「ディア・ハンター」(78)(1982.2.26.丸の内松竹)
期待通りの素晴らしい映画だった。けれども何と悲しい映画なのだろう。監督のマイケル・チミノは「ベトナム戦争をテーマにこの映画を作ったわけではない」と語っているようだが、その言葉通りだとすれば、彼の監督としての力量は相当なものだと思う。友情をメインに描きながら、そこにベトナム戦争の悲惨さが自然に浮かび上がってくるのだから。
前半はペンシルバニアの田舎町を舞台に、製鉄工場で働く若者たちの生活が丁寧な牧歌調で描かれる。見ながらジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(73)を思い出したりもする。仲間たちのリーダー格のマイケル(ロバート・デ・ニーロ)は、“一発必殺(ワンショット)”を目標に鹿狩りに情熱を傾ける。そんな彼にはどこか狂的なところが見られる。対照的に親友のニック(クリストファー・ウォーケン)はクールな男だ。この二人のキャラクター設定は、後に大きな意味を持つ。
そして、ベトナムへの出征を同時に祝うスティーブン(ジョン・サページ)の結婚式。グラスの中身を一滴もこぼさずに飲み干せば幸福になれるという儀式の時に、花嫁のドレスにわずかにこぼれた赤い酒に、やがて起こる悲劇の予兆が示される。
一転、ベトナムでの地獄絵図となる。前半の故郷の風景があまりにも和やかで、楽しげだったために、戦場の描写は一層強烈なものとして映る。中でもロシアンルーレットの場面は圧巻である。この場面が生み出す一種異様な緊張感はすさまじいものがあった。
そして予兆通りに、彼らの人生は大きく狂っていく。ニックはベトナムで行方不明になり、スティーブンは半身不随の身となって帰国。マイケルも心に大きな傷を受けて帰国する。
故郷へ帰ったマイケルを明るく迎える仲間たち。だがもはや牧歌の時代は去り、戻るすべもない。それは、再び鹿狩りに行った際のマイケルの変化に象徴される。あれほど一発必殺にこだわったマイケルが向かい合った鹿を撃てなくなっている。さらに、互いの寂しさを紛らわすかのように、ニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)との仲も深まっていく。あのベトナムの地獄がマイケルを変えてしまったのだ。
だが、変わってしまったのはマイケルだけではない。結婚し、幸福をつかんだはずのスティーブンは車いすでの生活を強いられ、ニックは精神を病み、あのロシアンルーレットの奴隷になってしまう。この映画は、たとえベトナムの描写に誇張があるとしても、三人の激変を見せることで、立派な反戦映画になっている。
後半は、なんとかニックを捜し出し、故郷に連れ帰ろうとするマイケルの姿が描かれる。だが再会したニックはもはや昔の彼ではなかった。友を思い、感情をあらわにし必死に説得を試みるマイケル。だが、ニックは平然とロシアンルーレットを行い、一発必殺を唱えながら命を落とす。前半で示されたマイケルとニックのキャラクターの激変が、戦争はこんなにまで人間を変えてしまうのだということを実感させる。恐ろしくも悲しいシーンだ。
ラストシーンはニックの葬儀。残された仲間たちのそれぞれの思いが切なく映る。もはや牧歌から挽歌になった彼らの人生。そこで歌われる「ゴッド・ブレス・アメリカ」の何と皮肉に聞こえることか。
その後のカーテンコール(かつてのみんなの笑顔)のバックに流れる、スタンリー・マイヤーズ作曲、ジョン・ウィリアムズのギター演奏による「カヴァティーナ」はとてつもない名曲だと感じた。そして、ジョン・カザールはこの映画が遺作になってしまった。残念。
それから30数年後に書いた『ディア・ハンター』↓
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