
歳末報道の中で「どうしても帰省したいのだが」という都会暮らしの若い女性の声が流れた。その顔にちょっと訳ありそうなに感じたが、コロナ禍で帰れないという。「うさぎ追いし彼の山 こぶな釣りし彼の川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと」と歌う唱歌「ふるさと」が浮かんだ。この歌詞のすべてが大和言葉で、故郷を思うとき心にしみてくるという話を思い出した。
故郷は生まれ育った土地、ふるさととも郷里ともいう。私は生まれ育った土地で今日まで過ぎており、幸か不幸か帰省という経験がない。現役のころ、盆や正月に帰省する同僚の顔や話しぶりが何となく子どもっぽくなるのを私は気づいていた。そこから「ふるさと」とはいいものなんだと思っている。交替勤務時代は帰省者の補充で忙しかった。
この1年は新型コロナに翻弄された子年であった。そんな中で私は傘寿、80歳を迎えた。高校の級友と傘寿祝いを豪勢にやろうという計画は宙に浮いている。ここまで、「仕事は真面目に、他人(ひと)に教えを乞うても迷惑を掛けない」をモットーに生活して来たつもりでいる。これからもいろいろあるだろうが「老いを言い訳にしない」そんな日々を送りたい。
コロナで孫は帰省せずくる年も夫婦で静かに迎える。迎春準備を促すチラシを眺め、年賀にやって来る兄弟姉妹とその子供、叔父叔母などの賄い準備で妻も母も座る暇もなかったことが懐かしい。大和言葉に「もてなし」がある。これは日本の精神として誇るべきことという。そんなことを知って準備したのではなく、歳送りの一コマでしかなかった。
稚拙なブログですが1年間ご訪問有難うございました。くる年も宜しくお願いいたします。