田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

“Bの恐怖”

2023-12-17 14:25:52 | 名画と野球のコラボ

“Bの恐怖”(2004.10.21.)


ビル・バックナー

 思えばオレのメジャーリーグ観戦歴もおよそ30年になる(まあテレビばかりだが)。そして初めてファンになったチームは何を隠そう(別に隠すこともないか)ボストン・レッドソックスだった。
 
 “最後の三冠王”ヤズことカール・ヤストレムスキーがまだ現役だったし、打撃陣ではほかにも強打のキャッチャー、カールトン・フィスク、新人王のフレッド・リン、強打のジム・ライス、ドワイト・エバンス、ジョージ・スコット、リック・バールソンら魅力的なラインアップが並んだ。

 投手陣にはファーガソン・ジェンキンス、ルイ・ティアント、ビル・リー、リック・ワイスらがいた。何かニューヨーク・ヤンキースよりも渋くて好きだったのだ。

 ナショナル・リーグは、デイビー・ロープス、ビル・ラッセル、レジー・スミス、ロン・セイ、スティーブ・ガービー、リック・マンデー、ダスティ・ベイカー、スティーブ・イェーガーというラインアップの打撃陣と、ドン・サットン、バート・フートン、トミー・ジョン、リック・ローデン、ダグ・ロウ、チャーリー・ハフという投手陣がそろったロサンゼルス・ドジャースが好きだった。1970年代半ばから後半のこと。

 ひいきは、”鉄砲肩”と渋いバッティングを見せたエバンスで、その後ヒゲをたくわえたのも彼の影響があったせいかもしれない。レッドソックスのキャップを愛用していた時期もあった。それからいろいろありまして…。

 さて“バンビーノの呪い(Curse of the Bambino)”とは別に、“Bの恐怖(TerribleB)”というのもある。もちろんBはボストン(Boston)のBなのだが、まずは1919年、バンビーノことベーブ・ルース(Babe Ruth)のニューヨーク・ヤンキースへのトレードから始まる。

 そして、78年のプレーオフでレッドソックスに引導を渡すサヨナラホームランを放ったのがヤンキースのバッキー・デント(Bucky Dent)、86年のニューヨーク・メッツ相手のワールドシリーズで、優勝まであと1アウトとしながら、平凡なファーストゴロをトンネルし、不幸にもシリーズの流れを変えてしまったのがビル・バックナー(Bill Buckner)、そして05年のリーグチャンピオンシップ最終戦でサヨナラホームランを放ったのがヤンキースのアーロン・ブーン(Aaron Boone)…。

 そう、彼らレッドソックスに“あと一歩の悲しみ”をもたらした面々は、みんなイニシャルのどちらかににBがつくのだ(中でも哀れなのがバックナー、ダブルBだ!)。それで誰が言い始めたのかは定かではないが、“Bの恐怖”となったらしい。

 今日の試合前、3連勝後3連敗し、逆に追い詰められたヤンキースが、このジンクスを意識したとも思える始球式を行った。投げるは先のバッキー・デント、受けるは殿堂入りの名捕手ヨギ・ベラ(Yogi Berra)どちらも“Bの人”である。この光景を見ていてヤンキースのあせりを感じた人も少なくあるまい。

 で、結果はレッドソックスの大勝。やはり何事も最後まであきらめてはいけない。それから“流れ”というやつも一度変わるとなかなか止められない怖いものだなあと思った。これは人生にも通じること。まあヤンキースが勝っていれば松井秀喜のMVPもあったかもしれないが…。

 さてレッドソックスが本当に“バンビーノの呪い”やら“Bの恐怖”から解放されるか否かはワールドシリーズ次第。まだ分からない。


 衛星放送もインターネットもなかった時代。こういうガイドブックが大いに役立った。

 

 表紙の写真は、上から、レジ―・ジャクソン(ニューヨーク・ヤンキース)、ロッド・カルー(ミネソタ・ツインズ)、ビリー・マーティン監督(ヤンキース)、スティーブ・ガービー(ロサンゼルス・ドジャース)、ピート・ローズ(シンシナティ―・レッズ)

 

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野茂の黄昏、“バンビーノの呪い”

2023-12-17 12:41:05 | 名画と野球のコラボ

野茂の黄昏(2004.9.9.)

 ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄が久々に勝ち投手になったゲームを見たのだが、トルネードと呼ばれた体の捻りもほとんど見られず、往年の彼を知る者にとってはいささか寂しい光景だった。去年はあんなに素晴らしかったのに…。

 実は以前のトレードの時もマイナー落ちした時もそれほど心配はしていなかったし、野茂もまた見事に復活してきた。だが今回はちょっと深刻な気がする。

 恐らく日本人メジャーリーガーのパイオニアとなった野茂の存在がなければ、今のイチローも松井秀喜もメジャーにはいなかったかもしれないが、人は必ず老いる、そしてスポーツ選手は力が衰えたら引退しなければならないという事実がついに野茂にも忍び寄ってきたということか。

 ただ、伊良部秀輝や佐々木主浩のように日本に戻ってまでプレーをせず、メジャーリーガー野茂として完結してほしいと思うのはファンの勝手なエゴなのか。


“バンビーノの呪い”(2004.10.20.)

 シアトル・マリナーズのイチローが84年ぶりにシーズン最多安打の新記録を達成したと思ったら、今度はボストン・レッドソックスが85年ぶりに“バンビーノの呪い”から解放される可能性が出てきた。

 バンビーノとは、かのベーブ・ルースのこと。つまりレッドソックスは、1919年にルースをニューヨーク・ヤンキースにトレードしてからワールドシリーズを制覇していないので、それがルースの愛称から“バンビーノの呪い”といわれる。

 何度か惜しいところまでは行ったのだが、何故か最後のツメを誤ってしまう。そこがまたかわいい? とファンは思うらしいが、多くのオールドファンは生きている間に優勝を見られなかった。

 今年もリーグチャンピオンシップでいきなりヤンキースに3連敗して、またかと思わせたものの、2試合続けての延長サヨナラ勝ちを含む3連勝でついにタイに。なんだか神がかってきた。いよいよ明日決着。

 でも、この後ワールドシリーズもあるのだから、まさに10月のメジャーリーグはテンコ盛り。

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ドジャース野茂英雄、メジャー初勝利

2023-12-17 11:56:36 | 名画と野球のコラボ

大谷翔平のドジャース入りを見ながら、野茂英雄のことを思い出した。

ドジャース野茂英雄、メジャー初勝利(1995.6.2.)


当時、ロス土産として知り合いからTシャツをもらった。

 1995年6月2日。ロサンゼルス・ドジャースとニューヨーク・メッツの一戦。最後のセカンドゴロをデライノ・デシールズがさばき、野茂英雄が8回をボビー・ボニーヤの本塁打による1失点に抑え、7度目の登板で遂にメジャー初勝利を挙げた。

 その瞬間、監督のトミー・ラソーダが、ピッチングコーチのデーブ・ウォレスが、満面の笑みを浮かべながら、マウンドから降りてきた彼を迎えた。

 この、マッシーこと村上雅則(サンフランシスコ・ジャイアンツ)以来、実に30年ぶりとなる日本人投手の勝利を支えたのは、アメリカ人はもとより、プエルトリコやメキシコ出身者らによる人種混合のチームメートたちであり、力のあるものは認めるというアメリカの懐の深さによるものだ。

 残念ながら、日本のプロ野球チームが、来日した外国人選手たちにこうした姿勢を示したことはなく、腰掛け的な“助っ人”という言葉はいつになっても死語にならない。また、相撲のハワイ勢に至っては、国籍を捨てなければ相撲界には残れない。

 そうした日本のプロスポーツ界の閉鎖性が、野茂の快挙の裏側で反面教師のように見え隠れするのは悲しいことだ。もちろん、アメリカが全て正しいとは思わない。今回のストライキなどは、アメリカのスポーツ界が抱える、金銭にまつわる問題の大きさを改めて感じさせるものだったし、人種差別が日本の比ではないことも分かっている。

 ただ、たとえこれが希少な例であったとしても、全くないよりはいいに決まっているし、そうした瞬間をわれわれ観客はもっと見たいのだ。そして、腐ってもメジャーリーグにはまだその可能性があることが今日証明された。


1995.10.13.
「驚きももの木20世紀」「遥かなるメジャーリーグ」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/92419c1175fc0fda1fe8831e7f80b1b5

2001.6.20.
ドジャースタジアム
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/4294ae6790d08c6e5bacac932c98fca9

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