ケンのブログ

日々の雑感や日記

一つのことができればそれで十分

2021年04月21日 | 日記
大阪が緊急事態宣言の要請を国に対してするという新聞記事の中に大阪府知事のこんな言葉が載っている。

「(まん延防止)重点措置では感染拡大を抑える力は不十分だと判断した。街全体を止めるくらいのことをやらなければならない」と。

街全体を止めるって、その表現を字義通りに受け止めれば、街に人が出ていくことを止める、街における人の流れを止めるということだと思う。

要するに人の行動を制限するということで、そういうお願いを人に対してするということだと思う。

それを、街全体を止める、という言葉で表現するのは、一種の詭弁のようにも思えるし、人に対する配慮が足りないように思えてくる。

感染拡大を抑える力、というけれど、抑えるべき相手は、モノではなくウイルスという生き物。

モノを力で抑えるようにはなかなか行かないのだと思う。

知事の発言を新聞で読む限りは、そういう意味では、とても無生物的、つまり無機質で、今問題になっているのは人のこと、そしてウイルスのこと、つまり生き物が相手だという根本意識が欠けているように思えなくもない。

別に、意識が変われば、政策が変わって、問題が解決するというほど、ものごとは単純だはないけれど、人に対する意識が欠ければ人の反発を生み、怖いのはその反発心ではないかと思う。

芹沢光治良の小説の登場人物が関東大震災に関して、「震災そのものよりも怖いのは、震災に怯えた人の心」という主旨のことを登場人物が語った場面があったと記憶している。

コロナもこわいけれど、上に立つ人が、人のことにかんして、無機質な発言をしていると、人の気持ちが白けてしまって、それが、一番怖いことのように僕には思えてくる。

同じ日付の新聞の政治面には、与党の中堅議員が
「緊急事態宣言の解除後に屋外や電車内で飲酒する人の姿が目立つようになった。感染拡大の長期化による気の緩みがある」と語ったと書いてある。

屋外での飲酒って、気の緩みというよりも、もう、自粛の長期化に耐えられなくなって、そうでもしないとやってられないという気持ちなのではないだろうか。

気の緩みというのとは違うようにも思う。

本当に、政治の上に立つ人も、今は、物事の本質がよくわからなくなっている時期なのだと思う。

かといって、僕に、どうすればいいという考えがあるわけではなく、僕個人としては、マスク、手洗いだけはできると思うのでそれをやっていきたいと思う。

今は、58歳で一人で暮らしているので、街全体を止めるという言葉を真に受けて、一日中家にいるということは、ちょっと僕には無理だと思える。

抱える問題は本当に一人ひとり違うのだと思う。

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新聞に、「大相撲の継承発展を考える有識者会議」が提言書をまとめたという記事が出ている。

その中の各委員の個別意見というコラムがあって、そこに王貞治さんのこんな言葉が出ている。

「硬式ボールが当たった時の痛さを知る人でなければ、野球の世界は語ることができない。
同じく厳しい稽古の本当の限界は大相撲で鍛えてきた親方衆や力士にしかわからない。策略や楽な勝ち方はない。勇気をふるう、恐怖心に打ち勝つ、根気よく自分の体を鍛えて粘り強く戦うしかない」と。

本当に、野球や相撲の世界だけでなく、鍛錬ということが必要などんな世界にでも通用するような王さんの言葉だなと思う。

結局、一つの物事を極めると、他のことがらにも通用するような本質がわかるようになるということなのだと思う。

僕が、高校生の頃、部活や勉強を両立している友達のことをうらやましく思って、「僕は、不器用でいろんなことを両立するということが苦手で悩んでいる」と岐阜の八王源先生に話したら、先生は「人間は、一つのことができれば、それで十分。北の湖は相撲以外何ができるね」とおっしゃったことをしみじみと思い出す。
※相撲以外何ができるね というのは岐阜の方言で、相撲以外何ができますか という意味です。


