ケンのブログ

日々の雑感や日記

コロナの解決策 おばちゃんの自転車

2020年03月25日 | 日記
新聞を見ていると米国のトランプ大統領がコロナウイルスによる自粛は経済に悪影響を及ぼすのでこれを緩和することを検討していると出ている。もちろん自粛緩和に慎重な声も多いという。

それはそうだとおもう。しかし新聞の記事にはトランプ大統領のこのような談話が書いてある。「問題の解決策に、問題自体よりもひどい状況を引き起こさせるわけにはいかない」と。コロナウイルスによる規制を実際に緩和するかどうかはともかくとしてもここでトランプさんが言っていることはとても的をいている。

こういう言い回しができるところがトランプさんのブラグマティックなところでまたなんだかんだ言われても人気がある秘訣なのだと思う。僕も本当に規制によって規制をしないよりも大きな問題が起きる可能性はかなりあると思っている。

そもそもオリンピックの延期もコロナウイルスそのものの影響であると同時にコロナによる規制が引き起こした問題であるとも言える。規制を強化したほうがいいのかそうでないほうがいいのか、これはもう科学では決着のつかない問題だと思う。

何日か前に面白い記事が載っていてトランプさんは既製のインフルエンザの薬をコロナにも使えばいいじゃないかというような指摘をし科学者がそれは科学的ではないと指摘していた。そのことを報じる新聞の見出しは「直感か科学か」というものだった。

いま、このコロナの状況にあって直感と科学のバランスをとりながら判断していくことがとても大切であり、またそれこそが今の私達に求められていることだと思う。

科学に頼り切って直感をなくしてしまっては本当に私達の判断能力は逆に退化してしまう。計算機に頼っていると暗算ができなくなってしまうように、、、。私達がその時そのときに望んでベターな判断をしていけるように切に望みたい。

しかし、こういう直感か科学かという論争を引き起こすこともトランプさんやりかたがうまいなと思う。人気を保つツボを心得ておられるような気がする。


今日、隣の街の歩道を歩いていたら正面から自転車にのったおばちゃんが「ごめーん」と言いながら僕の方にまっすぐに突っ込んできた。過去の僕の経験から言ってこういうときはおばちゃんを避けようとしないほうがいい。僕が左に避けるとおばちゃんも左によろけ僕が右に避けるとおばちゃんも右によろけ結局ぶつかってしまうということになりがちだ。

若い男の子でちゃんと低速でも自転車をコントロールするバランス感覚と筋力のある子なら僕が右によければうまく左にかわしてくれて何のことはないのだけれど、おばちゃんの自転車はそういうわけにはいかない。

ここは僕は下手に動かず止まっておばちゃんにまかせるのがいちばん安全と思った。それで僕は完全に歩行を停止しておばちゃんを見守った。

おばちゃんは「ごめーん」と3回繰り返して叫んでまっすぐに僕のほうに突っ込んできてキーっとブレーキをかけて僕の手前70センチくらいのところで止まった。

もう本当におばちゃんこんなに僕の近くまで突っ込んできて僕のことが好きなのかと言いたくなる。

そばに寄ってきてほしい人にはなかなか寄ってきてもらえず、おばちゃんは近くまで突っ込んでくる。本当に人生は思い通りにいかないと思う。まあおばちゃんにおこるわけにもいかないから会釈をして通り過ぎた。

パンデミックの影響

2020年03月24日 | 日記
僕はテレビをほとんど見ないのでそこでどのようなニュースが展開されていてコメンテーターがどんなことを話しているのかをほとんど知らない。

ただ、今日の新聞、そして近日中の新聞を見るともう東京五輪がまともに開催されるという可能性は低いと思ったほうがいいような気がする。

延期になるか。開催されたとしても感染を恐れたりその他の理由で選手を送ってこない国、送ってこない競技グループなどがあるのは不可避のように思えてくる。

本当にあなたがたは自分の髪の毛一本白くも黒くもすることができないというたとえのようにいくら科学技術が進んでも人智を超えたウイルスの拡散などに際して本当に我々は無力だなと思う。

