昨日の夕方、マンションのエレベーターの乗り場で、多分、小学校の5年生か6年生くらいの女の子といっしょになった。
頭にヘルメットをかぶっていたので多分、一輪車とか、スケボーなどの遊びをしていて、夕方になったので家に帰ろうとしたところで、僕とエレベーターの乗り場で鉢合わせたのだと思う。
ただ、その子がスケボーを持っていたのか、一輪車を持っていたのか、そこのところは記憶に残っていない。
ただ、見た目が小学校5,6年くらいという感じで、頭に、今どき風の流線型のちょっとカッコいいヘルメットをかぶっていたということだけが記憶に残っている。
エレベーターが上から降りてきたとき、僕はその女の子に手招きでお先にどうぞ、というゼスチャーをした。やっぱり、小学生の女の子と言っても5,6年くらいになると、それなりの雰囲気があるので、何となく先に通したくなってしまう。
すると、その子も、手振りで僕にお先にどうぞというゼスチャーをした。
それで、僕が先にエレベーターに乗ることになった。
あまり無理に相手を先に通しても逆に迷惑になることもあるし。
でも、エレベーターに僕が先に乗って、彼女があとに乗るということは、狭い空間で、僕が彼女の背後に立つことになる。
そういうのって、ちょっと緊張した。
もちろん、エレベーターのドアのガラスなどに僕の姿は写るから、僕が彼女の死角に入るわけではないけれど、女の子の後ろに立つってちょっと緊張するなと思う。
彼女のほうが僕より上の階だったので、僕は、彼女を追い越してエレベータを降りることになる。
降りるときに彼女に、「さようなら」と言ったら、彼女もさようならと言ってくれた。
ほんの短い時間だったけれど、その子と、お互いにエレベーターに乗る順番の譲り合いをして、そして、エレベーターにも何秒か一緒に乗ってみると、小学生と言っても、高学年になると、もちろん個人差はあるだろうけれど、本当に、子供の女の子というよりも、もう半分レディという感じだなと思う。
一緒にエレベーターに乗っているときの彼女の物腰から、何となくそういうのが伝わってくる。
夏目漱石か、それとも他の有名作家の小説だったか忘れてしまったけれど、20歳くらいの時点では、男よりも女のほうがはるかに大人だという主旨のことが書いてあったと記憶している。
本当に、そうだなと思った。
でも、桜の花の期間が短いのと一緒で、そういう、少女から、女性への転換期って、本当に人生の中で、ごく短い時間のものだと思う。
その、短い時間だからこその輝きってあるんだなと思う。
そういう、輝きの瞬間に遭遇できるって、別に、だからどうなの と言われれば、いやなんでもないよと いうことになるけれど、少なくとも僕にとっては、それは、何でもないようで、結構嬉しいことであるような気がする。