三國清三シェフの名前を聞いたことはありますか?
フランス料理の世界では、日本はもちろん、
世界的にも非常に有名な方で、
日本では「オテル・ドゥ・ミクニ」というレストランのオーナーシェフです。
北海道の増毛町という、本当に海しかない町の出身で、
そこから札幌グランドホテル→帝国ホテルでのアルバイト→
スイスのジュネーブ大使館での料理長となり、
そこからヨーロッパの有名店で修業され、
日本に帰国後、オテル・ドゥ・ミクニを開業、という経歴です。
中学卒業後、札幌に出てきて、
そこで夜間の調理学校に通いながら、
札幌グランドホテルに就職し、
料理を学びたいと思った三國シェフ。
当時、札幌グランドホテルでは、中卒の学歴では
正社員として採用はできなかったのですが、
どうしてもそこで働きたかった三國少年は、
調理学校のテーブルマナー講習でグランドホテルに入った際、
集団を抜け出し、シェフが集まる部屋に忍び込んで、
シェフの中で一番のボスを見極め、
そのボスに対し、「ここで働かせてほしい」と直談判。
当時15歳の少年が真剣な目で、
「自分は前に進むしかないんです。
何てもします。
どうか働かせて下さい」
とシェフのボスに頼み込んで、雑用からスタートしたのですね。
そして与えられた仕事をこなすだけでなく、
仕込みをやっているおばさんたちに可愛がってもらい、
鶏の捌き方を教わったり、
誰もが嫌がる鍋洗いを率先してやったりして、
皆に可愛がってもらえるようになり、
技術をマスターしていきました。
そして札幌グランドホテルの正社員になり、
まだ若いのにも関わらず技術を習得し、
先輩たちよりも仕事ができるようになった三國少年に、
当時の先輩が、
「お前はちょっとは仕事ができるかもしれんが、
東京の帝国ホテルに行ったら、全く通用しない」
といわれ、帝国ホテルに行くことを決意。
札幌グランドホテルの総料理長に紹介状を書いてもらって、
帝国ホテルの門をくぐるも、
オイルショックによる景気の悪化により、
正社員としては採用されず、
またしてもアルバイトとして何年も雑用しか
させてもらえなかったそうです。
札幌では通用しても、東京では通用しない、
と言っていた先輩の言う通りになり、
何年待っても帝国ホテルでちゃんと料理を学べる環境にならず、
故郷の増毛に帰る覚悟をした三國少年は、
最後に帝国ホテルの全レストランの鍋を洗いたい、
と、皆が嫌がる鍋洗いを徹底的にやってピカピカにしたそうです。
その姿を見ていた帝国ホテルの村上料理長が、
スイスのジュネーブ大使館の料理長に
三國少年を推薦し、ヨーロッパに渡ることになり、
そこからヨーロッパで修業を重ね、今に至ったそうです。
いきなり正社員で雇用されず、
アルバイトの立場であっても、
自分ができることを精一杯やったことで、
中卒で正社員にしてもらえた。
更に帝国ホテルでは、
正社員になれなかったのですが、
自分にできることを精一杯やったことで、
いきなりスイスの大使館の料理長への道が開けた。
私が知っている限り、
今、華々しく活躍している方は皆、
不遇の時でも自分に出来ることを精一杯コツコツやって、
その中で道が開け、成功をおさめているのです。
自分に与えられた環境で精いっぱいやらず、
イメージと違うとか、ショボい自分勝手な理由で
やり切っていないビジネスパーソンは、
絶対に成功しないし、幸せになれないのです。
今の与えられた環境で、ベストを尽くせていますか?