しかし、硬式ボールが当たった時の痛さを知る人でなければ、野球の世界は語ることができないって、王さんらしい発想だし、また本質的な発想だなと思う。

昔、イチロー選手と、浅田真央さんがキャッチボールをしている動画を見たことがある。

その中で、イチロー選手がキャッチャーになって、浅田真央さんの投げるボールを受けるという流れになった。

その時「でも、私、イチローさんにボールぶつけるといけないから」と浅田真央さんが言った。

するとイチロー選手は無茶無茶、嬉しそうな顔をして
「真央ちゃん、僕、真央ちゃんにボールぶつけられるほど、下手じゃない。これでも多少は野球やってますから」と言った。

王さんが、「硬式ボールが当たったときの痛さを知る人でなければ野球の世界を語ることができない」と語っていることとあい通じる部分があるなと思う。



歯医者さんに行く

2021年04月20日 | 日記
大阪北のターミナルの近くの歯科医院に行く。

奥歯の詰め物がとれてしまったので行った。

2017年頃ぼくは虫歯になったことに気づいていたけれど、そのとき色々と知覚過敏のような状況になっていた。

それで、こんな状況で歯医者に歯を機械でガーッと削られたらたまったものではないと思い、半年くらい虫歯を放置していた。

しかし、同時に、もし歯医者に行くなら、腕のいいところと思っていろんな歯科医院のホームページを見たり、歯科医院の前を通るとどんな患者さんがその歯科医院に入っていっているかさりげなく観察したりしていた。

それでもなかなか結論が出なかった。

そんなとき、2008年ころ、女性の歯医者さんに親知らずを抜いてもらったときにとても楽に抜けたことを思い出した。

そのときその歯科医師に、「女性の歯医者さんだから力がなくて、抜歯に苦労するかと思ったら、先生に抜いてもらった親知らずが一番、楽に抜けました」と僕が言ったら、その歯科医師は「私、手が小さいから、どこへでも届くんですよ」と言葉を返してくださった。

その言葉の返し方が、さり気なくて印象に残っていた。もちろん歯が楽に抜けたことも。

それで2017年の暮ころに、よし、今ならもう歯医者に行けるという気力というか感触が湧いたときに、その歯科医師のところへ行った。

歯科医師に2008年にその先生に抜歯してもらったこと、楽に抜けたこと、手が小さいからどこにでも届くと言ってくれたことが、またここに来る決め手になったということも話した。

ただ、半年放置した虫歯はかなり進行していたので、歯科医師は、治療に懸命で、僕のその言葉には無反応だった。

ただ、「もっと、早く来れなかったんですか」と歯科医師は僕に言った。

「来れなかったんです」とだけ僕は言った。

それ以上の言い訳はしたくなかったから。

言い訳してわかってもらえることでもないし、それなら言い訳するだけ無駄とも思った。

6回くらい通って虫歯の治療が終わると、その先生は、急に緊張がとけたような感じになって
「ナカシマさんって、記憶力がすごくいいんですね。確かに記録を見るとうちで2008年に親知らずを抜いておられます。それに私、手が小さいことは自覚してるから、そういう言葉をナカシマさんに返したことは、覚えてはいないけれど、たぶんそう言ったんだと思います。こっちが言っても忘れてしまったことまで覚えてるなんて」と言ってくださった。

それで、それからは、検診の案内のはがきがくると、すぐにその先生のところに行っている。

今日、歯科医院に行くと、ドア越しに先生が見えた。僕が会釈すると、先生もドアの向こうから会釈してくださった。

受付に出られた歯科衛生士さんが「保険証は持ってこられましたか」と僕に言った。

「保険証は持ってきましたが、予約を入れたときに、もってくるように言われた、取れた詰め物は忘れました。駅についたときにそれに気づきました」と僕は歯科衛生士さんに言った。

