毎年の事だがこの時期になると、毎日のように料亭や仕出し屋などのお節の折り込み広告が入る。美味さが盛り込まれた綺麗な写真には引かれるが、我が家はこれまでお節は我が家流で手作りで来ている。祖父の時代からだが、客が多すぎて仕出しでは手許がいくらあっても賄いきれない昔からの流れでそうなっている。
大客の時は過ぎさり、今が現世ふうの小家族の正月に変わったが、手作りはそのまま続いている。1度、お歳暮で名の知られた料理屋のお節を頂いた事がる。どれから手を付けようか、初めてのことで迷ったことを思い出す。その時は中央にある大きな伊勢海老をまず取り出した。大きな空間が現れ、お節に抱いたイメージが崩落したことを思い出す。
「お節は、親から子へ、子から孫へと受け継がれてきた おせち料理に盛り込まれる品々には、家族の健康と繁益の願いが込められています」に続いてその品々のいわれがある。自分への覚えとして記す。黒豆・・黒く(陽に焼けるほど)まめ(丈夫)に働けるように、また、黒は魔除けを表す。栗きんとん・・勝ち栗の縁起と栗が黄金色に輝くことか富を得る金運を呼ぶ縁起もの。
思いもしないいわれのお節は「田作り」。昔、田畑の肥料として小魚を撒いていたことから、五穀豊穣をねがう縁起ものという。昆布・紅白の蒲鉾・昆布巻きなどなど「そうか」と思わせるいわれがある。煮しめには、家族仲良くという意味が込められている。いわれを語りながらお節を頂く、そんな新年は同だろう。
(今日の575) 物価高予約のおせち大丈夫