夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

今日から、老人になりました!

2018-03-13 20:39:38 | 日記・エッセイ・コラム

         今日から、 老人になりました!

 今から六十五年前   三月十三日の朝 2300グラムのやや小さめの女の子が、

旧家の納戸で産声を上げました!

取り上げたのは、産婆の大嶽さん。

 お爺さんの萬作さんは、喜んで「おらぁ家は女の子を拾ったよ!

御観音さんのお祭りには、花火を上げてお祝いするだ!!」と朝早くから、

あちこち触れて回ったそうです!

 伯父の勤めている会社にまで電話をして、事務員さんにГ女の子が産まれた!」と伝言。

後で事務員さんが、Гたしか、女の子が産まれた。と大喜びをしていましたが、男の子ならばともかく…

聞き間違いでしょうか?」と上司の伯父に伝えると、

「上に男の子が三人もいるんだよ!」と説明。

 事務員さんも納得の、お目出度い女児誕生の話。

眼の中に入れても痛くない程の可愛がられようで、

田舎のお嬢様として育ちました。

                            家の中に咲く花

       自分でも、同い年の幼なじみ達に比べると、かなり温室育ちだと思います!

  江戸時代に建てられた古いお屋敷の、マスコットと言った所でしょうか!?

祖父が製茶工場を経営していましたので、男女を問わず、人も沢山使っていました。

    当時としては裕福な方だったと思います。

六十年以上前ですが、金髪の長い髪に青い眼をした、抱いて寝かすと眼を閉じる西洋人形を持っていました!

大流行した『だっこちゃん』と言う黒いビニール製のお人形も、

祖父が静岡市の玩具屋で行列に並んで、買って来てくれました。

 夕食事には、私の席は家長の祖父の膝の上。

好物は、祖父の酒の肴の酢蛸や鮪のお刺身。

 貴重品だったバナナやカステラ等も、病弱な祖母への見舞いの品として届いていましたので、私もお裾分けを頂いていました。

家には、代金が田んぼ一枚と同じと言われていたテレビや、ダイヤル式の黒電話も有りました!

 初節句のお雛様は、御殿雛です。

今思うと、これらの幸せな生活は、両親が早くいなくなる前触れだったような気もします。

                         大きな家には大きな荷物

13才の時に父親が急逝すると、43才の母親と二十歳の長兄とでは、製茶工場を切り盛りするのは、到底無理と言う事で、

製茶工場は廃業して、お茶とミカン、野菜、米等の専業農家になりましたので、

それまでの温室の中の生活とは百八十度変化しました。

物心付いてからの私の人生は、人から見たら、波乱万丈?

   自分で望んだ訳でも無いのですが、苦労の連続でした。

半世紀以上の付き合いの学生時代からの友人は、

『私の二倍人生を生きているタンポポさん』と表現して、いつも応援してくれます。

 

  長いような、あっと言う間のような64年間。暦の上だけで無く、私は名実共に、お婆さんになりました。

今日も息子一家と夕食を共にしました。

 孫息子はもうかなり難しい漢字もスラスラ書けるようになっています。

息子たちは46才で逝った父の年に近付き、孫たちは小学校一年生から六年生迄の六人。

私も母の享年67才も目前です。

後何回誕生日を迎えることが出来るのかしら?と漠然とした不安を覚えはしますが

 正直年を重ねるのは、嫌いではありません。

両親がなれなかった『年寄り』を経験するのが楽しみです。

 目標は、母親の享年67才を超えること。

ブログを通して知り合った素敵な先輩方を見習って、

  私らしい老人生活

楽しいタンポポおばあさんを楽しみたいと思います!

 

 

 

 

 

 



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