『ほぼ週刊映画コラム』
今週は
音楽と映画の心地良い融合
『シング・ストリート 未来へのうた』
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『天国の門 デジタル修復完全版』(13)(2013.10.6.新宿武蔵野館)
最後のチミノ
初見は今から30年以上も前、しかも短縮版だった。今回見直してみて、細部に関してはほとんど覚えていないことに気づき、初めて見るような錯覚に陥った。従って、今回加えられたのがどんなシーンだったのかもはっきりとは分からない。例えば、野球をするシーンは短縮版にもあったか? などと自問しながら見ることになった。
もし「見直してみて自分の中での評価は変わったか?」と問われたとしても、ストレートに「良かった」とは答えづらい。冗漫な印象も変わらなかったが、意外にも3時間36分が決して苦痛ではなかった。今回改めて気づいたことや疑問を記してみよう。
背景
東欧移民と牧畜業者の対立によるジョンソン郡戦争が描かれる。これは『シェーン』(53)の奥にあるものと同じだと後から知った。ワイオミングの美しい山河と、そこで繰り広げられる醜い争いという対照の妙が印象に残る。
人物キャラクター
『ディア・ハンター』(78)のニック同様、文盲だが純情なガンマン、ネイサンの優しさが前面に出ている。どちらも演じるはクリストファー・ウォーケン!
対照的に『ディア・ハンター』のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)に比べると、主人公ジェームズ(クリス・クリストファーソン)のキャラクターが弱い。これは東部出身のエリートを揶揄するためだったのかとも思えるが、ここがこの映画の弱点だろう。
代わりにジェフ・ブリッジスが演じた“第三の男”ジョンの存在感が際立つ。ほかに、日和見なジョン・ハート、憎まれ役のサム・ウォーターストンも好演を見せる。
『ディア・ハンター』の影
監督のマイケル・チミノはイタリア系、撮影のビルモス・ジグモンドはハンガリー移民。どちらもアメリカではマイノリティ、エスニック(少数民族)に属する。そのためか、『ディア・ハンター』とこの映画には東欧移民への同情や強いこだわりが見られる。そして牧歌→極限状態→挽歌という物語形式も同じだ。
『ディア・ハンター』の主人公はスラブ系移民の子孫たち。前半はたっぷりと時間をかけてスティーブン(ジョン・サベージ)の結婚式を描き、一転、ベトナムの戦場という極限状態に移り、主人公をめぐる三角関係(マイケル、ニック、リンダ(メリル・ストリーブ))をはさんで、最後は残されたマイケルの孤独を映す。
『天国の門』に登場するのは東欧移民の第一世代。前半はハーバード大の卒業式をこれも時間をかけてたっぷりと描き、ワイオミングに舞台を移し、やがてジョンソン郡戦争へと突入する。主人公をめぐる三角関係(ジェームズ、ネイサン、エラ(イザベル・ユペール))をはさんで、最後は残されたジェームズの孤独を映す。
大きく違うのはジェームズが東欧移民ではないこと。つまり、彼はあくまでも傍観者なのだ。
音楽も『ディア・ハンター』がロシア民謡を効果的に使ったように、『天国の門』では「美しき青きドナウ」など東欧を意識した音楽が使われている。また『ディア・ハンター』の「ゴッド・ブレス・アメリカ」に当たる「リパブリック賛歌」も印象に残る。
評価
アメリカ開拓史上の恥部を真正面から描くという意味では、後にアカデミー賞を大量受賞した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(90)の存在がある。では、『天国の門』はなぜあれほど激しいバッシングを受けたのか。両作の評価が雲泥の差ほども違うのはなぜなのか。そもそも両作は西部劇なのだろうか。といった疑問が浮かんできた。