するとそれを聴いていた歯科医師は、「そうか、詰め物は忘れたか。まあ、診療室に入ってください」と言った。

診療室に入ると「今日、詰め物を入れる前段階の処置をして、次回、忘れた詰め物を持ってきてもらって詰めるのと、新たに型をとるのと、交通費も考慮に入れると、さて、どちらがコストが低くなるか」と歯科医師は続けた。

「まあ、コストのこともありますけれど、とれた詰め物は、もうかなり汚くなっていました。そんなことも潜在意識にあったことが、今日、詰め物を忘れたのにつながったのかも知れません。それに、コロナで、マスクを持ったか、ネックウォーマーを持ったかと確認しているうちに忘れたかも知れないし。まあ、言い訳してるとキリないですけどね」と僕は言った。

「まあコストはね、新しく型をとったほうがきっと低いでしょう」と歯科医師は言った。

コストの中に交通費も考えてくださることが嬉しい。僕が交通費をかけてまでそこに行っていることを意識してくださっていることの証拠だから。

まあ、そんな感じで、処置をして、型をとって、歯の掃除もしてもらって。

小さな虫歯もあるとかで、また何回かかよわなければならない。

歯科衛生士さんの歯の掃除が終わって僕が治療室を出ると、歯科医師は受付で、次の男性の若い患者さんと話をしていた。

若い男性の患者さんは歯科医師に「なんか、磨いても、臭い感じがするんですよ」というようなことを言っていた。

歯科医師は、「そうか、臭いか。まあ、詳細は診療室で見ることにします」と言ってその患者さんと診療室に入っていった。

僕に対しては「そうか、詰め物は忘れたか」と、次の患者さんには「そうか、臭いか」と女性なのに、そういう、男前の言葉をかけることが多いから、この歯科医師は、男の患者にはもてるし、もちろん、女性の患者の信頼も厚い。

結局、人柄で得している人はいるんだなと思う。

そして、人柄って、結局、そんなに変わるものではないし、、、。

歯科医師が受付に自ら出ることで、医院のコストの削減にもなるし、受付で歯科医師と、患者のコミュニケーションをとることが、良い方向に作用している。そういうところも、この歯科医師の人徳だなと思う。

女性の医師を主治医にしたほうが生存率が高い、というデータがあると聞くけれど、こういうちょとしたこの歯科医師の気配りを見ていると、そういうデータがある理由がわかるような気がする。

受付で、次回の予約をとるときに歯科衛生士さんが「カレンダーにマークのついているところは、お休みです。ゴールデンウイークになるとマークが多くなります」と言った。

「あ、そう、このリンゴのマークのところがお休みですね」と僕は言った。
「これ、歯のマークです」と歯科衛生士さんは言った。
「あ、リンゴちゃう、歯のマークか。目も悪くなりました」と僕は言った。

まあ、なんしか、次の予約をとれて良かった。

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北のターミナルの駅で「○○駅で発生した人身事故により電車に遅れが出ております。代替輸送は、、、」というアナウンスをしていたので、これはまずいと思ったけれど、
5分くらいで電車は発車した。

〇〇駅は僕が降りようと思っていた駅なので、どうしようか、予定を変更しようかと迷ったけれど、結局○○駅で降りた。

すると、その駅のホームに、駅員と思しき方が線路に降りて、巻き尺のようなもので、いろんな寸法を測っていた。

駅員が、線路に降りて、色々、寸法を測ったりしているということは、やはり、、、、、、。
と思うと、胸が締め付けられるように苦しくなり、心が、上のそらになってしまうほど暗くて不安な気持ちになった。

人身事故というアナウンスが実際に、何を意味するかは、なんとなくわかっているつもりでも、
実際に、その駅で、鉄道の関係者が、線路に降りて、いろいろと、実地検分のようなことをしていると、本当に、ぞっとするというか、心が苦しくどんよりとなってしまう。

