ケンのブログ

日々の雑感や日記

年の瀬に思うこと サンタが街にやってくる

2021年12月23日 | 日記歌入り
お店に並んでいる商品を見るとお正月に関連したものも多くてもう年末だなと思います。

この12月は、いつもの12月よりもロシアの音楽を聴くことが多かったです。

特にチャイコフスキーの交響曲第4番と 第6番、そして くるみ割り人形組曲。

それに、ショスタコーヴィチの交響曲第5番と9番。

僕、CDを聴きながら曲の解説を読むことあまりないです。

でも、たまたま、チャイコフスキーの交響曲第4番の解説を読んでいたら、チャイコフスキーが支援を受けた女性と1200通余りの書簡をかわしたけれど、一度も会うことがなかったということが書いてありました。

チャイコフスキーの音楽は子供のころから聴いていますが、彼の伝記など読んだこともなく、その生涯についてはほとんど何も知らなかったのです。

1200通以上も書簡を交わしても一度もあうことがない って ちょっとというかとても変わったことと思います。

普通はそんなに文通が続かないし、続いていたら会いたくなるし。

不思議なご縁だなと思いました。

芸術家なのでそういうこともあるのだろうと感じています。

それで、チャイコフスキーの結婚とか、そういうことをちょっとネットでパチパチ調べていたら、チャイコフスキーは離婚後の人生のいわば晩年に、名作が集中しているという指摘がありました。

あまり、意識したことないですが、そういわればそうかもと思い当たる節があります。

僕、チャイコフスキーの交響曲で4番から6番までは比較的若い頃から、かなりコンスタントに聴いています。

しかし、1番から3番までは、ほとんど聴いたことがありませんでした。

10年位前に、食わず嫌いではいけないと 交響曲の1番から3番を収めたCDを買いましたが、聴いていると4番から6番に比べてなんとなく物足りない気がして、結局、長年CDの棚に飾ったままになってしまいました。

そんなことを思いめぐらせながら、チャイコフスキーの名作がキャリアの後期に集中しているというのはなるほどそうではないかと思ったのです。

また、そのキャリアの後期は、離婚して、煩わしい交際などもなかったので、集中して作曲できたことが名作を生んだ一因ではないかと僕が見たサイトでは指摘してありました。

そういわれれば、そうかもしれないとそれを読んで思いました。

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今日の新聞に、大阪の中心地のビルに放火して多数の死者を出した容疑者の方が、孤独で仕事もしていなかったということが書かれていました。

孤独で仕事をしていないことが放火の原因とは書かれていませんが、なんとなくその文章を読んでいると、孤独や仕事をしていないことが、あまり、よくなかったような印象を筆者が持っていると思われる節があります。

新聞のコラムを書く人は、バリバリに仕事をしている人なので、そういう印象の文章になってしまうのかなと思いました。

僕も、この数年は割と孤独に生きていて、孤独に対して、いい印象を与えない文章を読むと、あまり気分のいいものではありません。

それで、いい文章を読んで気分直しをしたいとおもいました。

書棚にある「ブッダ真理の言葉 感興の言葉 岩波文庫 中村元訳」を参照するとこのようなことが書かれています。

“”もしも 思慮深く聡明で真面目な生活をしている人を伴侶としてともに歩むことができるならば、あらゆる危険困難に打ち克って、心喜び、念(おも)いをおちつけてともに歩め。

しかし、もしも思慮深く聡明で真面目な生活をしている人を伴侶としてともに歩むことができないならば、国を捨てた国王のように、また森の中の象のように、ひとり歩め“”と。

ようするに、思慮深く真面目に生きれば、孤独でもそうでなくてもどちらでもいいとブッダは言っていると思います。

どちらでもいい、というのは ブッダの考えは、執着が苦しみや迷いのもとというのが根底にあるからだと思います。

ブッダの本にそう書いてあるのを確認するとなんだかほっとした気持ちになります。

また、この本の姉妹編である「ブッダの言葉 岩波文庫 中村元訳」には次のように書かれています。

“”仲間の中におれば、休むにも立つにも、行くにも、旅するにも、常に人に呼び掛けられる。他人に従属しない独立自由を目指して、サイの角のようにただ一人歩め。

われらは 実に朋友を得る幸せをほめたたえる。自分よりも勝れ、あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような、朋友を得ることができなければ、罪とがのない生活を楽しんで、サイの角のようにただ一人歩め“”と。

ここを読むと、ブッダはよき友を得ることを奨励しつつも、無理に友をつくらなくてもいいと言っていることがわかります。

こういう箇所を読むと、心がほっとする気持ちになります。

孤独を過度に恐れず、同時に、人の恩を受けていけるようにと今の僕は願っています。

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この季節にちなんでカラオケDAMで“サンタが街にやってくる”を歌ってICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

