ところで、ベン・アフレックは、『夜に生きる』を撮るに当たって「ワーナーのギャング映画にオマージュを捧げるチャンスだと思った」と語ったという。それは、1930~40年代、ジェームズ・キャグニー、エドワード・G・ロビンソン、ハンフリー・ボガート、ジョージ・ラフトらを擁して、ワーナーで作られた数々の映画のことを差すのだろう。
それらの中には、キャグニー主演作では、ウィリアム・A・ウェルマン監督の『民衆の敵』(31)、マイケル・カーティス監督の『汚れた顔の天使』(38)、ラオール・ウォルシュ監督の『白熱』(49)。アル・カポネをモデルにした主人公をロビンソンが演じ、マービン・ルロイが監督した『犯罪王リコ』(31)(ロビンソンのその後については『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15)でも描かれた)。暗黒街出身とささやかれたラフトも登場する、ポール・ムニ主演、ハワード・ホークス監督の『暗黒街の顔役』(32)などの名作がある。アメリカではこれらの映画がクラシックとしてきちんと認知されているのだなあ。
と、ここからは、ワーナーのギャング映画とは直接関係のない俳優の話に移る。現代のギャングスターという意味ではアル・パチーノとロバート・デ・ニーロが筆頭だろう。親子役ですれ違い共演した『ゴッドファーザーPARTⅡ 』(74)は別として、パチーノ主演作では『暗黒街の顔役』をリメークしたブライアン・デ・パルマ監督の『スカーフェース』(83)、同じくデ・パルマ監督の『カリートの道』(93)、デ・ニーロ主演作ではセルジオ・レオーネ監督の『ワンス・アポン・ア・タイムス・イン・アメリカ』(84)、カポネを演じたデ・パルマ監督の『アンタッチャブル』(87)、マーティン・スコセッシ監督の『グッドフェローーズ』(90)と『カジノ』(95)、パチーノと再共演したマイケル・マン監督の『ヒート』(95)などがある。
ギャングとマフィアの違いはまた別の話になるとして、これら、ギャング映画のパターンは、最低の人間が、自分自身のルールに従ってのし上がるという、悪(ワル)の魅力を表現することにある。そこには、けれん味たっぷりの演出、華麗なファッションが施され、滅びの美学を表現する派手な見せ場も多く、内面的な演技も要求されることから、役者としては演じたい役ということになるのだろう。
だから、最近ではジョニー・デップも『パブリック・エネミーズ』(09)でジョン・デリンジャーを、『ブラック・スキャンダル』(15)でジェームズ・バルジャーを、と実在した新旧のギャングを演じたが、どちらもあまり似合わず、成功作とは言えなかった。パチーノやデ・ニーロに比べると、明らかに貫禄不足なのだ。そうした流れが今回のアフレックの勘違いにも通じるのではないかと思うのだが…。