こんな気持ち初めてだなと思う。

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僕が住んでいる街の 首長と、議会議員の選挙。

結果を見ると、首長は僕が投票した人は残念ながら最下位だった。

残念とおもう。

議員は僕が投票した女性がトップ当選になっている。

その人は、僕と同じ、東海地方の出身の方で、プロフィール欄に書いてある出身高校をみると、東海地方出身のひとなら、だれでも知っている、愛知県の県立高校のご出身だったことも投票したひとつの理由だった。

投票したときは、そういう気持ちで投票したのだけれど、トップ当選と見ると、「そうか、この人、まだ、関西に来て、たぶん10年くらいなのに、もう町の議会でトップ当選か、僕は30年以上も関西に住んでいるのに、個人的な人脈がほとんどないのに」、と自分と引き比べてちょっとその人のことをうらやんでいたりする。

これが、例えば、僕と高校で一緒だった、Bくんが岐阜県の僕の出身地の議会選挙でトップ当選だったりすると、うらやましいというよりも、心からよかったと思うのに、、、。

本当に、心の動きって、ちょっとしたことでいろんな方向に行って、なかなか意のままにならないものだなと思う。

それでも、毎日、無事にということを一番に願っていきたいと思う。












あれこれ思うこと

2021年04月18日 | 日記
牛若丸という童謡がある。

子供の頃好きだった。

歌詞はこんなふうになっている。


“”
京の五条の橋の上 大の男の弁慶は
長い薙刀振り上げて 牛若めがけて斬りかかる

牛若丸は飛びのいて 持った扇を投げ捨てて
来い 来い 来いと 欄干の上へ上がって手をたたく

前や後ろや右左 ここと思えばまたあちら
燕の様な早業に 鬼の弁慶謝った“”

謝ったというのはきっと降参したと言うことなのだと思う。

もう 引退してしまったけれど
僕の母が、大相撲の日馬富士と豪栄道は負けっぷりがいいから好き
と、よく言っていた。

そう言われてみれば、日馬富士 豪栄道とも勝つときは思いきりよく勝つし
負けるときも、勢いよくこけるような負け方が確かに多かったと思う。

豪栄道などはギリギリまでねばって顔から落ちて負けるということもあったし。

負けっぷりのよさというのとは少し違うかも知れないけれど
鬼の弁慶謝った という童謡の歌詞も
負けるときは潔く負ける、そして、素直に負けを認めることを無言のうちに教えていてくれるように僕には思える。

人生、最後まで勝ち続けることはできないのだから、、、。

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僕の住んでいる自治体は、今日、議会と首長の選挙だった。

今はコロナで自粛ムードなので、選挙カーが来ると、いつもの選挙のときよりも
なんか気持ちがイライラして落ち着かなかった。

そういう気持ちを察してか、選挙カーのウグイス嬢も、今年の選挙ではちょっと控えめの声で候補者の名前を連呼していたように思う。

しかし、昨日、一昨日は、もう投票日直前というここでかなり勢いよく選挙カーも候補者の名前を連呼していた。

投票所に行くためのはがきには、マスクを着用の上、咳エチケットにもご協力くださいと書いてある。

もう、そんなに面倒なこと言うなら投票、ぶっちしてしまおうかとも思ったけれど、結局、投票に行った。

やはり、それは、権利というよりも、義務であるようにおもったので、、、。

テレビがないのでこの時間になっても誰が当選したかわからないでいる。

ネットでもうまく検索できないし。

まあ、明日になればわかることだからいいけれど、、、。




コロナも続いている

2021年04月17日 | 日記
米国に訪問されている、管総理大臣とバイデン大統領のことを報じる新聞記事に「新冷戦 日米結束」という見出しが出ている。

中国を米国に対抗しうる唯一の競争相手とバイデン大統領は位置づけていると報じられていて、本当に冷戦といえば、僕の世代は、米ソのことを思い浮かべるけれど、ソ連が中国にとってかわる位置づけで冷戦というのが語られる時代になったのかと思う。

