年度末、社会では明日から令和4年度に変わる。就学を終え社会人として人生の大海原へ出帆する人も多かろう。平和な国、平和な世界の樹立に向って持ち場持ち場で若い力を存分に発揮して欲しい。ウクライナの戦禍を知るにつけ願わずにはいられない。
年度が変われば新しく生まれることも多いが去っていく消える物もある。これは消えていく小さな一例の話し。消えていくのは小さな街の市場。その市場は1952(昭和27)年、戦後の復興期に営業を始めた市小売市場で、施設の老朽化、営業店が廃業などが廃止の理由になった。最盛期には市場一杯に食のあらゆる品が揃えられ賑わっていた。
郊外型大型店舗の増加に合わせ客足は次第に減少、店主の高齢化、地域の人口の減少などもあり店数が徐々に減っていた。高齢者のニーズで鮮魚店が最後まで商いをしていたが閉店。その方のお孫さんが市場近くで鮮魚店を開き賑わっている。市場は岩国七町の一つで豆腐町(のちに登富町)で城下町時代の通りにある。道幅が狭く再開発は難儀だろう。
この通りには市場の他に商店が軒を連ねていた。肉屋、魚屋、仕出し屋、野菜と果物屋、揚げ物屋、練り物屋、煙草屋、花屋などなどで、年末の買い物風景は、東京上野アメ横の混雑そっくりで、通行もままならなかった。その思い出は昭和40年代半ばころまで続いた。市場ができて70年、その歴史に幕が下りる。これも時代だろうか。
(今日の575) 生活の様式変わり歴史消す