日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

広報の手段

2013年06月30日 | エッセイサロン
            

 個人が、毎日の生活の中でメディアに資料を提供しそして取材を受けることはまずない。しかし、身近なところでは、例えば、自分たちの地域活動の様子を大勢の人に知ってもらい、そして参加や支援をしてほしい。そのようなとき、マスメディアへ取材用の資料を提供することを「プレスリリース」と呼ぶ。

 取材を受けれるか否か、それはプレスリリースの作り方にかかっている、その作成方法の講座「広報上手になろう」を受講した。プレスリリースは広告のようにお金がかからない。なぜなら広報媒体を前述のようにメディアにゆだねる。その糸口となる作り方だ。

 取材側の記者が口を揃えて言うリリース3原則がある。それは「新規性」「社会貢献度」「経済性」が一目で解る、これが報道・掲載に成功するリリースという。何を知らせるか、報道の原則「5W1H」に加えて「数量、金額、期間、将来性」を簡潔に示す。その結語は「将来それがどのように発展するか」をのべる。

 まとめるに当たってストーリーの重要さを例示。講師は新潟県の純米大吟醸「亀の翁」という日本酒の復活話をした。聞き終わって「飲んでみたい」と思った。話の中で味や香りなど品質に係ることは一言もなく、ひたすら復活への道のりだけを話し。それでも飲んでみたい、そう思わせるストリーだった。ちなみに720ミリリットル4000円、という。このリリースで新聞がニュースとして取り上げた。

 プレスリリースには、出合ったこともないし飲んだことのない大吟醸酒を「飲みたい」とおもわせる、そんなストーリーを書き、タイトルをつける。エッセイも新しい題材に何かプラスし、そこに生み出しことを誰かに喜んでもらえる。それに誘うタイトルを考える。似たところがいくつもあった。プレスリリース、庶民には縁遠いことだが、参考になった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さてカメは何する

2013年06月29日 | 自然 季節
             

 旧岩国藩主吉川家の居館跡の公園にはお堀がある。そこには見るもの見えない生き物が堀の中で楽しんでいる。色鮮やかな錦コイ、飛べない白鳥、カメはひと目でその生活ぶりが見られる。以前、外来種のいたずら魚捕獲作戦もあった。カメも外来種らしいが、追い払われてはいない。

 そのカメ、観光客の注目を浴びることは少ない。先日出合った光景。コイに餌を投げ与えている親子、カメが近づいてくると「向こうへいけ」と子どもが手をふる。カメには通じないらしく餌を待つコイの周りを回っている。回っているだけでコイの餌を口にする様子はない。ちなみに餌は近くのお店で売っている一袋100円の「麩」。

 カメの甲羅干し、という。何匹もが同じ方向を向き、重なりつながりあって微動だもしない姿をよく見かける。生きていく上で必要あってのとといわれるが、それは、ただ気持ちよさそうに昼寝をしているように見える。その様子は観光の人らにも喜ばれる。「カメれっしゃだ」と子どが指さしていた。カメ列車、なるほど面白い表現だ、といただく。

 堀の中ほどに水面に顔をのぞかせる円形の水鳥の休み場所がある。水鳥の去った今はカメの独占場になる。今、集団演技を始めるために水上の舞台に登場し始まりの合図を待っている。さて、スッポトライトを浴びながらどのような演技が見られるのか、と注目しているのは私だけだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世渡り

2013年06月28日 | 生活・ニュース
           

 命綱や安全ネットを使うことなく米・グランドキャニオンで綱渡り、高さは何と450メートル、ワイヤーの幅は5センチ、その長さは427メートル、竿一本を操っての偉業という。所要時間は23分弱とか。渡ったのは米国の34歳の男性軽業師、有名な軽業師一家の7代目で、これまでにもいくつかの度胆をぬく渡りをして知られているとか。

 こんな綱渡りはできないが、この年まで世渡りはして来た。反省の多い世渡りを。「もっと世渡りが上手かったらも少し出世した」と断言はできないが「かもしれない」くらいの思いは何度もした。「ああして繕っておけばよかった」「こう言って同調しておけばよかった」と悔やんでも戻ることは不可能、これを「はまった後で井戸に蓋をする」という。