中国の拡大によるインド太平洋地域での “”勢力均衡(バランスオブ パワー)“” という米ソの冷戦期によく用いられた軍事用語も紙面に踊っている。

本当に、世界が変革していくときだなと感じる。

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新聞に、立憲民主党が緊急事態宣言の発令を主張していると出ている。

それに対して与党側からは
「政府の対応に100点満点はないから、批判はいくらでもできる」「効果は政策の中身で決まる。名前を緊急事態宣言にしたからといって感染者が減るわけではない」という冷ややかな声が漏れている。と新聞に書いてある。

政策に100点満点はないことは国民の一人としてわかっているつもりだけれど、与党の政治家であるならば、このコロナの難局を、国民とともに乗り越えていこうという気概がもっとあってもいいのではないかと思う。

なんだか、政治家の気骨というものが失われてしまって、小手先の政策や言葉でかわそうとする人が増えたように思えてならない。


省庁も昔に比べると、すぐに、民間委託とか、外部の有識者会議とか言い出すし、自分たちで勉強しようとする気概がないのか、それとも、世の中のシステムが複雑になりすぎて、優秀な省庁の職員でも自分たちでは勉強しきれなくなってしまっているのか。あるいは、効率化に走りすぎているのか。

きっと、それらのいろんな要素が入り混じっているのだと思うけれど。

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この2年くらい、脂っこい食事が苦手で、中華の外食チェーンには行っていなかったけれど、一ヶ月くらい前に一度行ったら、堰を切ったように、また、行くようになってしまった。

昔よりは頻度は低いけれど、、、。

中華の外食チェーンでも、例えば大阪北のターミナル付近などだと単純に食事をしている人が多いけれど、下町の店に行くと、食事というよりも、中華をつまみにしながら、ビールを飲んでいる人が多いということに気づく。

僕がカウンターで食事をしていたら、電話がかかってきて、今は、お店にかかってきた電話も携帯電話のような端末で出ることに気づいた。

若い女性のアルバイトの子が電話に出て、店長に「アルバイトの募集してますか と電話です」と言った。

店長は、急いで中華鍋の料理を仕上げて、電話に出る。

それまでは大きい声を出していた店長が電話では急に小声になる。

それは、そうだろう、アルバイトの募集の電話はお店の人事に関わることなので大きい声で話すわけにはいかない。

本当に、中華のチェーンの店長はいろいろとすごい人が多いなとしばしば思う。

ちなみに、僕は地声が大きくて、会社で、電話のときもなかなか声を小さくできないのがちょっとした悩みの種だった。

お店の、お勘定をするときに「ありがとうね。頑張ってね」とレジのところでバイトの女の子に声をかけていたおじさんがいた。

そういうところは本当に下町風情だなと思う。

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昨日、ある方から、お天気が、ちょっといやですねというようなことを言われた。

僕、テレビを見ないし、ネットや、新聞でもそれほど気象情報を見ない。

東急ハンズで買った、かなり軽量の折りたたみ傘をいつもリュックにいれているので、雨が降ったらそれをさせばいいと思っているし、、、。

それで、ちょっとお天気がいやといわれても何のことかわからないので、「そうですね。天気もそうやけど、春なのに妙に寒かったり、気候もね」と曖昧な受け答えをしてしまった。

そうしたら、その日の夕方から今日にかけて雨で、きっと、僕にお天気いやですねと言った方はそのことをおっしゃったんだなと気づいた。

本当に気象情報を知らないと、会話についていけないこともあるなと思う。

昼間降っていた雨も夜にはやんで、スーパーマーケットから出てくると、北の空の高いところに三日月に近い月が出ていた。月齢を見ると5になっていた。

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コロナのこと、本当にいろいろな数字も心配だし、いろんなところで窓を開け放していて、僕は体感温度の寒暖差が割とある方なのでそれはしんどいと思うけれど、おかげさまで、無事に過ごしている。

