吉川家墓所から紅葉谷公園のゆるやかな坂道を進む。ゆるやかなその道が城山登山道入り口で急勾配の坂道に変わる。その境の右側に岩国ユースホステルがあった。というのは、つい最近、57年の歴史に幕を閉じられた。
このユースホステルは社内の合宿教育の会場として何度はお世話になった。その頃、三十数年まえの管理人さんは、自分たちの両親くらいの方で、細かなとこまで気配りをしてもらった。忘れられないのは昼食、毎回、毎日が大盛のカレーライスだったこと。そんな食事を全員が完食するのをことのほか喜ばれていた。
そこにはエアコンがなく、夏には窓を開け広げて過ごすしかない。山の麓の蚊の数は生半可なものではない。蚊取り線香は気休めにしかならなかった。騒音のまったくない環境は学ぶにも健康のためにもいい環境だった。閉館を知ってすぐに訪ねてみた。人影のないそこは山麓の静さもあって、裏山に抱かれるように静かに休んでいた。
休館した隣接地に広場がある。そこには樹齢を感じる大きな杉の木が存在感を見せている。その杉の向こうには六角亭や独立一勺の水の碑など、吉川藩時代を偲ぶものが残されおり、情緒ただよう景色がある。六角亭そばからは藩主一族の眠る墓所へ通じる、ひぐらしの道がある。時おり聞こえる登山者の声に生を感じる。
緑に囲まれたこのユースの利用者、閉館をどんな思いで聞かれたことだろう。現代に合わなくなった施設、利用者減などが閉館への途に連なったという。緑のパワーの下で集い語らいあった人ら、思い出して欲しい。