日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

藁の感触

2010年10月31日 | パソコン講座
           

今日もイベントへ。参加したのは「食うチャロウ、作っチャロウ、さわっチャロウ、こうチャロウ、打っチャロウ、つばえチャロウ、走っチャロウ、歩いチャロウ」という8つの「チャロウまつり」。市内から40分くらいの山間部だが、会を重ねて20回を超えるというだけあって賑わっている。

会ではパソコン10数台を「作っチャロウ」コーナーへ持ち込み、パソコン体験とエコバック作成などを楽しんでもらった。準備した資材を使いきる忙しさに心地よい疲れを感じた。

隣のブースは藁(わら)を使うコーナー。地元の人が草履や注連縄作りを披露されている。藁を打ち柔らかくし、大小の縄をないそれを使ってそれぞれの形になる。ほとんど見られなくなった自給自足、祖父母などを通して子どものころ経験した姿がそこにある。なつかしいと足を止める年配者が多い。

久しぶりに藁草履を手にした。しっかり編みこまれた藁の臭いを感じながら、小学校での上履きは誰も藁草履だった、少し履いているとそこが平らになると廊下で滑って注意された事などを思い出した。暖かさを感じる藁の感触だった。

山あいの祭りらしく松茸や栗を食材にした「食べチャロウ」の出店は大賑わい。それでも松茸の姿が少ないので地元の人に聞くと「熊」を警戒して例年ほど山へ入れないとか。街中では感じずらい動物との厳しい関係を教えられた山あいの祭りだった。

(写真:こうして藁打って柔らかくする)
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逸品を売る

2010年10月30日 | 陶芸
                      

台風14号は沖縄・奄美大島をかすめるようにして東海関東方面へ影響を及ぼしている。この季節、休日には各地でイベントが催される。今日は市内では台風襲来の予報から行事を1週間延期された地区もある。

所属する同好会が錦帯橋近くで催される街お越し行事へ参加するので、あさ8時から準備へ参加した。先ずテントを張る。コンパクトに畳まれた新式のそれに多少てこずる。販売する展示品を見栄えよく並べるのは女性陣。

展示品はこの半年間に陶芸教室で作った作品。素人の素人らしさが溢れたいい品ですと通りの人に呼びかける。形や色合いが同じものはない。みんなこの世界でひとつだけ。そんな焼き物を見ながら婦人が「こだわりの逸品ですか」と手にされたのが偶然私の作ったもの。思わず「そうです」と返した。

素人の逸品を、厳しいチェックをしながら多くの方にお買い上げいただいた。責任者の予想を超えた初日の売り上げ、明日二日目の販売好調を願いながらの店じまい、なんとスムースなことか。あすの天気を気にしながらの爽やかな解散だった。

(写真:素人ながらの逸品が並ぶ販売風景)
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これな~に

2010年10月29日 | 自然 季節
           

「折れたススキの葉を台にして、その穂を上手く丸め何かを創作しようとしたかのようです。丸めた穂と葉は小鳥の糞で固定されています。巣でも作ろうとしたのでしょうか。近くにもう1個ありました。こんな習性の生きものをご存知でしたら教えてください」これは中国新聞「花咲かブログ」へ写真と一緒に送った内容。

受信された管理人さんは「ありゃりゃ、なんじゃこりゃ?!くるっと丸められたススキの穂。鳥が輪くぐりでもして遊ぼうと思ったんでしょうか?? 近くにもう一つあったということは偶然の産物じゃないですよね~ 謎が謎を呼ぶ錦川河畔…さぁ皆さんの自由な推理をどうぞ!」と受けてくれた。嬉しかった。

すると「植物公園大好き」さんという人から解答が届いた。その道のプロの方ではないかと思う。ちょっと長いのですが、

「??? 鳥などが作ったものではなく、偶然の産物だと思います。ススキの穂は伸び上がる少し前まで丸まった葉の中にあります。この葉の上部に偶然に鳥の糞がくっつき、乾燥して葉が開くことが出来なくなった。その状態で花穂が伸び上がり、先端が糞で固められた葉の円錐状態の部分に引っ掛かったまま基部の方が伸び上がったために写真のような状態となった、のだと思います」

具体的で素人にもよく分かる解答。偶然の産物に偶然出合ったということになる。何かいいことが偶然起きないかと期待している。発見は錦川に架かるJR鉄橋付近を散歩中でした。

(写真:偶然見つけたすすきのオブジェ、10.13撮る)
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似顔絵届く

2010年10月28日 | 生活・ニュース
             

誕生祝いをしたり貰ったりするほど若くはないが、京都に住む孫からお祝いの包みが届いた。開けると「早く早く開いて」とメモが付いている。綺麗な包装紙の包みを解くと額縁が現れた。

