『シシリアン』(87)(1988.6.21.丸の内ルーブル)
ロマンチスト、チミノ
イタリア・シチリア島に実在した山賊、サルバトーレ・ジュリアーノの波乱に満ちた生涯を描く。これまでのマイケル・チミノは、デビュー作の『サンダーボルト』(74)を除けば、形こそ違え、アメリカにおけるエスニック(少数民族)の姿を描き続けてきた。そして、とうとう移民の一つの象徴として、イタリア系アメリカ人のルーツであるシシリーを舞台にした映画を撮ってしまった。
彼が、何故ここまでエスニックにこだわり続けるのかは分からないが、エスニックを描くことについて、彼自身がイタリア系アメリカ人であるということだけでは説明できない、異様な執念のようなものを抱いているのだろうと推察する。
この映画の原作は『ゴッドファーザー』(72)のマリオ・プーゾ。それもあってか、チミノはこれまでの映画よりもさらに深い部分までエスニックの問題に迫ろうとしている。ところが、意外なことに、この映画では彼のロマンチストとしての側面の方が際立ってしまっている。
もちろん、男同士の友情を描くという点では、『サンダーボルト』(74)に始まって、『ディア・ハンター』(78)『天国の門』(80)ですでに証明済みであり、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)も見方によっては友情の裏返しを描いたと言えなくもなかった。それらをロマンチックな設定だったとするならば、この映画から急にチミノがロマンチストになったというわけではないのだが…。
今回は、血なまぐさいドラマであるにもかかわらず、クリストファー・ランバート演じるジュリアーノを、謎を含んだヒーローとして描いたのをはじめ、彼に絡むマフィアのボス(ジョシュ・エクランド)や相棒(ジョン・タトゥーロ)、女たち、あるいはテレンス・スタンプ演じる貴族の姿を、ロマンチック味たっぷりに描いていると感じさせられた。
と言う訳で、舞台がアメリカではないことを差し引いても、これまでのチミノの映画とは異質の感を受けた。従って、イタリア系アメリカ人のルーツやマフィアの根の部分に迫る、というチミノの意図は分かりながらも、どうしても、ジュリアーノの義賊としての魅力の方に目が行ってしまう。これはチミノがジュリアーノという人物に引きずられて、あまりにもかっこよく、ロマンチックに描き過ぎてしまった結果なのだろうか。
何だか『ディア・ハンター』以降のチミノには、肩透かしばかりを食らっているような気がするし、見終わった後で何か物足りなさを感じてしまうのも否めないのだが、それでも、彼が撮った映画は見逃したくないと思わされる。何とも厄介な監督である。
後記:先日見たクロード・ルルーシュ監督作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』で久しぶりにクリストファー・ランバートと再会。あまりの変わりように驚き、時の流れを感じさせられた。