12月8日 真珠湾攻撃の日(太平洋戦争開戦の日)、ジョンレノンの命日。何かと印象深い日だなと思う。
学生の頃の友達に今日が誕生日の人がいて、いつもそのことを話題にしていた。
なつかしいな。
クリスマスソングは数あるけれど、クラシカルなもの トラディショナルなものを除いたいわゆるポピュラーソングの中ではジョンレノンのハッピークリスマスは群を抜いて格調高いものだなと思う。
佳人薄命ということだろうか。もちろんビートルズの他のメンバーもすごい人ばかりだけれど。
太平洋戦争開戦の日にちなんで新聞には日本の税のいわゆる源泉徴収は戦争の費用を確実に調達するためにできた制度だということが書いてある。
あたりまえのように思っていた制度だけれど、そうか、戦争のためだったのかと改めて思い返してしまう。
医師にして歌人である斎藤茂吉は医療スタッフの税金の処理をちゃんとできたか気にしていたという。
そういう気配りのできるひとだったんだなと思う。
関西の私鉄なら、たとえばターミナルの駅には宝塚線 神戸線 京都線はそれぞれに別のホームがあって整然と電車が入ってくる。
ところが名鉄の名古屋駅は、そのような様々な路線がすべて同じホームにごちゃごちゃに入ってくる。
ごちゃごちゃという言い方は電車の運行に携わる方に失礼かもしれないけれど、素人にはそのように思えてしまう。
これも、芹沢光次良さんの人間の運命という小説に、戦争の準備で物資を国鉄の名古屋駅に近いところに運ぶために、上からの命令(軍からの命令と記憶している)で突貫工事で地下にホームを作ったのでこのようになってしまったことが描かれている。
本当に今の時代になってもいろんなところで戦争の爪痕はあるものだなと感じる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
眼医者さんへ。
コンタクトレンズの交換をお願いに行った。
待合で待っていると「ナカシマさん」と呼ばれた。
眉毛がキリっとしていて目力のある感じのスタッフの方だった。
コンタクトレンズは一年間は診察なしでも電話一本で自宅に送ってくれるとのことだった。
「それは、ありがとうございます。たすかります」と僕は言って帰ろうとした。
「お待ちください」とスタッフの方。「診察券と保険証をお忘れです」
「あ、すみません忘れてました」と僕。
まあ、楽にはなったけれど、ここの眼医者はスタッフが親切で視力検査にいくのが楽しみだなと思っていたのでちょっと残念な気もする。
そういう動機で医者にいくのもどうかと思うけれど。
老人のおおい医者の待合室で「あの人、今日は医者に来てないから体調が悪いんじゃないかしら」という会話があるのもわかる気がする。
本当に今は特に下町などではそういう様相を呈している医院も僕自身いくつかみかけた。
・・・・・・・・・・・・
ネットでお店の口コミを見ていたら、「客を放置して待たせすぎ」という書き込みがいくつかあった。
本当に、自分だけがお客ではないということを私たちはしばしば忘れてしまう。
ちゃんと待つことは文明人としてのたしなみであるように思う。
愛することは待つこと と言っていた人がいるけれど、それもその通りだなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように。それを第一に願っていきたい。
学生の頃の友達に今日が誕生日の人がいて、いつもそのことを話題にしていた。
なつかしいな。
クリスマスソングは数あるけれど、クラシカルなもの トラディショナルなものを除いたいわゆるポピュラーソングの中ではジョンレノンのハッピークリスマスは群を抜いて格調高いものだなと思う。
佳人薄命ということだろうか。もちろんビートルズの他のメンバーもすごい人ばかりだけれど。
太平洋戦争開戦の日にちなんで新聞には日本の税のいわゆる源泉徴収は戦争の費用を確実に調達するためにできた制度だということが書いてある。
あたりまえのように思っていた制度だけれど、そうか、戦争のためだったのかと改めて思い返してしまう。
医師にして歌人である斎藤茂吉は医療スタッフの税金の処理をちゃんとできたか気にしていたという。
そういう気配りのできるひとだったんだなと思う。
関西の私鉄なら、たとえばターミナルの駅には宝塚線 神戸線 京都線はそれぞれに別のホームがあって整然と電車が入ってくる。
ところが名鉄の名古屋駅は、そのような様々な路線がすべて同じホームにごちゃごちゃに入ってくる。
ごちゃごちゃという言い方は電車の運行に携わる方に失礼かもしれないけれど、素人にはそのように思えてしまう。
これも、芹沢光次良さんの人間の運命という小説に、戦争の準備で物資を国鉄の名古屋駅に近いところに運ぶために、上からの命令(軍からの命令と記憶している)で突貫工事で地下にホームを作ったのでこのようになってしまったことが描かれている。
本当に今の時代になってもいろんなところで戦争の爪痕はあるものだなと感じる。
・・・・・・・・・・・・・・・・
眼医者さんへ。
コンタクトレンズの交換をお願いに行った。
待合で待っていると「ナカシマさん」と呼ばれた。
眉毛がキリっとしていて目力のある感じのスタッフの方だった。
コンタクトレンズは一年間は診察なしでも電話一本で自宅に送ってくれるとのことだった。
「それは、ありがとうございます。たすかります」と僕は言って帰ろうとした。
「お待ちください」とスタッフの方。「診察券と保険証をお忘れです」
「あ、すみません忘れてました」と僕。
まあ、楽にはなったけれど、ここの眼医者はスタッフが親切で視力検査にいくのが楽しみだなと思っていたのでちょっと残念な気もする。
そういう動機で医者にいくのもどうかと思うけれど。
老人のおおい医者の待合室で「あの人、今日は医者に来てないから体調が悪いんじゃないかしら」という会話があるのもわかる気がする。
本当に今は特に下町などではそういう様相を呈している医院も僕自身いくつかみかけた。
・・・・・・・・・・・・
ネットでお店の口コミを見ていたら、「客を放置して待たせすぎ」という書き込みがいくつかあった。
本当に、自分だけがお客ではないということを私たちはしばしば忘れてしまう。
ちゃんと待つことは文明人としてのたしなみであるように思う。
愛することは待つこと と言っていた人がいるけれど、それもその通りだなと思う。
それはともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように。それを第一に願っていきたい。