
緑色をした沿線の景色のなかを同じ色の上りのジーゼル車が鉄橋を渡る。この鉄橋を渡り終えると、山あいの沿線風景から抜け街らしい家並みがふた駅先の終点まで続く。カターン コトーンという単調な音の繰り返しが、のんびりした付近の景色に吸い込まれていくのはこの鉄橋まで。眺めているとふと思い出した。
「疲れたときには遠くの山を眺めろ。山の緑は心や体の疲れをいやし、目の疲れも治してくれる」こんな内容の疲れ解消法、誰に教わったか分からないがなんとなく覚えしている。もしかしたら、祖父母あたりかもしれない。散歩の途中で聞き覚えの「山を見る」を実行することもある。
「緑のシャワーを浴びながら……」「緑に癒やされる」など聞いたり読んだり、自分も使っているかもしれない。緑のシャワーなんて目に見えるはずがない。それでも使われるということは緑色になにか秘密があるような気がする。緑色をひと口に言い表すと「寒色系だが寒い冷たいなどは感じないで、さわやかさを感じる」となる。これ以上が書けたらエッセイストになれるのだろう。
目にしている緑は木や森などの自然界の色、そこに安心を感じるのではないだろうかと思う。緑から連想として出てくる言葉、爽やか、若々しい、植物、野菜、環境、やすらぎ、安全、公園、稲田、新鮮、考えたらまだ浮かぶだろうが、気持ちよく感じる言葉が並んだ。緑が人に与える因子、科学的にそうした発見があるかもしれない。