田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ディア・ハンター』

2016-07-09 08:00:44 | 映画いろいろ

「ディア・ハンター」(78)(1982.2.26.丸の内松竹)



 期待通りの素晴らしい映画だった。けれども何と悲しい映画なのだろう。監督のマイケル・チミノは「ベトナム戦争をテーマにこの映画を作ったわけではない」と語っているようだが、その言葉通りだとすれば、彼の監督としての力量は相当なものだと思う。友情をメインに描きながら、そこにベトナム戦争の悲惨さが自然に浮かび上がってくるのだから。

 前半はペンシルバニアの田舎町を舞台に、製鉄工場で働く若者たちの生活が丁寧な牧歌調で描かれる。見ながらジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(73)を思い出したりもする。仲間たちのリーダー格のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)は、“一発必殺(ワンショット)”を目標に鹿狩りに情熱を傾ける。そんな彼にはどこか狂的なところが見られる。対照的に親友のニック(クリストファー・ウォーケン)はクールな男だ。この二人のキャラクター設定は、後に大きな意味を持つ。

 そして、ベトナムへの出征を同時に祝うスティーブン(ジョン・サページ)の結婚式。グラスの中身を一滴もこぼさずに飲み干せば幸福になれるという儀式の時に、花嫁のドレスにわずかにこぼれた赤い酒に、やがて起こる悲劇の予兆が示される。

 一転、ベトナムでの地獄絵図となる。前半の故郷の風景があまりにも和やかで、楽しげだったために、戦場の描写は一層強烈なものとして映る。中でもロシアンルーレットの場面は圧巻である。この場面が生み出す一種異様な緊張感はすさまじいものがあった。

 そして予兆通りに、彼らの人生は大きく狂っていく。ニックはベトナムで行方不明になり、スティーブンは半身不随の身となって帰国。マイケルも心に大きな傷を受けて帰国する。

 故郷へ帰ったマイケルを明るく迎える仲間たち。だがもはや牧歌の時代は去り、戻るすべもない。それは、再び鹿狩りに行った際のマイケルの変化に象徴される。あれほど一発必殺にこだわったマイケルが向かい合った鹿を撃てなくなっている。さらに、互いの寂しさを紛らわすかのように、ニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)との仲も深まっていく。あのベトナムの地獄がマイケルを変えてしまったのだ。

 だが、変わってしまったのはマイケルだけではない。結婚し、幸福をつかんだはずのスティーブンは車いすでの生活を強いられ、ニックは精神を病み、あのロシアンルーレットの奴隷になってしまう。この映画は、たとえベトナムの描写に誇張があるとしても、三人の激変を見せることで、立派な反戦映画になっている。

 後半は、なんとかニックを捜し出し、故郷に連れ帰ろうとするマイケルの姿が描かれる。だが再会したニックはもはや昔の彼ではなかった。友を思い、感情をあらわにし必死に説得を試みるマイケル。だが、ニックは平然とロシアンルーレットを行い、一発必殺を唱えながら命を落とす。前半で示されたマイケルとニックのキャラクターの激変が、戦争はこんなにまで人間を変えてしまうのだということを実感させる。恐ろしくも悲しいシーンだ。

 ラストシーンはニックの葬儀。残された仲間たちのそれぞれの思いが切なく映る。もはや牧歌から挽歌になった彼らの人生。そこで歌われる「ゴッド・ブレス・アメリカ」の何と皮肉に聞こえることか。

 その後のカーテンコール(かつてのみんなの笑顔)のバックに流れる、スタンリー・マイヤーズ作曲、ジョン・ウィリアムズのギター演奏による「カヴァティーナ」はとてつもない名曲だと感じた。そして、ジョン・カザールはこの映画が遺作になってしまった。残念。

それから30数年後に書いた『ディア・ハンター』↓
http://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/396b0472556c8efe4248be62f91d2228

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『天国の門』

2016-07-08 08:00:47 | 映画いろいろ

『天国の門』(80)(1982.11.1.蒲田パレス座.併映は『タップス』『未知への飛行』

ひたすら『ディア・ハンター』の影を見る

 『ディア・ハンター』(78)の夢よもう一度と、かなりの期待を持って見たのだが、残念ながら空回りの大作という印象を受けた。『ディア・ハンター』で見事な人間ドラマを展開させたマイケル・チミノが、この映画では空回りの連続なのだ。

 物語の手法は『ディア・ハンター』同様、初めに若き日々、楽しき日々を見せておいて、一転、極限状態を展開させ、ラストは心に傷を受けた、取り残された主人公を置くというものだが、一つの一つのエピソードが長過ぎる割にはつながらず、要領を得ない。何かが欠けている。 

