今日の新聞に、映画編集者・岸富美子さんの自伝『満映とわたし』(15)(石井妙子共著・文藝春秋)を舞台化した『時を接(つ)ぐ』の公演に関する記事が載っていた。岸さんや満映のことを、NHKのドキュメンタリー「中国映画を支えた日本人 満映映画人 秘められた戦後」(06)で詳しく知った身としては興味が湧いた。
現在98歳の岸さんは、奇しくも原節子、山口淑子(李香蘭)と同じ年。15歳で第一映画社に編集助手として入社し、溝口健二監督の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』(ともに36)に参加。原主演の日独合作映画『新しき土』(37)の編集助手も務めた。その後、映像カメラマンだった兄の渡満に従い、39年、国策映画会社の旧満州映画協会に入社し、映画編集者として活躍する。
番組には、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(87)で坂本龍一が演じた満映所長の甘粕正彦や、同じく渡満した監督の内田吐夢も登場する。後に『私説 内田吐夢』(鈴木尚之)も読んだが、内田は満州時代に関しては複雑な思いを抱いていたようで、多くを語っていない。その意味でも、岸さんは、まさに“満映”の生き証人と言ってもいい人なのだ。
岸さんら、満映にいた多くの映画人は、戦後、中国に残り、共産党のプロパガンダ映画に携わりながら、中国の映画人に技術を伝えた。番組の中で、中国共産党がナチスドイツ同様、映像の力で民衆を啓蒙せんとして製作したプロパガンダ映画の『橋』(49)や『白毛女』(50)の一場面が映ったが、その迫力ある映像には驚かされた。映画は編集次第でどうにでもなることを改めて知らされたのだが、どんな題材でも、きちんと仕事をしてしまう、岸さんたちの職人としての性(さが)も同時に感じさせられて、複雑な思いを抱かされた。
ただ、北京市の朝陽にオープンした中国電影博物館の開館セレモニーに、日本人として唯一人招待された岸さんが、中国人の愛弟子たちと再会する場面を見ていると、映画作りは国境を超えるという、一縷の希望を感じることができた。
現在98歳の岸さんは、奇しくも原節子、山口淑子(李香蘭)と同じ年。15歳で第一映画社に編集助手として入社し、溝口健二監督の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』(ともに36)に参加。原主演の日独合作映画『新しき土』(37)の編集助手も務めた。その後、映像カメラマンだった兄の渡満に従い、39年、国策映画会社の旧満州映画協会に入社し、映画編集者として活躍する。
番組には、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』(87)で坂本龍一が演じた満映所長の甘粕正彦や、同じく渡満した監督の内田吐夢も登場する。後に『私説 内田吐夢』(鈴木尚之)も読んだが、内田は満州時代に関しては複雑な思いを抱いていたようで、多くを語っていない。その意味でも、岸さんは、まさに“満映”の生き証人と言ってもいい人なのだ。
岸さんら、満映にいた多くの映画人は、戦後、中国に残り、共産党のプロパガンダ映画に携わりながら、中国の映画人に技術を伝えた。番組の中で、中国共産党がナチスドイツ同様、映像の力で民衆を啓蒙せんとして製作したプロパガンダ映画の『橋』(49)や『白毛女』(50)の一場面が映ったが、その迫力ある映像には驚かされた。映画は編集次第でどうにでもなることを改めて知らされたのだが、どんな題材でも、きちんと仕事をしてしまう、岸さんたちの職人としての性(さが)も同時に感じさせられて、複雑な思いを抱かされた。
ただ、北京市の朝陽にオープンした中国電影博物館の開館セレモニーに、日本人として唯一人招待された岸さんが、中国人の愛弟子たちと再会する場面を見ていると、映画作りは国境を超えるという、一縷の希望を感じることができた。