日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

自撮りの反転解消

2025年01月25日 | エッセイサロン
2025年01月25日 毎日新聞「はがき随筆掲載

 スマホの自撮りは左右反転で写る、そう聞いてはいたが気になってしかたなかった。
 年末に撮った写真が届いた。右端にいた私か左端になっている。今どきのスマホ、反転しないで撮る方法があるだろう。そう思い、自分のスマホでアプリの説明を読みながら恐る恐る試す。「プレビュー通り自分撮りを保存」という項目、これだと思いONをOFFにする。何回もONとOFFを切り替えて試す。「自撮りでOFF」ならスチルカメラと同じに撮れる。
 これは既知のことかもしれないが、もやもやが自力で解消できた、今年の喜び1号だ。

 (今日の575) 遅すぎる気づきに苦笑でもやった
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「今日の575」続け3年

2025年01月22日 | エッセイサロン
2024年1月22日 中国新聞「広場」掲載
 
 「五・七・五 人の数だけ 願いあり」という4日付広島都市圈版の記事を、夢中で読んだ。広島市内で行き交う大たちに、その胸の内を詠んでもらったとある。とても即興の句とは思えない作品が多く、驚いた。
 私は毎日ブログを書いている。3年前の元日から、その日書いた内容に準じた川柳のような言葉を残したいと思い、「今日の575」を始めた。毎日のブログの最後に付けて昨年末で丸3年、計1096作になった。
 それを1年ごとに40㌻ほどの手製の小冊子にしている。その3冊目ができた時が、ちょうど記事の出た日と重なり、何かつながりを感じた。これまでの3冊を繰って見ると、私ごとから地域や政治、社会、きらに趣味のことなどを「575」にして残している。
 中国柳壇や広場欄、地域面に掲載される川柳を私の師として「いつかはこんな風刺の効いた句を作りたい」との思いで味わっている。4日の記事に「さあ頑張れ」と励まされたような気がして、切り抜いて3冊目に挟んでいる。  


 (今日の575) 載たでよ575の助け舟
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年間掲載数の更新

2024年12月28日 | エッセイサロン
 

 「短い文章を書いて投稿し、自己研鑽を図ろう」、こうした趣旨の同好会「岩国エッセイサロン」へ入会したのは2006年の9月例会だった。初めての出席で初歩の初歩を教わった。その日の夜に、度胸試しとして1作目を投稿した。それは規定の投稿様式に苦労しながらだった。なんと、それから11日目に掲載された。朝早く会の代表から祝意の電話を貰ったことを記憶している。

 毎月の例会は毎日新聞社の「はがき随筆」入選作を参考にして意見交換をするという私にとっての学習方法だった。題材のとらえ方、表現の仕方、語句の使い方や注意点、やがてテーマが絞り込まれているか、文中に発見や思考が記されているかなど、盛り込むことなど、経験豊富な方から学んでいった。そうするうちに投稿の巾が広がっていった。

 初掲載から今年末で18年3カ月経ち342編掲載された。このうち今年は25編掲載された。これの多少は分からないが、これまでの私の掲載年間記録23編を超え、年間最多の掲載年となった。掲載は数ではない、その中身が備わっているかが問われることは分かっているが、載っても載らなくても投稿を楽しむ一人として、やはり記録しておくことも喜びになる。

 はじめは切手を貼った封書での投稿だったが、今はメール送信に変わり、投稿という小さな世界にも時代の変遷を感じる。同好会入会の折り「投稿が掲載されるということは一定のレベルにあると思い、自信を持ってさらに挑戦を続けるよう」言われた。マンネリでなく新鮮さを失わないよう続けたい。

 (今日の575) 掲載の何倍没があるだろう
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正月の朝

2024年12月26日 | エッセイサロン
2024年12月26日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載

