今日の読売新聞の一面に福島第一原発の処理水を飲んでも健康に影響が出ないレベルにまで薄めて海に流すことに政府が決めたと書いてある。
それを読んだとき学生時代のことを思い出した。
学生のころカップラーメンのスープを飲むのが好きだけれど、塩分が多くて健康によくないと言われるのでスープを薄めて飲んでいると言っていた子がいて、薄めて飲んでも全部スープを飲んだら結局塩分摂取の総量は変わらないじゃないかとみんなから思い切り突っ込まれていた。
その子は受け狙いでそんなこと言っていたのか、まじめに言っていたのかよくわからないけれど。本当にあいつはスープを薄めて全部飲むなんてアホだとそれからも何かと友達同士の話のネタになっていた。
結局、福島の処理水も、薄めて海に流しても、流す汚染物質の総量は変わらないのだろうと思う。
人類が、電気を使うという生活を選択する限り、現状では、どんな発電方法を使っても環境破壊ということは避けられないと言っていた人がいるけれど、本当にそのとおりだなと思う。
コロナで、空気清浄機を使う人が増えたという話を聞いたことがあるけれど、空気まで電気を使って清浄していたら、清浄のつもりが、結局は電気を使うことによる環境破壊をそれだけ助長することにもつながるわけで、本当にそんなふうに考えていたら、これだけはキリのない話になってしまう。
レジ袋が環境に良くないからと有料にしても、コロナのマスクで不織布のものを使う人も多く、不織布って結局、材質は、レジ袋を同じものだから、と、考えるとこれも延々とキリのない話になってしまう。
今日、買ってきた、不織布のマスクの材質を見ると、やはり小さい文字の欄にポリプロピレンと書いてある。
レジ袋と同じ材質だ。
不織布という言葉を使っているのは、プリプロピレンという言葉を避けるという意味合いもあるのかも知れない。
地中海の漁師の人が、いやにクラゲが多いなあと思ってすくい上げてみたら、不織布のマスクだったという話がいつか新聞に載っていたけれど、海岸にペットボトルが打ち上げられるのと同様に、近い将来、使い捨てマスクが、海岸にたくさん打ち上げられる日が来るかも知れない。
電車が換気ということで窓をあけて走っていて、電車に乗っているときのほうが、電車を降りてからよりたくさん服を着込んでいたりとか、何かと不自然なことがおおい今日この頃になってしまっている。
それも、考えているとえんえんとキリのない話になってしまうけれど、、、。
なんとか、それでも、人類が生き延びられるように、そして僕、個人としても無事に過ごせるようにと祈るばかりではある。
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ここ、2,3日ドボルザークの「新世界より」という曲をCDで聴いていて、いいなとおもうのだけれど、カラヤンが演奏したCDで、妙に音楽の仕上がりが良すぎて、今の僕には逆につまらないというか物足りないように思えてくる面もある。
それで、もう一枚持っている、ロリン マゼールさんの「新世界より」を聴いてみると、リズムの刻み方が楽しい感じで、いいなと思う。
本当にマゼールさんも聴いていて楽しいと思える演奏が多いように思う。
阪神大震災の前の年くらいに、マゼールさんが英国のフィルハーモニア管弦楽団と来日されて、ベートーヴェンの交響曲を日本で全曲、演奏されたことがあった。
その機会に、発売された、マゼールさんのベートーヴェンの交響曲全集のCDを僕は持っている。
「新世界より」の楽しいリズムの刻み方に味をしめて、マゼールさんの演奏するベートーヴェンの「英雄」を聴いてみると、やはり、リズムの刻み方がクリアで、聴いていて楽しいと感じる側面がある。
コロナで心が落ち込んだりしたときは、こういう楽しい演奏を聴くことが心の慰めになることもあるなと思う。
マゼールさんが最晩年に、大晦日恒例の、ベートーヴェンの交響曲を一日で全曲演奏する
ベートーヴェン 振るマラソン とかいうようなタイトルの企画の演奏会を指揮するために来日されたことがあった。
そのときオーケストラでチェロを演奏されていた、東京都交響楽団のチェリストの方のブログを読んでいたら、
第九の音合わせをしたときに、マゼールさんは、第九が一番難しいのに、どうして、みんな第九が一番うまいんだと驚いておられたという。
演奏しているみんなは、それはそうだろう、年末は、みんな第九を繰り返し演奏しているから と心の中で思っていたという話がそのブログには載っていたと記憶している。
そういう、ちょっとユーモラスで心温まるエピソードがあるのも、マゼールさんらしいといえばマゼールさんらしいなと思う。
結局、音楽でもなんでも、最後は人柄、という部分に帰着することが、おおいと思う。
もちろん、努力をしなければ、何も生まれてはこないというのもまた事実だけれど。
お互いに、人柄というものを大切にしていければ、いいなと思う。