マイケル・チミノが亡くなった。彼が脚本を書いた『サイレント・ランニング』(72)と『ダーティハリー2』(73)、監督作の『サンダーボルト』(74)『ディア・ハンター』(78)『天国の門』(80)『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)『シシリアン』(87)『逃亡者』(90)『心の指紋』(96)。
振り返れば、そのほとんどをリアルタイムで見ている自分がいた。『天国の門』以降は、どの映画にももどかしさを感じさせられ、散々文句を述べてきたのだが、多分、大好きな監督の一人だったのだ。そこで、追悼の意を込めて、その監督作をさかのぼりながら、俺の中のマイケル・チミノを振り返ってみようと思う。
『心の指紋』(96)(1997.8.27.シネスイッチ銀座)
『逃亡者』(90)以来、9年ぶりのマイケル・チミノ監督作。その復活を喜ぶ半面、今回もテーマが大き過ぎて、本来の狙いであったと思われる“寓話”に成り切れていないと感じさせられた。つまりチミノのストーリーテラーとしての支離滅裂さは、残念ながら今回も解消されてはいなかったのである。
だが、またしてもアメリカにおけるマイノリティ(今回はインディアン)にこだわった頑固さも同時に示され、『ディア・ハンター』以後、どうもこの人の映画には過度に思い入れてしまう、というこちらの弱点を刺激してはくれた。
大筋は、ニューシネマ時代をほうふつとさせる二人の男による旅の物語。凶悪犯で末期がんに侵された若者(ジョン・セダ)と、彼に誘拐されたエリート医師(ウディ・ハレルソン)が、病を癒やす、というインディアンの聖地を目指す中で、心を通わせていく様子が描かれる。
見方によっては、インディアンに対する白人の贖罪の念を表しているとも取れるのだが、若者への思いが変化していく過程での医師の心情の描き方が中途半端な印象を受けた。
チミノの映画は、友情にしろ対立にしろ、総じて描いているのは男同士の精神的な恋愛なのだが、『天国の門』以降は、独りよがりの強引さが目立ち始め、この男たちはなぜこの行動に走るのか? と、分かったような分からないようなもどかしさを感じさせられるようになった。
この映画も、ラストの美しい聖地の情景と奇跡の達成に心を奪われながらも、その奥で、またしても全てが解放されないもやもやが残ってしまった。