可愛いとんぼ
こじゃれたお食事どころで見かけました
パッチワークのタペストリーです
秋らしくてとっても素敵でした
連れて帰りたかったのですが・・・・
今日はちょっと長くなります。
グダグダ書きますので、そこのところよろしく!
先週、劇団文化座の舞台「瞽女さ、きてくんない」を観てきました。
瞽女とは、目の不自由な女性の職業。
三味線を持って家々をまわり、玄関先で歌い、謝礼にお金やお米をもらいます。
娯楽のなかった当時、彼女達の来るのを、心待ちにしていた人は多かったようです。
「瞽女さ~ん、来て歌ってくださ~い」
と声をかけらるのでした。
この舞台は、ハンディーを背負いながらも、厳しい瞽女の掟の中で生きていく女性達のはかなさやせつなさや強さが描かれていました。
舞台を観た後、瞽女さんについて詳しく知りたくて、
「最後の瞽女 小林ハル」 桐生清次 文芸社
を読んでみました。
最後の瞽女と呼ばれたハルさんは瞽女唄継承者として国の重要文化財になりました。
2005年、106歳でその人生を終えたのでした。
ハルさんは、明治33年(1900年)に新潟県三条市の農家に生まれます。
生後100日くらいのとき、白内障で光を失います。
当時、家に障害のある子供がいるというのは世間体が悪いということで、外にも出してもらえず、奥の部屋だけで暮らします。
5歳で、家に来ていた瞽女の親方に弟子入りが決まり、7歳から修行に入ります。
その2年間に母親は彼女に身のまわりのこと、洗濯、裁縫と一通りのことをそれはきびしく教え込みます。
瞽女の修行もまた厳しく、寒い信濃川で声のつぶれるまで唄のけいこや血をにじませて三味線のけいこ。
9歳で、親方について旅に出ます。
この親方、今相撲界で話題になっている「かわいがり」よろしく彼女をいじめぬきます。
ハルさんが泣いて帰れば、彼女の家から多額の違約金がとれるからです。
小さな体に荷物はかつがせるわ、お宮で一人で寝かせるわ、食べ物はあげないわ、山においていくわ・・・。
しかし、ハルさん、決して帰るといいません。
帰れば、家に迷惑がかかると思い、ひたすら耐えに耐え抜きます。
彼女は、神様から、光は奪われてしまったけど、強くたくましい精神力を与えてもらっていたのです。
次々にこれでもかこれでもかとふりかかる苦難をひとつひとつ乗り越えていきます。
決して、人を憎まず、恨まず、ひたむきに生きていきます。
年をとって、老人ホームに入っても、意地悪な人はいるもの。
一部抜粋
「盲のざまして、呼ばれなかったら音をさすな」「場所ふさぎ」なんていわれるが、目の見えない者は、人に何を言われても口に返すようなことをしてはならないと思ってきた。
私が今、明るい目をもらってこれなかったのは、前の世で悪いことをしてきたからなんだ。
だから今、どんなに苦しい勤めをしても、次の世には虫になってもいい。
明るい目さえもらってこれればそれでいいから、そう思って勤め通してきた。
ハルさん、小さい頃から、人の言うことを聞いて、ハイと言い、いつもよい行いをしていれば必ず光がさすと信じていたんですね。
でも彼女のまわりは、いつも悪い人ばかりいたわけではなく、本当に親切で優しい人にも沢山であっています。
彼女の名言に
「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行」
ハルさんはハンディーを背負いながらも、自立した働く女性の先駆者でした。
秋の夜長、ハルさんの波乱の人生を読んでみてはいかがでしょう。
お勧めの一冊です。
ちなみに、水上勉の「はなれ瞽女おりん」も読んでみたのですが、事実は小説よりも奇なりでした。
今日の私の小さな幸せ
秋茄子を焼き茄子にして、しょうが醤油で食べました。
美味しかった~。