外国での生活経験がないので、外国の地に四季があるのかないのか分からない。書かれたものを読むと「日本の四季ははっきりしている」という。ならば似たような季節はあるのかもしれない。雨期、乾期といわれる表現もその一つだろうか。日本の四季にはそれぞれの季節に日本独自の食材がある、というのは昔の話。今は1年を通して大方の野菜が必要なら入手でき四季感は薄れている。
加工や特別の保存策をして通年食していた話は過去のことになった。そんな保存食などが珍しいと求める人も多い昨今、本物志向だろうか。空調設備を備えた工場農業でも出来ない物はある。高価なマツタケなどはその一例、それほど高価ではないが旬のものとしてこれから出回るタケノコは自然物しか入手出来ない。
はしりのタケノコを頂いた。それも茹でてある柔らかいひと品、我が家では今年初物。昔、畑の周囲にのぞくタケノコ、放置するわけにもいかず、1本残さず掘っていた。シーズ中は毎食何かの形でタケノコは食卓にのる。畑がなくなり、タケノコはいただく品に変わると、粗末に扱った時代が懐かしい。このタケノコの人工栽培はまだ聞かない。まさにこの季節だけの旬の物である。シャキッとした歯ごたえにから旬の味わいが広がり、予定外の晩酌になった。
食用になる竹の種類は孟宗竹、淡竹、真竹の3種類は知っている。今、頭を覗かせるのは孟宗竹の子、これから初夏へかけて竹林まわりで伸びていく。皮を脱ぎながら伸びて若竹となり、やがてさっぱりした性質で曲がったことが嫌いな姿になる。竹を割ったような人はここから来ている。明日は花見、筍風の吹かないことを願う。