歌詞はこんな内容です。

気をつけてね
泣かないようにね
ふくれっ面をしないようにね
どうしてかというとね
サンタが街にやってくるからなんだ

サンタはねリストを作って
それを2回チェックしているんだ
それでだれがいたずらでだれがよい子か
見つけようとしている
サンタが街にやってくる

サンタは君がいつ寝るか見ているよ
サンタは君がいつ起きるか見ているよ
サンタは君がいい子かどうか見ているよ
だからお願いいい子でね

気をつけてね
泣かないようにね
ふくれっ面をしないようにね
どうしてかというとね
サンタが街にやってくるからなんだ

歌詞の内容を短く要約すると、「サンタが街にやってくる
サンタは何もかも見ているからよい子でね」
とそれだけのことです。
でも、それが大切なんですね。

「男はつらいよ」の寅さん得意のセリフ
お天道様は見ているぜ と似ていますね。
遠山の金さんも
「桜吹雪はお見通しだぜ」と言ってましたっけ。
寅さんは司法試験のために法律の勉強をしている青年に
「そうか、お前、法律の勉強してるのか?
遠山の金さんみたいに『これにて一件落着(いっけんらくちゃく)』ってかっこいいな」と言います。
青年は「遠山の金さんって何ですか?」と言います。
寅さんは困惑と驚きの表情を浮かべて
「ええ?お前、法律の勉強してるのに遠山の金さん知らないのか?」と言います。
寅さんはきっと法律の勉強をしているのなら正義 公正を大切にしてほしいと
言いたかったのでないかと想像します。

まあ、それはともかくとして、何かに見守られていると想像したり感じたりすることは大切なことだと思います。
メロディはところどころデフォルメして歌ってますがそこそこ正確なつもりです。
英語の発音はダメなので外人が聴いたら何を歌っているかわからないと思います。
聴いていただければ嬉しいです。






レンタルCDの会員に 赤鼻のトナカイ

2021年12月23日 | 日記歌入り
今日は冬至ですね。

レンタルCDの店に行ったら、中島みゆきさんの「みんな去ってしまった」というCDがありました。

ここ数日、近所にCDショップがないか探していましたがなかなかないようです。

ネットで見てここ感じいいなと思った店は今年の5月に店じまいしていました。

これだけみんながネットで音楽を聴いて、コンビニにもネットで注文したCD受け取り可能と書いてある時代ですからやむを得ないかもしれません。

それで「みんな去ってしまった」を聴きたくてそのレンタルCDの会員になりました。

レンタルCDの会員になるのは何年振りか思い出せないくらい久しぶりです。

このCDというかレコードは僕が中学生の頃によく聴いていたものです。
クラシックのレコードで中学生のころ気に入っていたものは大概CDでも買い換えていますが、みゆきさんのレコードはCDを買っていなかったのです。

僕、ごくたまに、ラジオなどでクラシックの演奏を聴いて、だれの演奏かわかる場合がありますがほとんどの場合それは中学生以前のころから聴いていた演奏です。・

若いころに聴いた音というのはそれだけ心にしみているということだと思います。

みゆきさんのレコードを改めてCDで聴くとあの頃聴いていた音の記憶がよみがえるようですが、何かちょっと違うと思こともあります。

それはCDなのでレコードと違ってノイズがなくてレコード特有のじわっとした音の感覚がないということです。

そういうじわっとした感覚も懐かしくなるくらいよく聴いていたということだと思います。

ああ、懐かしいな。

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この季節にちなんでカラオケDAMの音源で歌ってICレコーダーで簡易に録音した「赤鼻のトナカイ」をアップします。

よく歌われている日本語の「赤鼻のトナカイ」の歌詞はこれです。

真っ赤なお鼻の
トナカイさんは
いつもみんなの
わらいもの

でもその年の
クリスマスの日
サンタのおじさんは
いいました

暗い夜道は
ぴかぴかの
おまえの鼻が
役に立つのさ

いつも泣いてた
トナカイさんは
今宵こそはと
よろこびました

もとの歌詞もこの日本語の歌詞と物語そのものはほぼ同じなのですが、ちょっと自分で訳すのが面倒なので割愛します。

いつも泣いてたトナカイさんは今宵こそとは喜びました

という最後のエンディングは元の歌詞では

これでルドルフも歴史に残るよね 

という感じになります。

ルドルフは赤鼻のトナカイの固有名詞です。

犬にもポンとかポチとか固有名詞があるように赤鼻のトナカイの名前は
ルドルフなのです。

ルドルフ ゼルキン という大ピアニストがいますがトナカイのルドルフさんとはたぶん無関係だと思います。

赤鼻のトナカイ ルドルフはサンタクロースのそりを引っ張ったから歴史に残るよね というのが元の歌詞のエンディングです。

まあ、確かに、歴史に残っていますよね。

架空のトナカイでも歴史に残るぜと歌うところに夢があると思います。

メロディはデフォルメして歌っていますがそこそこ正確なつもりです。

発音はダメなので外人が聴いたら、何を歌っているかわからないと思います。

聴いていただければ嬉しいです。