 上司や先輩に「1+1」はと訊ねられたらすぐに「2」とは応えない。「これこれだから2になります」と言い回す。それも実に上手く自然に話すせる人がいる。そばで聞いていて「上手いこと言うよなあ」と感心しながら「でも、日ごろ言ってることと違うじゃ」などその対応のうまさに舌を巻いたことは数多くある。その都度「この人の特技なんだから」と自分に備わっていないと諦めてきた。

 「嘘も追従も世渡り」という諺がある。暮らしを立てていくには嘘をつくことも、お世辞を使うことも必要な場合がある。ビジネスの正道は誠を尽くすことだが、時にはうそも方便ということになる。お世辞だとわかっていても、言われて気分を悪くする人はいないので、と識者はいう。しかし、これの度が過ぎれば「内股膏薬」、信用を失うだろう。ほどほどにしておこう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

起きたままの顔

2013年06月27日 | 生活・ニュース
            

 初めてのことだが朝顔を広辞苑で引いた。1番に載っているのは「朝、起きたままの顔。寝起きの顔」とある。2番目に咲く花の朝顔が長々と説明されている。また、キキョウの古名、ムクゲの別称、カゲロウの古名などとある。古名は物事の昔の名、古い時代の名称をさす。

 ヒルガオ科の蔓性(つるせい)の一年草。茎は左巻きと続き、さらに日本へ伝来したいきさつを示した辞書がある。そんななかで「夏の朝、じょうご形の美しい花が開く一年生のつる草。観賞用として広く栽培され品種が多い」の説明は20年前の三省堂の国語辞典4版。これが思っている朝顔の説明。ほかに変わった解説は見いだせなかったが、古名や別称扱いは何れも似ている。

 「朝、起きたままの顔」が「朝咲いた朝顔をながめる」。その顔のどちらに軍配が上がるか判を待つまでもないだろう。それは写真愛好家の人が「朝顔は朝の美女」と名付けていることからもわかる。起きたそのままの顔、あるがままの姿、自身に見えないことの怖さ恐ろしさを教えてくれたのは、今年、1番咲きの朝顔だった。

 日没から10時間くらいして開花すると言われるから、朝の4時か5時ころには咲く。朝のうちは勢いがあり輝いている。花言葉の「はかない恋」は昼過ぎるとしぼんででいく姿からだろうか。それでもいろいろな色を楽しませながら夏から秋ころまで長く咲く。これからは水やりの楽しみが増す。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山の賑わい願う

2013年06月26日 | 地域
            

 普通車の離合もままならない山あいの道を中型のトラックが用材を積ん下っていく。積荷は杉で、その長さは荷台の長さに合わせてある。樹齢など素人で分からないが、見た目の直径は30センチを超えている。その行先も用途もわからないが、積荷を見ると「元気な山があるんだ」と見送りながら知人のブログを思い出した。

 大工の知人はブログで、材木市場も運営が苦しいのかその数が減少しているという。目で見て納得のいく木材を仕入、それを使った日本伝統の家を作りたいという大工の選択肢が狭まっているとも書いている。工場で規格にあった加工をし、現場の基礎の上で積み上げる今の家作りでは、職人の目で木材を選ぶ必要がなくなった。木材市場の減少も自然の成り行き、ブログからそんなことが伝わる。

 輸入木材の活用に押され国内の森林事業が苦しいといわれてひさしい。最近、木造で4階建ての建造物も完成している。十数階のビルも検討されているという。心配な火災には国から認定された1時間の耐火部材が使われており安心とか。報道では更なる技術の開発と関係法令の整備が必要と今後の課題を示した。これを国内山林事業の復興と山里の活況化へつなげてほしい。

 車など高嶺の花、自家用車を持つなどかすみほども考えたことのない、といえばどのくらい前になるだろう。今は合併で市内になったが、40年以上も昔、県境の山林主が「あの木を2本売れば自家用車が買える」。木の種類は記憶していないが、そんな羽振りは無理としても、活気を取り戻してほしい。山林は水源として、魚介類の栄養基地として大きな勤めを担っている。また、水なくして産業の発展を期することはできない。積荷の重さに耐えるギギッというトラックの音に道を譲る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思わぬこと

2013年06月25日 | 生活・ニュース
            

 図書館への近道として利用する裏道。その裏道は自動車が来れば歩く方が立ち止ってやり過ごす。傘をさしているとそれを傾けて車を通す。それが自分の身を守ることになる。こんな裏道が一方通行のバイバスになっている。そんなことで利用車は多いが離合には難儀をされている。急がば回れ、危ない近道より遠くても安全な道を、いい諺だ。

