日曜日は3週間連続で雨になったと思う。
夕方、結構、雨が強くなってきて、靴(ウォーキングシューズ)の中に少し水がしみてきて、しんどかった。
正確な名称はなかなか覚わらないけれど、明日から大阪市はコロナまん延防止の措置が取られるようで、一体どうなるのかと考えてしまう。
感染者が何人とか新聞に載っているけれど、例えば500人感染したとして、そのうち重症化するのは何人くらいなのか、死亡するのは何人くらいなのか、そういうものが統計的確率から判断するとどのくらいになるのかということが、なかなかわからない。
そういうこともあって、何人感染したとかいう数字に関する感覚が、麻痺してきて、数字の重大さというのがなかなか認識できないようになってしまった。
いっそのこと感染者数よりも、死者数をもっと前面に出したほうが、みんな危機感を持つようにも思うのだけれど、コロナでなくなる方の数が、例えば、交通事故でなくなる方や、自殺する方と、そんなに変わらなかったり、むしろ少なかったりすれば、みんな、意外と死者数ってすくないやん と思ってしまって、逆に気の緩みにつながるのかもしれない。と思ったりもする。
何日か前の新聞の編集手帳に、夜の飲食でお酒が入ると、つい気が大きくなってしまうからお酒に気をつけるようにというようなことが書いてあった。
僕、お酒を、ほとんど飲まないから、飲食と言うと文字通り、食べて、そしてお茶やジュース、水を飲むことと思っていた。
飲酒が習慣になっている人にとっては、飲むというと、それはお酒を飲むというふうに頭が反応するのかと思った。
やはり、その人の習慣によって、どのように頭が反応するのかも異なってくるのだなと思った。
まあ、それは僕も学生の頃は、単に飲みに行くと言うと、それは居酒屋に行くことであったということを今更のように思い出した。
確かに、飲むと気が大きくなって、声もでかくなるし、つい飲食店というか居酒屋に長居してしまって、感染のリスクも高まるのだろう。
しかし、もう、なにが、だめで何がいいとかキリがないようにも思う。
僕の場合は、とりあえず、マスクと手洗い、ということにして、あとはひたすら、無事に過ごせることを願って毎日を過ごしていきたいと考えている。
マスクを着用して、食事ということも話題になっているようだけれど、僕のように外食といえば、立ち食い蕎麦や、カレーショップという人間にとっては、立ち食いそば、ズルズルっとすすって、マスク上げて、そばを、飲み込んで、またマスクを下げてそばをすすってとやっていると、どんだけややこしいんやと思ってしまう。
偉い人が言っている食事というのは、やはり、会席料理とか、フレンチのディナーとかそういうのを想定しておられるのだろうか。
飲むと言っても、飲酒の習慣のある人とない人では考えることが違う。
普段、立ち食いそばの人と、市長が行くような店で食事をする人では、食事の感覚も違うと思う。
マスクで飲食って、考えただけでややこしくなってくる、、。
まあ、なんとか、なるように、なりますようにと願っていきたいと思う。