童謡誕生100年記念作品(何をもって童謡の起源とするのだろうか)として、詩人・作詞家の北原白秋(大森南朋)の半生を、作曲家・山田耕筰(AKIRA)との共同作業を中心に描く。
白秋を偉人ではなく、今で言う“ダメンズ”として描く半面、彼のリズム感にあふれた詩を、ラップのように解釈しているところが面白い。ただ、「からたちの花」と「この道」にスポットを当て過ぎた気もする。もっと他の歌も扱えば、彼らの共同作業の多面性が描けたはずだと思うのだが…。
また、白秋を中心に、与謝野鉄幹(松重豊)、晶子(羽田美智子)、鈴木三重吉(柳沢慎吾)ら、明治後期から大正の詩壇の群像が垣間見えるところもある。
ちなみに彼らの生年は、白秋:1885(明治18)年、耕筰(1886)、鉄幹(1873)、晶子(1878)、三重吉(1882)の他、石川啄木(1886)、高村光太郎(1883)、萩原朔太郎(1886)、室生犀星(1889)、菊池寛(1888)となる。
劇中、白秋と耕筰が、意にそわない校歌や社歌を多数作った場面が出てきたが、実はわが母校、高校の校歌は作詞・鉄幹、作曲・耕筰であり、大学の校歌は作詞・白秋、作曲・耕筰によるものだった。
白秋を偉人ではなく、今で言う“ダメンズ”として描く半面、彼のリズム感にあふれた詩を、ラップのように解釈しているところが面白い。ただ、「からたちの花」と「この道」にスポットを当て過ぎた気もする。もっと他の歌も扱えば、彼らの共同作業の多面性が描けたはずだと思うのだが…。
また、白秋を中心に、与謝野鉄幹(松重豊)、晶子(羽田美智子)、鈴木三重吉(柳沢慎吾)ら、明治後期から大正の詩壇の群像が垣間見えるところもある。
ちなみに彼らの生年は、白秋:1885(明治18)年、耕筰(1886)、鉄幹(1873)、晶子(1878)、三重吉(1882)の他、石川啄木(1886)、高村光太郎(1883)、萩原朔太郎(1886)、室生犀星(1889)、菊池寛(1888)となる。
劇中、白秋と耕筰が、意にそわない校歌や社歌を多数作った場面が出てきたが、実はわが母校、高校の校歌は作詞・鉄幹、作曲・耕筰であり、大学の校歌は作詞・白秋、作曲・耕筰によるものだった。