 『ディア・ハンター』におけるベトナム戦争と、この映画の西部開拓史上のジョンソン郡戦争とでは全く舞台や時代が異なるものの、その中での人間が描き切れていれば、背景はあまり関係ないはずだ。

 しかも、この映画のジェームズ(クリス・クリストファーソン)とビリー(ジョン・ハート)の関係は、『ディア・ハンター』のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)とニック(クリストファー・ウォーケン)と重なる部分があり、エラ(イザベル・ユペール)をめぐるジェームズとネイサン(ウォーケン)との三角関係という展開も、『ディア・ハンター』のリンダ(メリルストリープ)をめぐる関係と似ている。ただし、どちらも『ディア・ハンター』ほど深くは描かれていないのがこの映画の弱点なのだ。

 俺が『ディア・ハンター』に打ちのめされたのは、友情や愛と言うテーマが見事に描き込まれていたからであって、あの映画が描いたベトナム戦争の描写に感動したわけではない。

 そう考えると、この映画は、マイケル・チミノが『ディア・ハンター』の影を消し去ろうともがきながら、結局その影を引きずってしまった結果なのではないだろうかと思えてくる。

 ただし、あくまでも好意的にチミノを捉えるとするならば、この映画は『ディア・ハンター』から脱却し、新たな映画を作っていくための壮大なステップだったと考えられなくもない。『ディア・ハンター』に続いてビルモス・ジグモンドの撮影が見事だった。

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『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』

2016-07-07 08:00:11 | 映画いろいろ

『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)(1986.1.22.イイノホール)

マイケル・チミノは損をしている

 ニューヨークのチャイナタウンを舞台に、勢力の拡大を狙うチャイニーズ・マフィアの若きボス(ジョン・ローン)と、ベトナム戦争の体験から黄色人種に憎悪を抱く一匹狼の刑事(ミッキー・ローク)の戦いを描く。

 マイケル・チミノは損をしている。若いうちに『ディア・ハンター』(78)などというとてつもない映画を撮ってしまったおかげで。見る側はさらにその上を求めてしまうからだ。

 とは言え、この映画の出来はそれほど悪くはない。前作『天国の門』(80)に比べれば飽きずに見られるし、激しいバイオレンスシーンや、チャイナタウンの祭りなどに見られるお得意の群衆シーンも見事である。

 また『ディア・ハンター』『天国の門』とこの映画を、チミノの“エスニック(少数民族)三部作”として捉えれば、なぜ今回は中国系、ポーランド系のエスニックを主役に据えたのかも納得できる。さらにベトナム戦争へのこだわりもデビュー作の『サンダーボルト』(74)から貫かれている。このあたりは、チミノの一貫性が感じられて思わずうれしくなる。

 と言う訳で、この映画から“チミノ復活”を感じなくもないのだが、前作『天国の門』で露呈されてしまったストーリーテラーとしてのまずさは解消されてはいなかった。

 アリアーヌを交えてのいつもの三角関係はまだしも、対立する二人の主人公の関係が描き切れていないのに反して、ラストに二人の決闘を持ってきたところには少々無理があった気がする。もっともそうしたまずさをもろともせず、映像の力で見せ切ってしまうところがチミノの面目躍如なのだが。

 ただ、見る側には『ディア・ハンター』のチミノのイメージが強過ぎるから、ちょっとやそっとの映画では満足できないのだ。やはりマイケル・チミノは損をしている。

 後記:この映画は『ディア・ハンター』に続いて、今は亡き年上の“映画の友”と一緒に見た。彼はカメラマンだったので「アリアーヌの部屋のインテリアが素晴らしかったね」とビジュアル的な印象も語ったが、無類のチミノファンでもあったので、「みんなチミノがどうすれば満足するんだろう。彼に多くを求め過ぎなんじゃないかな」と言っていたことを懐かしく思い出した。

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『シシリアン』

2016-07-06 08:00:48 | 映画いろいろ

『シシリアン』(87)(1988.6.21.丸の内ルーブル)

ロマンチスト、チミノ

 イタリア・シチリア島に実在した山賊、サルバトーレ・ジュリアーノの波乱に満ちた生涯を描く。これまでのマイケル・チミノは、デビュー作の『サンダーボルト』(74)を除けば、形こそ違え、アメリカにおけるエスニック(少数民族)の姿を描き続けてきた。そして、とうとう移民の一つの象徴として、イタリア系アメリカ人のルーツであるシシリーを舞台にした映画を撮ってしまった。

 彼が、何故ここまでエスニックにこだわり続けるのかは分からないが、エスニックを描くことについて、彼自身がイタリア系アメリカ人であるということだけでは説明できない、異様な執念のようなものを抱いているのだろうと推察する。

 この映画の原作は『ゴッドファーザー』(72)のマリオ・プーゾ。それもあってか、チミノはこれまでの映画よりもさらに深い部分までエスニックの問題に迫ろうとしている。ところが、意外なことに、この映画では彼のロマンチストとしての側面の方が際立ってしまっている。