 そんな裏道を通り過ぎてT字路を曲がった。と、十数歩向こうに頭を抱えてうずくまっている女性がいる。車による事故、病など悪いことを思いなながら声をかけた。「有難うございます。頭を打ったのですがもう大丈夫です」という声は以外に明るい。殴られたのでなく打ったという、周囲に打つようなものは見えない。女性はこう話してくれた。

 買い物の帰り、いつもここに腰を掛け、ひと休みしている、と指さしたのはある施設の外壁が「コの字」型に窪んでいる場所。見ると、腰かけるには丁度よさそうなブロック2段の高さで、荷物も置ける窪みになっている。話は続く。ひと休みしたので帰ろうと立ち上がった時、頭を上部に当てたという。私も似たような経験はあり、たぶん「思いっきり」コンクリー天井にぶっつけられたのだろう。「恥ずかしいことですが、初めてではないんです」と話された。

 コの字型の窪みは資源回収の日、雨除けできるので新聞や本など紙類が積まれているのはよく見かける。その用途以外に一時休憩場所とは「言いえて妙」、設置者の思惑は何か知らないが、地域の人が開発した腰かけの場所は想定外だろう。

 現役時代、特に化学プラント勤務のときは「危険予知」を厳しく教えられた。装置、操作、行動などで不安全個所や行動はないか、それが災害抑止と身の安全に役立った。しかし、慣れるとそのことがおろそかになる。そこで繰り返し訓練を行う必要があった。今は毎日、ひとつひとつ気を配ることが必要だろう。頭を打った女性と分かれた後、わが身に言い聞かせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我田引水の方法

2013年06月24日 | 地域
           

 水は地球上の万物にとって絶対に欠かせないもののひとつ。その供給が過剰でも困るが、欠乏はそれ以上に困る、いや大困りにとなる。入梅からしばらくして雨が欲しい、と雨乞いをした地域もあったという。それほどこの時期に水は欠かせない。特に、米つくりには必要で、水不足は収量を大きく左右する。

 休耕田の草刈りの手伝いに参加した。色具合などから稲の生育はいいように感じたが「先日の雨でやっと勢いを取り戻しつつある」というのが集落の人の話。朝夕の田の水の見回りが大切という。山間部の棚田、その中を縫って流れるのは石組の水路、それは街中の側溝を少し大型化したほど、そこを冷たい透き通った流れが下っていく。それぞれの田は、その水路から独自の方法で水を田に引き入れられている。

 孟宗竹を半分に割り、節を取り除いて樋を作り、それを水路の流れにかざしての引水方式が懐かしかった。観光地でそうめん流しで見かける仕組みと同じ。田に入った水は、万遍なくいきわたるよう図られた堰に添そって奥へと流れている。それは樋からの流力だけで田全体を潤おしていて、まさに水力エコ大賞といえる。

 さらに流量の調整、これは樋に石を置き、過剰分を樋から溢れさせてある。必要なだけの水を稲に与える。余分の作業はどこにも感じない。ここにも受け継がれただろう知恵を教わった。それだけに朝夕の水見回りが重要で欠かせないだろう。

 我田引水は「自分の田んぼにだけ水を引き入れ、他人の田んぼのことは一切考えないことから、他人のことを考えず、自分に都合が良いように考えたり、ものごとを行ったりする」ことを意味する4字熟語。ここの棚田でみる取水方法、4字熟語の解釈を変えたい、そんな集落の伝統と知恵に惹かれ、次回も草刈りに参加しよう、そう思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草刈りボランティア

2013年06月23日 | 地域
            

 標高500メートルほどの耕作放棄地の雑草狩りボランティアの朝。降らなければいいが、照りつけなければいいが、そんな思いでカーテンを開ける。曇り空「どちらもなさそうだ」とほっとする。

 昭和40年ころまで児童が150人ほどいた、と棚田を見下ろしながら集落に住む当時の教員の話。眼下の田は明治の初めに圃場整備された歴史を持つとか。そこは、生活排水も流れ込まず美味いコメができると教えられた。しかし、いくつかの荒れ田は背丈ほど、またそれ以上の雑草が茂っている。中山間地域の問題点としてクローズアップされる光景に、改めてその深刻さを知る。

