とても美しい月が出ています。
満れば欠くるは世の習い
満月を過ぎれば次第に欠けて行きます。
富士山頂の美しい姿です。
頂上にたどり着いたら、降りるしかありません。
一番上に達すると同時に下り坂になるのです。
満れば則ち欠く
何時覚えたのか思い出せない程早くから耳にしていました。
きっと祖母が口癖のように私に教えていたのだと思います。
幸せも財産も子供や孫や家業が順調な事や家内中の健康や何もかも全部揃ってしまうと後は失うだけ。
中位の家柄は滅亡しない。
オレンチャン=俺が一番
と思い込んでいる人を馬鹿にして呼ぶ言葉(富士市で初めて知りました。)
オレンチャンに本当のことを言う人はいない。
オレンチャンの人は孤独。
月は欠ければまた大きくなって来ます!
何か一つ位頂上を目指して頑張ってみましょうか
寒くなって来ると無性に編み物をしたくなる。
直に霜月を迎えようとしている。
衣替えをしていると手編みのセーターやカーディガン、ベスト、帽子等を捨てないで保存してある衣装ケースに目が行く。
解いて、洗って、蒸して、伸ばして、もう一度糸巻きをして編み直す。昔ならそんな当たり前の作業を先送りにしてもう何年?
編み機二台とカラーチェンジャーは三階のロフトにしまい込んだままになっている。
リハビリにも丁度良い材料だし、思い出の染み込んだ毛糸達だ。
太い竹針でざくっと編んでみたくなった。
編み物は読書と同じ位大好きで、履歴書等にも必ず趣味『編み物』と記入していた。
編み棒も持てない冬も何度か越した。
手編みなら手が覚えているような気がする。
手の動きの訓練にもなりそうだし
早速手編みに挑戦することにしよう!
子供を大きな樹にしようと思ったら、いつまでも親が木陰を作っていては駄目だ。
隠居とか、勇退とか、後進に道を譲るとか、日本には良い言葉も方法も沢山ある。
先日若林正人さんの講演を聞く機会がありました。
もう七十五才だそうです。
彼は東大出身で最初は、東京銀行で同期のトップを走っていたようです。
ご存知のように配慮を欠く久米さんのキャスターになって、ボロボロ。
当時は久米さんにいじられている若林さんが気の毒で見ていられませんでした。
彼の話で興味深かったのは、Г六十才過ぎて東大の同窓会に行くと、若い頃早く出世して、つっかえ棒が必要な位そっくり返っていた人たちが、子供が愚劣てしまってシュンとしている。」と言う話でした。
ギラギラと子供の頃から親に陽が当たっているので、子供が干からびてしまうと言う表現をしていました。
どちらにせよ親が大き過ぎる存在だと子供の為には良くないと言う話でした。
子供さんを赴任先のドイツで病気で亡くしていらっしゃるそうです。
親の仕事の犠牲になったとしんみりなさっていました。
ドイツでは学年でトップの成績だった子供さん達は日本では二年間不登校になってしまったそうです。
それで次はヨーロッパに単身赴任。
そんなことがあったので、キャスターに転身なさったのでしょうか?
さて今話題の八十才の転身。
周囲に配慮を欠く困った殿様のように思います。
今までのやりかけの仕事の整理は誰が責任を持って片付けるのでしょうか?
憲法を変える事が大切で、震災、原発なんて大したことではない。と言っていました。(私は先ず震災からの復興、原発の安全性の確保。を優先して欲しいと思います。)
自分程偉い人間はいないと思い込んでいるように思えます。
彼に近づいている人々は、政策よりも選挙に勝つのが大切な寄り合いみたいに思えます。
大きな樹の下には小さな木しか育たない。
子供さん「僕のパパは偉いんだぞ」
Гパパ、仇を取ってよ!」なんて言っていないと良いのですが..
日本の将来を憂えているような今日の富士山です。