科学技術が進み人の往来が頻繁になり伝染病はより伝染しやすくなっているようにも思う。

自粛と言ってもいつまでもそんなことを続けていたら感染は防げてもそれによる様々な社会不安は感染者の拡大以上のダメージを我々に与えるかもしれない。

本当にそのときそのときでなるべく妥当と思われる判断をしていくしかないと思う。オリンピックに関してもこうなってしまった以上はいい意味でのあきらめ、割り切りというのも必要だと思う。なんでこんなことになってしまったんだと言ってもどうにもならないし、その、なんでのこたえはあってないようなものだ。どうか事態がなるべくおだやかに推移しますようにと祈ります。

春分も過ぎて燕来る

2020年03月23日 | 日記
自宅最寄り駅前の広場の桜が開花していた。駅の軒下にはつばめも来ている。燕を見るともう春を通り越して夏の気配を感じる。

空の鳥を見るがよい。まくこともかることもせず倉に取り入れることもしない。それだのにあなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる。あなた方は彼らよりもはるかにすぐれたものではないか。あなたがたのうち誰が思い煩ったからと言って自分の寿命をわずかでも伸ばすことができようか。

中略 だから明日のことを思いわずらうな。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。一日の労苦はその日一日で十分である。

燕を見るとイエスのこの言葉を思い出すな。もちろん燕も決して楽ではないと思う。というかむしろ必死で生きているように思える。イエスの言葉はマタイによる福音書第6章より

また
覆われたもので現れてこないものはなく、隠れているもので知られてこないものはない。私が暗闇であなたがたに話すことを、明るみで言え。耳に囁かれたことを、屋根の上で言い広めよ。また体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。

むしろ体も魂も地獄で滅ぼす力のある方を恐れなさい。という言葉もありがたいものに思えるなと感じる。
引用はマタイによる福音書10章より

アロマ 大相撲

2020年03月22日 | 日記
隣の街の百貨店のアロマオイルのコーナーへ行く。アロマオイルが陳列してあるところに僕が行くと店員のお姉さんが「今日は何をお探しですか」と僕の方へいらした。

何か特定のものを探しているわけでないけれどとりあえず「甘い匂いのアロマはどれですか」と言う。

するとお姉さんはバニラ、ゼラニウム、オレンジスイートを教えてくださった。「ゼラニウムは甘い匂いと思いますよ。お化粧の香料にもよく入っています」とおっしゃった。

そんなこと言われてもわからないと思いつつも「ああ、そうですか」とわかったような返事をする。それからブレンドオイルでいくつかお姉さんは甘い匂いのものを教えてくださった。

「ブレンドのオイルはあきがくるから僕あまり好きではありません」と言おうと思ったけれど、それはやめにして「あまり一度に聞いても忘れるので、今聞いた3つだけでいいです」と僕は言った。

それから「このペパーミントはようするにハッカとかメントールとかと同じことですか」と僕は言った。するとお姉さんは「そうです。デザートの上によく乗っている小さい葉っぱのことです」と言った。

デザートの上の葉っぱならかろうじて僕にも理解できる。甘いアイスのデザートなどによくミントの葉が添えてある。しかし、きっと女性はスイーツとかデザートとかいうものは男が思う以上にとても好きなんだろうなと感じる。それは女性にとって至福のひとときなのだろうと思う。

「これから夏になりますので、こういうミントの香りは清涼感があっていいですよ」とお姉さんは言った。「そうですね。しばらく自分でいろいろ考えてみます」と僕は言った。するとお姉さんはレジの方へ戻っていった。結局ペパーミントを持って僕はレジに行った。

「ペパーミントですか。これからの季節いいですよ。タオルにひたして楽しんでもいいし。いろいろ使い方ありますよ」とお姉さんは言った。

「ペパーミントはちょっと調べてみたら、覚醒のちリラックスの効果らしいですね」と僕は言った。お姉さんはちょっと目を丸くして「そうです。そうです」と言った。お姉さんがお釣りと商品を持って戻ってきたとき僕は「お姉さんお名前なんておっしゃるんですか」と言った。

お姉さんはしばらく間をおいて「キマタです」と言った。「あ、そう。僕、名古屋なんやけど昔、中日にキマタというめちゃ打つバッターいました。でも今はもうその人おじいさんです」と言った。