 私は高校卒業後に就職した。24時間稼働する工場の3交代現場に配属され、30代初めまで続いた。夜勤の時は午後11時から翌朝7時まで勤務した。
 夕食を済ませ出勤していたが、これでは朝まで活力が持たない。同僚はむすびやパン、麺など軽い食事を持参していた。夜食は計器室にある休憩所で取り、そこには流し台と給湯設備があり各自が調理していた。
 私は生麺のうどんをよく持ち込んだ。湯で麺を温めてほぐし持参の即席だしを加え、薬味を入れて職場ならではの夜食を楽しんだ。
 ある年の大みそか、全員が生そばを持ってきていた。しかも一人が正月用に家で作った地元名物の角ずしを全員分用意しており、大きな拍手が起きた。すしの加わった豪華な年越しの夜食をそろって食 べた。
 職場にはテレビの紅白歌合戦の歌声や除夜の鐘の音も初詣の中継なども届かないが、家とは違った、大みそかのひとときを過ごすことができた。
 生産現場では安全と安定運転が第一の使命。それを果たすのに空腹のいらいらは厳禁だ。そんな大みそか明けの正月の朝、工場の銀色のタワーが初日の出でだいだい色に映える姿が見られるのは、夜勤勤務者へのご褒美だったように思う。

 (今日の575) 真夜中も働く者の一駒を
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暫定税率廃止 早期実現を

2024年12月18日 | エッセイサロン
2024年12月18日 中国新聞「広場」掲載

 ガソリン税に上乗せされている暫定税率の廃止について自民、公明、国民民主の3党幹事長が合意したという記事が12日付の朝刊に載っていた。私の長年の願いがかないそうだ。値上がりが続くガソリン価格の下落につながると期待したい。
 自動車を持ってから56年目に入った。数年過ぎた頃から燃費を記録している。ガソリン1㍑当たりの走行距離だ。車の性能やガソリンの品質の向上で、燃費は2倍近くに改善したようだ。
 1997年ごろからは1㍑当たりの価格もメモしている。それによると当初は90円台だったが、次第に値上がりし、2021年末には160円台になったと思う。不安定化する中東情勢を考えると、もっと上がるのではと危惧する。   ]
 わが家のような高齢者家庭では買い物や通院などの日常生活に車は欠かせない。暫定税率分の約25円か減れば少しは生活が楽になるだろう。しかし、3党の合意書には廃止時期が明記されていないのが気になる。早く決まってほしい。

 (今日の575) 僅かでも燃費あがれと運転す
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アサガオ

2024年12月05日 | エッセイサロン
2024年12月5日 中国新聞セレクト「ひといき」掲載
(最後の一輪)

 師走になった。暑かった今夏を振り返る。こだま欄に掲載された「飛べないセミ」をみとったり、熱中症のスズメを救助したりと不思議な初経験をした。アサガオもそんな中の一つである。
 7月の終わりだった。猛暑で焼けるような庭土を押し破ってアサガオの双葉がのぞいた。昨年のこぼれ種が芽を出した。そう思うと、その生命力とど根性に引かれ「よし育てよう」と小さな根を切らないよう丁寧に採取し畑に移した。
 「この暑さで本当に育つだろうか」と心配をした。だが少しずつ、つるが伸び始めた。これなら暑さに勝てそうだと支柱を建てた。つるが支柱を上り始める。その姿がいじらしい。
 1ヵ月ほど過ぎたころ、花が咲き始めた。純白の1輪だ。その清楚な姿と猛暑に耐えた強靭さに私たち夫婦は喜び、さらなる開花に期待した。
 それからは毎朝3から5輪、多い時は10輪以上が咲いた。「今朝は何輪か」。子どもに戻ったような確認作業が、その日の元気を呼ぶスタートになり、朝夕の水やりも気合が入った。
 11月に別れが来た。「元気と楽しみをもらった、本当にありがとう」。そう感謝し、来年も咲かせようと採種した。暑い夏のいい思い出になった。

(今日の575) 純白に咲くのか黒いこの種が
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消せない跡