 もちろん、男同士の友情を描くという点では、『サンダーボルト』(74)に始まって、『ディア・ハンター』(78)『天国の門』(80)ですでに証明済みであり、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)も見方によっては友情の裏返しを描いたと言えなくもなかった。それらをロマンチックな設定だったとするならば、この映画から急にチミノがロマンチストになったというわけではないのだが…。

 今回は、血なまぐさいドラマであるにもかかわらず、クリストファー・ランバート演じるジュリアーノを、謎を含んだヒーローとして描いたのをはじめ、彼に絡むマフィアのボス(ジョシュ・エクランド)や相棒(ジョン・タトゥーロ)、女たち、あるいはテレンス・スタンプ演じる貴族の姿を、ロマンチック味たっぷりに描いていると感じさせられた。

 と言う訳で、舞台がアメリカではないことを差し引いても、これまでのチミノの映画とは異質の感を受けた。従って、イタリア系アメリカ人のルーツやマフィアの根の部分に迫る、というチミノの意図は分かりながらも、どうしても、ジュリアーノの義賊としての魅力の方に目が行ってしまう。これはチミノがジュリアーノという人物に引きずられて、あまりにもかっこよく、ロマンチックに描き過ぎてしまった結果なのだろうか。

 何だか『ディア・ハンター』以降のチミノには、肩透かしばかりを食らっているような気がするし、見終わった後で何か物足りなさを感じてしまうのも否めないのだが、それでも、彼が撮った映画は見逃したくないと思わされる。何とも厄介な監督である。

後記:先日見たクロード・ルルーシュ監督作『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』で久しぶりにクリストファー・ランバートと再会。あまりの変わりように驚き、時の流れを感じさせられた。

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『逃亡者』

2016-07-05 08:14:22 | 映画いろいろ

『逃亡者』(90)(1991.2.2.松竹セントラル

頑張れ! お抱え監督チミノ

 女性弁護士(ケリー・リンチ)と恋に落ちた凶悪犯(ミッキー・ローク)が脱獄し、彼女を待つため、ティム(アンソニー・ホプキンス)の家に乱入し、一家四人を人質にして取り立てこもる。

 デビッド・マンスフィールドによる、バーナード・ハーマン風の音楽が印象的なファーストシーンから、これまでのマイケル・チミノの監督作とは全く異質の映画が展開していく。そこには、彼がひたすらこだわってきたエスニック(少数民族)の姿も、ベトナムの影もない。

 もちろん、この映画は昔々のウィリアム・ワイラー監督作『必死の逃亡者』(55)のリメイクなのだから、もともと、そうしたチミノのこだわりが出せる素材ではないのだが…。

 と、最初のうちは、『天国の門』(80)の興行的な大失敗からハリウッドを追われ、イタリアの大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスに拾われ、自称“お抱え監督”にならざるを得なかったという状況が、ついには彼からこだわりすら失わせてしまったのか、と少々哀れに思いながら見ていた。

 ところが、話が進んでいくうちに全く違う印象が浮かんできた。リメイク作故か、チミノの欠点であるストーリーの散漫さが解消され、失われた父権や女性の社会進出といった今日的なテーマを盛り込んだユニークなサスペンス劇として仕上がっていたのである。

 きっとチミノはどこかで開き直ったのだろう。そうでなければ、これまでの彼の作風とは180度違う映画は撮れないはずだ。だが、だからと言ってそれを誰が責められよう。『ディア・ハンター』(78)の天国から『天国の門』の地獄へと、これほど短期間に評価が変転した監督も珍しいし、それに続く冷遇の日々を思えば、まだこらえて映画を撮り続けていることが不思議なぐらいなのだから。

 となれば、例えば「金田一耕助シリーズ」を撮りながら、さまざまな実験を試み、再び花開いた市川崑のように、ここは一つ“お抱え監督”という立場を最大限に利用して、彼を捨てたハリウッドを見返してやってはどうだろう。

 この映画で最も美しかった「赤い河の谷間」のシーンを見ながら、そんな思いが浮かんできた。それにしても、チミノという監督は、なぜでこうまで好意的な感情を抱かせるのだろうか。不思議な監督である。

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マイケル・チミノが亡くなった… 『心の指紋』

2016-07-04 20:34:28 | 映画いろいろ

 マイケル・チミノが亡くなった。彼が脚本を書いた『サイレント・ランニング』(72)『ダーティハリー2』(73)、監督作の『サンダーボルト』(74)『ディア・ハンター』(78)『天国の門』(80)『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85)『シシリアン』(87)『逃亡者』(90)『心の指紋』(96)。

