後に心に残るのは、そのひとからかけてもらった言葉とかそういうものになるのは紛れもない事実だと思う。
八王源先生も、自分自身は神道ということを大切にしてやっておられたけれど、葬式の指示をするということはない人だったので、先生の葬式の時には、どこから見ても先生とは無関係の普通のお坊さんが来て、普通にお経をあげていったという感じだし。
坊さんがお経をあげているあいだ、八王源先生は棺桶の中で、このお経をどんな気持ちで聞いているだろうと、その時は思っていたけれど、今から思うと、葬式とかそういうことにこだわる必要はないと先生が自らの実例をもって教えてくださったようにも思う。
それと同時に、映画 男はつらいよ の中で寅さんが「坊さんなんて簡単だろう、もう相手は死んじゃってるんだから」と無神経に言っていたこともなつかしく思い出す。
そのお坊さんも、今は檀家制度の崩壊で大変らしい。
そこで、岐阜県民謡 郡上節 やっちく の歌詞をひとつ
お寺のお坊さんは 檀家衆がたより やせ畑つくりは肥しがたより
村の娘達ゃ若い衆がたより そして叉若い衆は娘さんがたより
下手な音頭さんはお囃子たより やっちくやっちくさとお囃子たよる
※やっちく やっちくさ はお囃子の掛け声です。
そのまんまで 素朴でいいなとおもう。
世の中、互いにたよりあって生きていくという真髄もおもしろおかしい歌詞の中にしめされているところがすごいと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを第一に考えていきたい。