ケンのブログ

日々の雑感や日記

春だけど寒かった

2021年04月09日 | 日記
日が暮れてから特に寒い一日になった。

いつも行く、タバコ屋のご主人が、寒そうに歩いている姿も見かけた。

しかし、僕の自宅最寄り駅前の桜はもう8割以上葉桜になっている。
桜の木のそういう移り変わりが早いように感じられる。やはり、コロナなどのために、桜が葉桜になる速度が例年より早く感じられるような気持ちの変化が自分の中にあるいはあるのだろうかと思ったりもする。


コロナのワクチンの副反応が、新聞の大きな見出しになることはない。しかし、国際欄などにそれほど大きくない記事でヨーロッパなどで血栓ができるなどの副反応があり、接種を高齢者に限る国もあるというような記事が出ている。

こういうのをみると心配といえば、心配だなと思う。

僕個人としては、率先して接種を受けるというよりも、様子を見て、みんなが接種して、自分だけ接種していないと、なんだか雰囲気的にやばいんじゃないかという状況になったら、接種するという程度の考えでいいかなと今は思っている。

本当に風見鶏のような考え方で情けない気もするけれど、、、。

風見鶏と言われながらも結構、長期政権で居座った総理大臣も昔いたっけ、、、。

その人はかなり長生きもなさったけれど、、、。

新聞の社説に、システム障害を起こした、メガバンクのことについて、コスト削減を重視するあまり、金融機関にとって大切な、顧客第一の考え方が欠如していたのではないかという主旨の主張がなされている。

このメガバンクのシステム障害とは関係ないことかもしれないけれど、最近大手の金融機関の支店の電話番号に電話すると、コールセンターにつながって、〇〇支店担当の□□でございます、という応答をされることが多くなった。

電話に出る人が茨木支店担当といいつつ、大阪府茨木市と茨城県を取り違えるような発言をぽろっとされたりすると、いったいこの電話どこにつながっているのだろうと不安になることがある。

要するに、支店の電話番号が表記されてあっても、支店とは別の場所にあるコールセンターにつながって、機械に表示される電話番号に応じて同じコールセンターの人が〇〇支店担当とか△△支店担当とかその場で名乗っているに過ぎないのではないかと疑いたくなるようなことも時々ある。

所在のわからない場所につながる電話って、やはり一抹の不安がある。

ネット通販でトラブルがあって、電話したときには、東南アジアのなまりのある女性が電話に出てこられたので 失礼ですがこの電話どこにつながっていますかと聞いたら、すみませんがそれは言わないことになっていますという答えが返ってきた。

コロナで、在宅勤務が増える機運にありオフィス用の不動産があまり気味という新聞記事をよく見る。

しかし、会社と取引をしていて、トラブルがあったとき、いざとなれば、オフィスに乗り込んでいって直接話せばいいという安心感は、オフィスの所在地がわからなくなることで、失われる。

建物をしっかりと構えて営業することによって得られる信頼、ということに対する、経営者の考えというのは最近は失われてきているのだろうか。

僕が若い頃、年配の人で「安全に遊びたかったら、ちゃんと建物で店を構えている場所で遊べよ」と教えてくれた人がいたけれど、そういう考え方って、ある意味まっとうな考え方であるように僕には思える。

ひとたび、トラブルに巻き込まれたときに、担当者が、どこで電話に出ているのかわからない’、ネットや電話ではらちがあかないから、直接オフィスに出向いて話したいというとき、どこに行けばいいのか、相手の所在地がわからないという不安は、トラブルに巻き込まれて初めてわかるということもある。

そういう問題点がいろいろ出揃って、いまある、自動化の流れ、オフィスを離れる流れというのがしかるべき着地点に到達するにはまだ、しばらく時間がかかるように思う。

同じオフィスで働くことで、社員が団結心をもって責任を果たそうという気落ちがうまれることも一つの事実と僕は思うし、、、。

久しぶりにドボルザークの交響曲「新世界より」のCDを聴く。

ドボルザークが育った土地の民謡と思われるような旋律が、多く出てくるこのような郷愁にみちた音楽というのもコロナというときにあって、何かと不安なことが多いときには、こころの救いになるものだなと思う。

なんとか毎日、無事にすごせるようにとそれを一番に考えていきたいと思う。