
子どものころ、夏の冷たい井戸水は喉の渇き一気に和らげてくれる神の水だった。上水道の普及で井戸はそばに押しやられ、街中で見かけるそれは遺構のような貴重な史料になった。「釣瓶とは」と聞かれ芸能界の鶴瓶さんと答えたという話がある。井戸と釣瓶は切り離せないが、知らなければ答えが芸能界に移るのは現代では仕方ない。
冷たいものは暑い時、誰が決めたか知らないがこの決まりは崩れている。暖かくなれば錦帯橋畔のソフトクリームの2店には長蛇の列。向かいの1店も並んで待っている。列には若い人が多いけど高齢者も結構見かける。種類が多くて選ぶのに時間がかかる、というのは一番古いお店の常連さん。そう100種類の中から気分によって選ぶ楽しみは、後ろに並んでいる人のことは忘れさせるらしい。
井戸水で冷やしたビールは子どもの神の水と同じくらい大人を元気づけていた。冷蔵庫の普及などで、この地域の言い方にすれば「年がら年中飲める物」になった。これも季節感が消えた。乾杯はまずビールが一般的、最近は和食とそれに似合う飲み物ということで日本酒による乾杯も増えているそうだ。世界に広がる県産の酒はそんなブームの先導役を果たしている。
飲み物にも食物にも季節を感じることなく1年を通して食卓にのる品が多くなった。さすがタケノコやマツタケは季節感あふれ品になっている。やがて人工栽培品が店頭に並ぶ時が来るだろう。海の食材のフグにサンマ、カニや初カツオなどは旬の字がよくにあう。マグロに似て、これらもいつか養殖の時代になるのだろうか。餓えを知らない世代人はやがて食の季節を変えるだろう。