 振り返れば、そのほとんどをリアルタイムで見ている自分がいた。『天国の門』以降は、どの映画にももどかしさを感じさせられ、散々文句を述べてきたのだが、多分、大好きな監督の一人だったのだ。そこで、追悼の意を込めて、その監督作をさかのぼりながら、俺の中のマイケル・チミノを振り返ってみようと思う。

『心の指紋』(96)(1997.8.27.シネスイッチ銀座



 『逃亡者』(90)以来、9年ぶりのマイケル・チミノ監督作。その復活を喜ぶ半面、今回もテーマが大き過ぎて、本来の狙いであったと思われる“寓話”に成り切れていないと感じさせられた。つまりチミノのストーリーテラーとしての支離滅裂さは、残念ながら今回も解消されてはいなかったのである。

 だが、またしてもアメリカにおけるマイノリティ(今回はインディアン)にこだわった頑固さも同時に示され、『ディア・ハンター』以後、どうもこの人の映画には過度に思い入れてしまう、というこちらの弱点を刺激してはくれた。

 大筋は、ニューシネマ時代をほうふつとさせる二人の男による旅の物語。凶悪犯で末期がんに侵された若者(ジョン・セダ)と、彼に誘拐されたエリート医師(ウディ・ハレルソン)が、病を癒やす、というインディアンの聖地を目指す中で、心を通わせていく様子が描かれる。

 見方によっては、インディアンに対する白人の贖罪の念を表しているとも取れるのだが、若者への思いが変化していく過程での医師の心情の描き方が中途半端な印象を受けた。

 チミノの映画は、友情にしろ対立にしろ、総じて描いているのは男同士の精神的な恋愛なのだが、『天国の門』以降は、独りよがりの強引さが目立ち始め、この男たちはなぜこの行動に走るのか? と、分かったような分からないようなもどかしさを感じさせられるようになった。

 この映画も、ラストの美しい聖地の情景と奇跡の達成に心を奪われながらも、その奥で、またしても全てが解放されないもやもやが残ってしまった。

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『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』

2016-07-04 08:03:47 | 新作映画を見てみた

ディズニー版『時をかける少女』



 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』を基に製作された『アリス・イン・ワンダーランド』(10の続編。

 帰らぬ家族をひたすら待ちながら衰弱していくマッドハッター(ジョニー・デップ)を救うべく、アリス(ミア・ワシコウスカ)が時をさかのぼり、過去を変えようとするが…。

 色鮮やかな映像の中で繰り広げられるアリスと時間の番人タイム(サシャ・バロン・コーエン)との対決を通して、「過去を変えることはできない。過去は変えるものではなく、そこから学ぶもの」という結論を導き出す。

 と言う訳で、この映画、ディズニー版の『時をかける少女』の趣があるが、もともと筒井康隆の原作が『不思議の国のアリス』の影響を受けていたとも考えられる。

 前作を監督したティム・バートンが製作に回り、今回はジェームズ・ボビンが監督をしているが、全体的にちぐはぐな印象を受けた前作に比べると今回は「ワンダーランドとはアリス自身の心象風景の投影なのだ」ということが良く分かる仕組みになっている。

 ただし、エリザベス(ヘレナ・ボナム・カーター)の頭がなぜ大きいのかの理由付けには、ちょっといただけないものがあったが…。

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『ソング・オブ・ラホール』『はじまりはヒップホップ』

2016-07-03 10:27:42 | BIG ISSUE ビッグイシュー

THE BIG ISSUE JAPAN ビッグイシュー日本』290に、音楽にまつわるドキュメンタリー映画『ソング・オブ・ラホール』『はじまりはヒップホップ』のレビュー掲載中。



 片や『ソング・オブ・ラホール』は、パキスタンの都市ラホールで伝統音楽を奏でる音楽家たちが結成した「サッチャル・ジャズ・アンサンブル」が、世界中で評判となるまでの紆余曲折を描いている。キャッチコピーは「スイングしなけりゃあとがない!」

 こなた『はじまりはヒップホップ』は、ニュージーランドの小さな島ワイヘキで結成された平均年齢83歳のダンスグループが、ラスベガスで開かれる世界大会に出場するまでを描いている。

 どちらも人と音楽との関わりを映したユニークな内容になっている。



 街で販売員の方を見掛けましたら、ぜひお買い求めください。表紙は『ニュースの真相』のロバート・レッドフォードです。

ビッグイシュー日本のホームページは↓
http://www.bigissue.jp/latest/index.html

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【ほぼ週刊映画コラム】『ブルックリン』

2016-07-02 17:47:33 | ほぼ週刊映画コラム
エンタメOVOに連載中の
『ほぼ週刊映画コラム』

今週は

二つの国、二人の男の間で揺れる女心を描いた
『ブルックリン』




詳細はこちら↓

http://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/column/week-movie-c/1057677
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