そこには私ら夫婦とその間に並ぶ孫の3人の顔、それは明るい色彩で笑顔が描かれている。なにより嬉しいのは若ぶりで頭髪豊かな構図が気に入った。家内も若ぶりに描いてある。

好きな橙色で「おじいちゃんおばあちゃん大好き」と大きな文字で書いてある。いつ描いたのか知らないが、今日のために準備してくれたのだろう。リビングへ掛けることにしよう。

孫の誕生日は12月、小学校最後のそれになる。今年はなにになるだろう。

(写真:似顔絵をエンボス加工)
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今日は何の日

2010年10月27日 | 生活・ニュース
                 

「文字・活字文化の日」があることを初めて知った。2005年7月に施行された文字・活字文化振興法で定められたという。国民の間に広く文字・活字文化についての関心と理解を深め、知的で豊かな国民生活や活力ある社会の実現に寄与することなどを目的とする、とある。

それを読書週間の初日にあたる今日、10月27日とした。分かりやすくいえば、本や新聞の役割、言語教育などへの理解を深め、振興法の目的を達せようということだろう。活字文化の意味がわからず調べると「出版」のことを指すとある。

文字に接しない日はない。新聞を読まない本を読まない若者といわれるが、メール、最近はツイッターなど電子媒体で文字には接している。高齢者も類似しつつあるのではないだろうか。世界に類を見ない日本の文字や言葉、その意味するところを読み取れるように研鑽したい。

もうひとつ、今日は自分の60歳代最後の日。定年から10年、家族を含む多くの人に支えられてきた。明日からは、その昔には古来稀といわれその歳を祝ったという古希。いまさら変わるものはないが、歳に恥をかかせないよう、正直に過ごしたい。

(写真:自分を重ねたくなる切り落とされても生きている老木)
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細田写真場

2010年10月26日 | 町かど
           

錦帯橋から大明小路を数百メートル下ったところに、小豆色の昭和初期に建てられたというレトロ風な2階建てがある。入口の上に「場眞寫田細」という文字が並んでいる。年配者ならすぐに右から読む、と分かる。時代を偲ばせる表札だ。

見合い用、そして結婚式、孫の宮参り、節目節目でお世話になった。記憶は薄くなったが、2階への階段、そこにある写場の作り、備えられていた写真機、椅子や机など、今どきのようなカタカナで書くことははばかれる歴史を感じるな品々だった。

昭和30年代中ころから自分のカメラで撮りはじめた。当時はフィルム写真、この写真店にもどのくらい通っただろう。トリミングをはじめ素人の注文をよくこなしてもらった。しかし、デジカメになって訪れることはなくなった。

建物は歴史を感じさせるが、スタジオ撮影され展示されているいる作品はどれもいま風で、家族写真はいいな、と感じる。この季節、まるでスターのように撮られた七五三の子どもたちの笑顔が見る者を楽しませる。

子どものころ、錦帯橋界隈にはこうした写真館が3軒あった。ほかの2軒も外装は石造りで歴史を感じさせるものだった。2軒とも解体されその姿を偲ぶものはない。由緒ありそうな建築物は保存を叫ばれながら、一方では現代風の便利さの前に姿を消していく。住む人にとって残すか建て替えるか、それは苦衷の選択だろう。

(写真:子どものころから変わらない姿で建っている写真館)
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1乗車100円

2010年10月25日 | 生活・ニュース
           

「もう使こうちゃった」と町で出合った同級の女性。使ったものとは、古希を祝って誕生月に市から贈られる「高齢優待乗車証」。これは岩国市営バスの1乗車が100円になるというもので、別名は高齢認定証かも知れないが、バス利用時には助かる。

彼女はすでに所持しているが、私の新聞投稿を読んでそれが届いた事を知ったという。まだ使ってないと答え、逆に問い返した。「初めて使うときちょっと気恥ずかしかった」と笑いながらいう。社交ダンスを楽しむ彼女は老けて見えない。

バスカードを長い間使っているし、残金は相当残っているが、先日、ある集いへ出かけるとき初めて使った。降車するとき乗車証を隠すような感じで提示し100円硬貨を運賃入れに投入していたようだ、と後から思い出す。先の彼女の「気恥ずかしい」に通じるのかもしれない。「そのうち慣れる」とはビヤガーデンで一緒した乗車証を何カ月前から使っている同期の話を思い出した。ちなみに規定運賃なら230円。

何年か前までは無料で使用できたが、バスの利用者は減少一途、それでも100円で使用できる。高齢者の運転免許証返納が呼びかけられるこの頃、それへの対応にもなるが、便利というほどバスの便数はない。ましてや市街地域を離れると、それ以上に運行数などすべてが不便だ。

この乗車証で嬉しい事がもうひとつある。名勝・錦帯橋の入橋料300円が無料になる。近くに住んでいるとお金を払ってまで、という気になるが、桜の季節には1度は入橋料を払って、橋上からの桜を眺めていた。これからは何回でもよくなる。長年住んだ者へのご褒美としておこう。

