僕の住居の近所では昨日が、桜の満開だったようで、今日はもう花吹雪と言うか、桜の枝から生えてきている葉が、目立つようになった。
例年、僕は桜とカエデが植えてあるお宮に行って、桜の葉が出始めるのと、カエデの新しい葉が出始めるのがほぼ同じ時期だなと思っているのだけれど、今年はどうなのだろう。
今のところ、そのようなお宮にいく機会を作っていないのでちょっとわからない。
きっと例年通りだと思うのだけれど。
僕は、桜は花吹雪になってからも結構楽しむタイプの性格だ。
桃色の花が散っていく、そして、だんだん緑の葉が多くなっていく。
緑の葉の量がピンクの花の量をやがて凌駕するようになる。そして木はすっかり葉桜になる。
そういう様を眺めるのも結構好き。
今年は、そういうことを楽しむ心の余裕があるだろうか。
なるべくなら、そういう余裕があるといいなと思ってはいるけれど。
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駅のトイレで、仕事関係の電話に出て、会話の中で「三井住友」という固有名詞を、大きな声で執拗に連呼している人がいた。
無意識のうちに、自分が、そういう財閥系の会社と取引のあることを周りにアピールしているようにも思える。
駅のトイレにいる見ず知らずの人にそんなことアピールしても意味のないことのようにも思うのだけれど。
そういう大手の一流企業とは縁のなかった僕にとってはちょっと入って行きにくい世界だなとは思ってしまう。
そういうのが、人間の心の不思議なところなのだと思う。
僕も駅のトイレで、聞こえよがしに 「あーあ」とか、ため息をついたり、「しまった、ハンカチまた忘れとるわ」とか「よっしゃOK」とか独り言をいったりすることがあるのであまり人のことは言えないけれど。
ようするに人間、誰でもそういう心の側面があるということなのだろう。
ため息というものは連鎖する性質もあるようで
僕が「あーあ」というと、近くにいるおじさんも「うーん」「よいしょ」とか小声で言ったりすることもある。
まあ、そういうのは、女性のトイレではどうなっているのかわからないけれど。
かれこれ3年くらい前に、ある駅のトイレ掃除のお姉さんに会うたびに、「こんにちは」とあいさつしていたことがあった。
トイレ掃除のお姉さんにとっては、トイレ掃除の女性にあいさつしてくるひとが珍しく映ったらしく、しばらく僕があいさつを続けていると、僕がトイレにいくと、その女性は掃除道具がおいてある場所の壁にへばりついていて、僕から隠れていたりしたこともあった。
また、そのへばりつき方が、本当に両手を広げて、人が通る方向に背中を向けて、ピタッとイモリのようにへばりついているので、ユーモラスと言うか かわいいというか、あれだけは実際に見たものにしかわからない魅力があった。
そんなの見たことある人そんなにいないと思うけれど、、、。
また、逆に、僕が用を足そうとしている隣の便器のところにしゃがんで、そこをおもむろに磨いていたこともあった。
そのときはさすがに僕もその女性に「女の人がそんなに近くで構えていたら、おしっこ出ません」と言ったら、その女性は「ごめんなさい」と言ってどこかに逃げていってしまった。
電車の車内で、その女性とあったこともあるので、次の日トイレで、昨日電車で会ったね と僕が言ったら、3つか4つくらいの駅を掛け持ちで掃除していて、移動は電車でしていると教えてくださった。
「そうなんですか」と僕が言ったら、その方は「なんでも聞いてください」と言ってくださったけれど、それからほどなくして、その方とは会わなくなってしまった。
きっと、トイレ掃除のバイトをやめられたか、他の地域に異動になったのかもしれない。
でも、トイレ掃除の女性が、掃除道具置き場の壁にへばりついて隠れていたりしたことは、本当に僕にとってはちょっとユーモラスな思い出の一つだなと思う。
桜について書いたつもりが、書いているうちに変な話になってしまった、、、。
コロナでまん延防止とか言うことで、これからどう生活が変化するのだろうと考えていたら気晴らしに、つい、アホなことを書きたくなってしまったのかもしれない。
なにはともあれ毎日、無事に過ごせますように。それを一番に考え、そして願っていきたい。