 十数台の草刈機が一斉に仕事を始める。小型ではあるがこれだけのエンジンが一斉に動くと、谷間に反響する音は普段と違い「活気を感じる」と集落の人。これまで、草刈機の作業を通りがかりに見ていたが、定点のようにしてその仕事力を見ていると、小型とはいえその機動力に驚いた。むすびを食べながらの草刈機講話、草を刈るにもその奥深さを教わる。

 草刈機初体験はチョークを調整しエンジンの起動から。アクセル操作で刈刃の回転数調整、そしてエンジンの停止、使い方は講話で耳学問したばかり、回転する刃に注意すれば何とかなりそう。少し要領よくなったところでエンジン停止。その原因がわからず未燃焼の状態で初体験が終了した。扱いが悪かったのだろうか、次回は嫌われないように頑張ろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしい警戒警報

2013年06月22日 | 生活・ニュース
           

 ブログ散策はその日の予定や気分により、読み方はさまざま。早くから出かける日は起床時間を繰り上げ、出かけるまでにメールと一緒に一応目を通す。どんなに忙しい朝でもこれは欠かさない。が、読み方はさ~っと通り過ぎる。熟読要と感じたものは後で改めて読む。

 さ~っと読むときでも、タイトルによってはしっかり読まされることがある。読んでもらう、目にとめてもらうにはタイトルが重要と、エッセイ同好会でも「タイトルは一つの文章」とその大切さを教えられる。読む気を誘う、何だと興味を誘う、タイトルというわずかな文字数から本文へ引き込む大変な力を持つ。

 ある女性のブログ、「ウン」と思わせる表現に出会った。「警戒警報発令の中を走った」という。60数年前に消えたと思っていた「ケイカイケイホウ」という言葉が目に入った。子どものころラジオから「敵機襲来」に続いて聞こえてくるのが「警戒警報発令」だった。おびえながら防空壕に駆け込んだ記憶はある。書かれた文から実際は「大雨警報発令」で激しい雨のなか車の運転をした、とわかる。が、戦前の言葉と思しき表現を使ったのは故意なのか、単なる思い違いなのかはわからない。警報発令中の「篠突く雨」を「機銃掃射」に例えられたのかもしれない。

 警戒警報と呼ばれたこの4日間の雨を喜んだのは屋外に生きる物みなだろう。そんなひとつ、プランターの朝顔。水道の水より天然の雨がいいと、水撒き番の努力を知らぬかのような伸び方に驚いた。しっかり撒いているつもりだが、十分な水量ではないと教えてくれたのだろう。自然の力に人は及ばない。散水は有料だが、和み料として今以上に撒くことにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐々木小次郎とイチョウ

2013年06月21日 | この木
           

 「イチョウは生きている化石植物である。中世代つまり2億年程度以前の恐竜の時代に栄えていた」、これは公園のイチョウの木のそばにある公園管理者が作られた説明文。イチョウは秋のいろどりの木を代表する樹木で、日本人には親しまれ、ギンナンは和食の食材として知られる。説明はさらに続く。

 「当時は多くの種類があったが、今は一種類のみである。美祢にはイチョウの化石がよく出土するが、その葉は笹の葉のように、切れ込みが深くイチョウが針葉樹の仲間であることを示している」。美祢とは秋吉台や秋芳洞のあるあの市だろうか。イチョウが針葉樹の仲間であるとは、今のイチョウの葉からは思いもつかない。

 続けて公園内の説明。「吉香公園内にはイチョウ大木は何本もあるが、吉香神社の後ろには特に大きな木がある。イチョウもスギやクスノキなどと同じく非常に長寿で、巨樹が全国に存在している。特に大きいものは幹回りが20メートルにもたっするものもあるという」パソコン作成の説明はここで終わり。

 漢字表記は「銀杏」と思っていたが「公孫樹」も並記してある。公孫樹は植樹した後、孫の代になって実が食べれるというもので、中国語に由来するという。銀杏の由来も面白しろそうで「葉がカモの水かきに似ている」という中国語の発音からなど、言語の由来もまた面白い。

 ところで、佐々木小次郎とその正面に位置するイチョウの大木の長いにらみ合いが続く。はたして「ツバメ返しの剣」が見れるのだろうか。 

 今日は夏至、1年で昼が一番長い日。雨が4日も続き昼の長さわからず。市内の雨量観測点は累加雨量が警戒値を超え、注意報が出ている。明日は晴れ間がある予報、週末の仕事が待っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする