
起きると周りが白くなっていた。(正面は前の家。左が倉庫)
9時に親戚にご挨拶→「めっけもん」で墓花→贔屓の拉麺店「丸高」。ちょうど昼時だったので客が多く、煙草で煙っていた→嫁さんの実家の墓→うちの墓。
その後、祖父の着物箪笥の中身出し&廃棄食器をコンテナからダンボール箱詰め。
箪笥の中敷きに昭和4年の新聞紙が出てきた。山高帽も出てきた。
かつてうちも含めて12、3軒が持ち回りで耕作していた田んぼがあった。
新年を迎えると耕作した家が他の11、2軒を招待して宴会をする慣わしだった。講とでも言うのか、我が家では「宮講」と言っていた。(喪中の家はその年は参加できない)
飲み食いするのは男。料理を作るのはその家の女子。一人では無理だから親戚を動員する。
料理は自分の家で作るのである。今のように仕出しを取るのではない。多分15品目前後。だからあと数年で当番という年になると、母はその年の料理&品目のチェックに余念がなかった。
食器も自前で用意した。それだけの品目×人数分の食器が要る。刺身で考えれば、刺身を入れる皿に加え醤油の入れ物が要る。
そんな食器が全部残っている。
で、苦労して買い足していった食器を廃棄することができない、と父が言う。ま、もともと廃棄という言葉のない父だけど。
でも、せっかくリフォームした家の周りに放置している食器はこの際廃棄させてもらう、と言って合意を取り付けたのだった。
家のつくりも8畳以上の和室とそれに続く6畳以上の和室が要る。
宴会の日には仕切りのふすまを取っ払って会場になる。
この会がなくなるまで、近所の家はみんなそんなつくりがあった。
「ふるさとの歌祭り」にこの会を出したい、と言っていた人がいたな。