どうもお姉さんは中日のキマタは知らないようだった。知らないと顔に書いてある。僕が何か言う前にお姉さんは「私、静岡です」と言った。

「あ、そうですか」と僕は言った。こんなところに静岡の人がいるとは思わなかった。でも、このお姉さんちょっとものの言い方が気風がいいと言うかストレートで大阪の普通の女の子とはちょっと違う。やはり海と山に囲まれたところで育った人は気風がいいのかなと思った。静岡から出てきて大阪で暮らすのって大変と思うけれど頑張ってほしい。

僕、実は名古屋ではなく岐阜だけどまあいっかと思った。

大相撲春場所が終わる。北の富士さん「みんな肩の荷がおりたと思ってるんじゃないの。僕はこんなところで相撲取ったことないから」と言っていた。

本当に観客がいない場所で力士は大変だったと思う。貴景勝についても「この人は誠実な態度。言いたいことも言わないしね。僕だったらすぐに痛い、痛いって言っちゃうよ」と北の富士さんは言った。「北の富士さんの現役時代は存じ上げませんので」とアナウンサーはかわしていた。
きっとアナウンサーも北の富士さんが好きなんだと思う。

終わって肩の荷が降りるという北の富士さんの言葉を聞いたとき昭和46年名古屋場所、愛知県蒲郡出身の横綱玉の海が全勝優勝したときのことを思い出した。あのとき玉の海が北の富士を寄り切って全勝優勝を決めた瞬間に北の富士の目を見て大きくうなずいた。

それを見て北の富士も土俵上で玉の海に大きくうなずき返した。どちらが勝ったといううなずき合いではなくて、横綱同士これで千秋楽が終わったという感じの両者のうなずき合いだった。なつかしいな。思えばあれから半年経たないうちに玉の海は死んでしまった。

場所が終わって肩の荷が降りる。その感覚はやったことのある人にしかわからないものがあるのだろうなと思った。北の富士さんは「僕はこんな場所で相撲取ったことはないのでわかりませんが」と言っていたけれど、、、。

しかし、観客がいなくても日が経つにつれて様になってくるのはやはり相撲は勝負以外にもいろんな要素がある伝統行事だからだなと思う。

春分の日

2020年03月20日 | 日記
春分の日。温かいお天気。隣の街の駅の近くのガード下にベンチが正方形の形に8つおいてある広場がある。正方形の一辺に2個ずつベンチがおいてある形だ。そこのベンチの一つに座って携帯電話に入ってきたメールのチェックをした。

斜め向かいのベンチに若い女の子が座っていた。上は何を着ていたか忘れてしまったけれど下はロングのスカートにショートブーツを履いていた。着こなしも含めてとてもかわいい子だった。

かわいい子だなと思ってメールをチェックしていると程なくしてその子のボーイフレンドもしくは彼氏と思しき子が自転車に乗って迎えに来た。彼氏がいるからかわいいのか、かわいいから彼氏がいるのか。これは鶏と卵だなと思った。

今日の大相撲放送で昨日、白鵬が負けた後、報道陣に無言で引き上げていったことが話題になった。「そうね。今日の新聞見てみたけど白鵬の談話は何も載ってないね。まあ思うことはあっても話したくなかったんだろうね」と北の富士さんは言った。

今日の白鵬、朝乃山に勝ったけれど、相手にすくい投げを打たれて右膝がガクッときた場面があった。白鵬があれだけもろざしのいい体勢になってひざがガクッとくるのもらしくないといえばらしくないような気がする。

北の富士さんその相撲のビデオをみて「ここ、膝、よく残ったね」と言った。普通ならここ危なかったねと言いたくなるところだけれどよく残ったねというところが北の富士さんらしいと思う。本当に北の富士さんの話を聞いていると心が和むなと思う。

そういえば貴景勝の膝についても北の富士さん「本人は口がさけても悪いとはいわないだろうけど、ちょっと膝おかしいね」と言っていた。まあ、僕が見ても膝は本調子じゃないように思える。でも本人が言わないことがらを思いやるという気持ちはとても大切なものであると僕には感じられる。

※北の富士さんの話は記憶で書いているので細部は不正確です。