(写真:来春からはこのこの逆が撮れる)
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抱竹桜

2010年10月24日 | 町かど
           

錦帯橋上流には日本三大美竹林と呼ばれる竹林が何キロも続いている。今、河川改修と護岸工事などで、竹林の一部は姿を消し、あるいは大きく姿を変えるなど、うっそうとした情緒ある日本の美が失われている。

かっての藩主は護岸のためにこの竹林を造ったと伝えられている。その竹林を同じ護岸の名目で人と重機がその姿を一変させている。住民の安全第一は判るが、あれほどに取り除くのか、共存させる策はなかったのか、と素人目には不思議に見える。

この地域には美竹林以外にも通りや山裾などにはそこここに竹が生えている。青々として葉のささやきはちょっと騒がしい。新しい葉の出るころ、ひらひら舞いながら落ちる枯れた葉、見る目にはいいがその掃除には苦労されている。

吉野桜の古木は幹の中心部が空洞になる。接木で苗を育てる宿命だと聞いたことがある。その空洞から竹が姿を見せている。ちょっと見た目には桜と竹の合体のようだ。これを見つけて4年くらいになる。それからしばらくして「抱竹桜」と命名されたらしい。

竹の根は浅い地中をどこまでもどこまでも延びていく。古木の空洞を見つけた竹の子は人に見つかることもなくやがて青空を見る。住み心地はよさそうだ。春には桜とのコラボが見られる。

(写真:桜の空洞を伸びてきた兄弟竹)
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トレニア人

2010年10月23日 | 自然 季節
           

小松崎 茂は私の生れる前から挿絵画家として知られていた。第二次世界大戦ごろには国民向け雑誌に戦記小説の挿絵や軍艦、戦車、飛行機などの戦争イラストを数多く発表したが、1945年の東京大空襲で生家は全焼し、それまでの資料やスケッチも灰になったそうだ。

その小松崎の絵に興味を持ったのは小学校低学年のころ、少年雑誌に描かれた空想科学イラストをクラス中の男が興奮しながら眺めたころだった。そこに描かれていた宇宙基地の構図が、いま地球上空数百キロを周回するそれと同じことに驚く。

高1のとき受講した市民大学講座で「宇宙と仏教」という広大教授の講義があった。このとき宇宙という無限の世界に興味を覚えた。やがて地球周回のロケットが月面から帰還するまでに進歩したときは驚いたが、遠い昔になった。最近は小惑星探索機「はやぶさ」の快挙に拍手した。

庭に咲いた「トレニア」の花、繁茂の凄さに嫌気がしていた。だからよく見ることもなかった。それが離れたところへ1株だけ生え、それに咲いている1輪を見たとき「宇宙からやってきた顔のようだ」と感じた。それとにらめっこしながら宇宙へ興味を持ち始めたころを思い出した。

その1輪に、宇宙のかなたトレニア星からやってきた「トレニア人」と名づけた。この花の和名はハナウリクサ(花瓜草)、またスミレに似た草姿からナツスミレともいうそうだ。来年からは少し違った目で観察し、遠い彼方への話し相手にしてみよう。

(写真:いくら眺めても宇宙人に見えるトレニアの1輪)
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つわぶきが戻った

2010年10月22日 | 生活・ニュース
           

今年の夏は酷暑や猛暑が繰り返し繰り返し使われた。暑いを超えて熱いとしたためた暑中見舞いもあった。収穫の秋なのに米の品質低下が大きな問題になっている。1等米が激減、収穫の多くが3等米という地域や農家も多いという。また新米が昨年産米より安く米農家の苦悩は大きい。

暑さは米だけでなく野菜も果実も花など、農家の手をわずらわせる作物全てにその品質と収量に痛手をみまわった。自然との共存する農業の難しさを改めて教えられたこの夏だった。

狭い庭につわぶきを植えて何回目かの夏を迎えた。真夏のころから葉色が黒ずみ始め、その葉を支える葉柄も色を失いながら寝そべり、朽ちていった。3ヵ所とも申し合わせたように同じ状態になった。人の世界の熱中症を真似たかと、朝夕の水はたっぷり与えた。

暑さが終わるころ、つわぶき全部が朽ち果てた。その朽ちた葉を除きながらも水は与え続けた。秋らしくなり始めたら新しい葉が姿を表わし、背も伸び始め、つわぶきらしくなってきた。花茎が伸び花を咲かせる準備も始まった。

つわぶきも暑かったのだろうが地面下には次へつなぐ茎を生き残していた。厳しい環境下でも子孫へつなぐDNA、もうすぐ数センくらいの黄色い花に姿を変える。すると少し肌寒さが増してくる。晩秋の近いことを教えてくれる。戻ってくれてほっとしている。

(写真:戻ってきた斑入りのつわぶき)

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