久しぶりにギョーカイ本『2030年教師の仕事はこう変わる!』。
今変わりつつある制度をもとに論を展開しているからいつものように説得力あるもの。
でも、本を読まない息子はこういう世界が来るであろうことを想像できない。
今、彼は「的(まと)」という言葉にもてあそばれている毎日。
「的」という言葉から受けるイメージは静的なもの。しかしそこでは教師のある種の発問言を「的」として使っている。発問言やから「動」なのだ。
そこのズレに気づかない参観者は協議会で「自分だったらこの文を『的』と考えるな」などと言う。
「的」という言葉を設定したBossは、もう退職して(おそらく若手を指導する仕事に就いているだろうけど)その学校にはいないのに…。そして「的」について深く勉強をしたくてもそんなことを書いた本はない。だから多義性のある「的」という言葉を巡ってあれやこれや…なんだろう。
こう考えると、キャッチーな言葉を用いたBossは罪深いね。Bossは数年で変わるのに。Bossがいなくなったその年から変えりゃあいいけど、そんな勇気のある若者はいない。
なんで先人の研究に学ぼうとしないのだろう。
ま、殆どのcodomoが塾に行ってるらしいから…。…。
お断り。
この頃息子と職場等の話をしていないので1行空き以降は酔っぱらいの単なる妄言です。
今変わりつつある制度をもとに論を展開しているからいつものように説得力あるもの。
でも、本を読まない息子はこういう世界が来るであろうことを想像できない。
今、彼は「的(まと)」という言葉にもてあそばれている毎日。
「的」という言葉から受けるイメージは静的なもの。しかしそこでは教師のある種の発問言を「的」として使っている。発問言やから「動」なのだ。
そこのズレに気づかない参観者は協議会で「自分だったらこの文を『的』と考えるな」などと言う。
「的」という言葉を設定したBossは、もう退職して(おそらく若手を指導する仕事に就いているだろうけど)その学校にはいないのに…。そして「的」について深く勉強をしたくてもそんなことを書いた本はない。だから多義性のある「的」という言葉を巡ってあれやこれや…なんだろう。
こう考えると、キャッチーな言葉を用いたBossは罪深いね。Bossは数年で変わるのに。Bossがいなくなったその年から変えりゃあいいけど、そんな勇気のある若者はいない。
なんで先人の研究に学ぼうとしないのだろう。
ま、殆どのcodomoが塾に行ってるらしいから…。…。
お断り。
この頃息子と職場等の話をしていないので1行空き以降は酔っぱらいの単なる妄言です。