2024年11月13日 | エッセイサロン
2024年11月13日 毎日新聞「はがき随筆」掲載

 先輩が亡くなってすぐの奥さんの話。
 主人は視力検査不適で運転免許を失った。「不便になったねえ」とたまにだが愚痴っぽく言った。それから間もなく主人は入院したが、帰らぬ人となった。愚痴を言ったことを心から詫びた。旅や買い物、通院やちょっとそこまで、嫌な顔をせず乗せてくれた。そんな愛車のタイヤの跡が薄く車庫に残っている。その跡を消すまいとそれを避けるように手心をして掃いている。それは感慨深い口調だった。
 先日、車庫を掃く姿を車窓から見た。あの跡はどうなったかな、お元気な姿にほっとした。


 (今日の575) 薄くても思い出濃いいタイヤ跡
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「商店街が消えた」の言葉にショック

2024年11月05日 | エッセイサロン
2024年11月5日 毎日新聞「みんなの広場」掲載

 10月23日の本欄「商店街の衰退を食い止めて」を読んだ。私の住む岩国市でも、国指定の名勝である錦帯橋のそばにあり、 「銀座通り」と呼ばれ100軒ほどの店でにぎわった街一番の商店街が、郊外型大型店の出店ですっかり衰退してしまった。
 先日、その商店街で初老の男性が閉店した書店を撮影していた。かつて父の転勤で移り住んだ地を訪ねて旅をしているという。岩国の感想を聞くと「錦帯槁の5連のアーチは昔と変わらないままたが、商店街が消えていることに驚いた」と話した。
 「シャッター通りになった」「寂しくなった」という声はよく聞くが、「消えた」という表現を聞くのは初めてでショックを受けた。かつてのにぎわいの記憶との対比から、そのような言葉が出てきたのだろう。
 商店街は江戸時代から商人の町として栄えてきた。観光によるにぎわい復活を模索しているが、歴史を生かし独創的な施策がほしい。

 (今日の575) 懐かしい屋の付く店を思い出す
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まだ油断できない感染症

2024年11月04日 | エッセイサロン
2024年11月4日 中国新聞「広場」掲載
(中国新聞より)

 新型コロナウイルスが5類に移った後の1年間で死者は3万人を超え、季節性インフルエンザの約15倍だったと10月25日付1面に載っていた。その数に驚き、移行後、発生状況の報道に疎くなっていると気付いた。
 10月中ごろ、軽い負傷で経過観察のため半日入院した。その時「感染者が多いので」と新型コロナの検査を受けた。幸い陰性だったが、「油断できないのだ」と感じたことを思い出した。
 地元岩国市の広報にワクチン接種料金の助成が出ていた。高齢者はちょうど接種時期のインフルワクチンと合わせ、自己負担が3600円ほどになる。夫婦だとそれなりの出費になり、インフルの接種を優先し、コロナは少し後に考えている。
 関連記事で、感染の広がりを心配する高齢者施設の人が「不特定多数が集まる場所ではマスクをして」と訴えていた。わが家ではコロナ以降、外出時の着用を続けている。夫婦で忘れないようチェックし合う。状況を見ながら、しばらくはこういう姿勢で対応しようと思っている。

 (今日の575) マスクして会話初めてもう何年
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就活に挑む高校生を応援

2024年09月23日 | エッセイサロン
2924年9月23日 中国新聞「広場」掲載


 「就職試験控え揺れる思い」という17日付ヤングスポットの投稿から、高校生の不安と焦りの気持ちが伝わってきた。会社の採用担当として接し、面接で膝に置いたこぷしを固く握る真剣な姿を見て、全員採用したいと思ったことなどが脳裏によみがえった。
 私か担当したのは40年くらい前から定年までの十数年間だ。多くの学校を訪問し、就職希望の生徒さんと接触し話も聞いた。試験までの思いは変わらないと感じた。 当時は、会社案内が就職希望先の主な情報源だった。今はインターネットなどで得られ、より詳しく知ることができるだろう。
 今年の採用活動の状況が報道されている。就職希望者が減り、「売り手市場」といわれる。だからといって選考は甘くない。試験のチャンスを生かして挑戦し、養った力を発揮してほしい。
 実社会へ巣立つとき、健康であることが肝心である。健康を害し入社できなかった例がある。残る半年間、健康で実りある高校生活を送ってほしい。


 (今日の575) 生涯を託す仕事に前途あれ
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