各地から桜の開花便りが届いている。名勝・錦帯橋周辺の桜も咲き始め、4月はじめの休日のころが見ごろでないわないかと、経験がいわせる。
60年前、錦帯橋は流失した。1950(昭和25)年9月、当地を襲ったキジア台風により、270余年も幾多の風雪に耐えた錦帯橋は中央部の第3橋が流失、続い第4橋も濁流に呑まれた。ずぶ濡れになりながら堤防から見守る市民は大きな悲しみにふけった。
自治体をはじめ関係者の努力で1953(昭和28)年1月に再建された。その年の花見、錦帯橋を訪れた人で、橋の上が身動きできなかったことを体験している。橋上のあれほどの人をそれから後には見ていない。近在の人の喜びがうかがえる。
このとき、再建運動を力強く後押しした話がある。当時、毎日新聞主催で「日本観光地百選」の投票が行われていた。錦帯橋流失の直後からこれへの投票が急増した。学校でも「錦帯橋」と書いたような記憶がある。
再建運動中の錦帯橋が見事首位当選した。市民だけでなく全国からの応援があったからと思う。しかし、流失して現存しないものを対象にするのはおかしい、という指摘があった。主催者の「必ず元の姿で再建される」という見解で結果は変わらなかった。
この話しは、錦帯橋のはがき投票に父が仕事で多少関与していたことから、毎日新聞の記者から聞いた話としして、桜の咲く頃に何度か聞いている。
2004(平成16)年3月に平成の架け替えが完成し、世界遺産登録への運動が行われている。
(写真:流失直前の錦帯橋、奥側の樽の位置が第3橋:錦帯橋物語より)

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