あと、そういう数値的なこと以外では、ここ数日、新聞で見る、大阪府知事の顔が何となく不安そうに見えることが僕は意外と気になっている。

きっと知事の方もいろんな情報を受けながら、ギリギリの選択という毎日を送っておられるのだろうと思ってしまう。



それでも、本当に、毎日、何とか無事にということを一番に、考え、願っていきたいと思う。














健康に過ごせますように

2021年04月16日 | 日記
僕が読んでいる今日の全国紙に 「コロナの異変種全国に急拡大、高い重症化率 警戒」という見出しでいろいろなニュースが出ている。

本当に大変なことになったなという気持ちもある。

しかし、おかげさまで、僕の場合は、自分の身内や、親しい人の中では、感染したとか、ましてや亡くなったという事例に一度も接したことがないので、重症化率とか、医療の逼迫という抽象的な言葉を見ても、それが、実感としてあまりわからないということがある。

それは、どうも僕だけではないようで、先日、入った喫茶店の店内でも、「本当に、僕の回りでもコロナで生活に困ってる人はいっぱいいるけれど、実際に感染したという人はいないんや」と話している人がいた。

その人の話を、聴いていて、ああ、この人の感覚もきっと僕のそれと同じようなものなのだなと思った。

しかし、やはり、新聞に、異変種とか高い重症化率とか書いてあると何とも言えず不気味だ。

それと同時に、科学が進歩しすぎたから、異変種とか、そういうことがわかるようになってきて、逆に心配の種が増えているように考えてしまう自分もいたりする。

お釈迦様の考え方の中でもっとも大切なものの一つとして一切皆苦(すべては苦しみである)というものがあるけれど、本当に、科学に限らす進歩したら進歩したレベルで新たな苦しみとか悩みの種というのは生まれてくるのだなとしみじみと思う。

おかげさまで今のところ僕の身近な人でコロナに感染したり、亡くなった人はいないけれど、やはり、今日など日が暮れてからは結構寒かったのに、コロナがまた増えてきているということで、電車の窓を開けるはばが以前よりも広くなっているように思える。

今日、電車に乗っていて、首筋や、ふくらはぎのあたりに、かなりの冷えを感じたので、窓を見たら、僕が座っている場所の向かい側の窓が、半分くらいあいていた。

通常は窓があいていても、上の方の10%か20%くらいのように思うのだけれど、ちょっとあそこまで窓を広くあけられるとさすがにきついなとおもう僕がいる。

特に僕は、ちょっと動くとすぐ暑くなる反面、じっとしていて風にあたると、すぐに寒くなる体質なのでちょっとこたえる。

窓を開けることで、確かに、ウイルスが、車内に充満することは防げるのだろうけれど、これだけ、寒い車内で震えていると、自律神経が、疲れるなどして、抵抗力が落ちて、感染しやすくなるとかそういうことはないのだろうかと、素人の、足りない頭で考えてしまう。

結局、そういう複合的な要素をすべて考慮に入れて、どのやり方が、もっとも高い蓋然性を持って正しいかというのは、なかなか決定できないようにも思える。

ただ、僕の場合は寒暖差がちょっとこたえるというのが実情ということだ。

僕は、電車を書斎代わりにする傾向が昔からあって、急行で早くつくよりも、各駅停車で座っていって、新聞など読んだほうがいいと考えることが多いのだけれど、各駅停車は、窓をあけて走る上に、駅に止まるときは、乗降口を全開にするので、かなり車内が寒くなる。

うーん、なんとかしてほしいと思うのだけれど、これだけは、一人で鉄道会社に文句をいってもどうなるわけでもなく、本当にときの流れに任せて辛抱なのかなと思う。

なんとか、健康を保てるようにとそれを一番に祈ってはいる。