長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

ネコの話ぱーと2 出会い

2011-05-18 06:50:06 | Weblog
ネコの話が続く。
昨日、カフェ本の取材があった。その類の本には、
「めあか」がつくくらい紹介されている。いつも本が
できあがってくるころには、「ヘー、こんな取材したんだ」
みたいに、「ひとごと」になっている。

昨日は、今話題の手ぬぐい「出会い」をデザインした長繩さんと
カウンター越しに、話をしたいるところを中心に取材された。
彼女は、こないだまで鳩の街の鈴木荘というところで、お店を
やっていた。古本市を企画したり、ワークショップを企画したり、
この街をデザインするくらい、なくてはならない人だ。
先日の「墨田ぶらり下町音楽祭」の地図も彼女が書いた。
彼女のつくる地図は、ネコが散歩するみたいに、路地裏の植木鉢や
縁側の足あたりが、目線になるくらい、おもしろいし、歩いて
みたい気持ちになる。

夜は「書の会」だった。
貞本先生とは、大塚の江戸一という「居酒屋」といいたくない、
「お酒がうまいお店」で出会い、意気投合して、今にいたる。
「天真庵」という看板も、「下町ぶらり音楽祭」という字も、
彼が書いた。実は、この「出会い」という手ぬぐいを、お願い
した「張福」というお店のロゴも、彼が書いた。
夜の「文花的な寺子屋」も、低エネルギーで持続可能なスタイル
に定着してきた手ごたえがある。
昨日は、「墨田区限定」の「東京サイダー」をみんなで、ハイボール
にして飲んだ。「えんどう豆のたいたん」がうまかった。

お客さんに「えんどう豆」をどさっといただいた。
「粒々皆辛苦・・・」と呪文をとなえながら、皮をむき、
500gくらいの豆に、ひたひたの水をいれ、ことこと
と弱火で炊く。途中で、砂糖を大匙3くらい入れ、最後に
「かえし」をさーっと投げ込む。蓋をして、煮ふくめる。

そぼろをつくる。鶏のミンチに、酒と水と、蕎麦の「甘汁」(九州の醤油を
煮きってつくる)を入れ、はしでかき混ぜながら、つくる。
小倉駅のホームの「すうどん」には、これが、のっている。ぼくらの
ふるさとの味。
最後の「筑前くず」を使って、平飼いの卵の「黄身あん」をつくる。
えんどう豆、そぼろ、その上に黄身庵・・・・
春の山に雪がふった景色を「三段締め」というが、それに煮た
「贅沢な春」を味わえる。

今日明日はお休み。またまた、東京をこれから脱出。



ネコを飼うということ

2011-05-17 08:34:03 | Weblog
週末のおそい時間に「犬を飼うということ」
という番組がある。近くの文花団地が舞台になっていて、
縁あって拾ってきた犬の名前が「スカイツリー」だ。

日曜日に「墨田ぶらり下町音楽祭」があった。このサイトを
つくってくれているのが、リョーくん。このお祭りの力強い
縁の下の力もの。その力持ちの腕に、生まれたばかりの子猫が
抱かれていた。音楽祭の最中に迷い子になっているのを、お客さん
がみつけ、届け出た、とう話だ。やくざみたいな強面の男が、小さな
チワワなんかを散歩させているのは、なんとなく変だけど、笑えて
しまうくらい、大男の腕に抱かれた小さな子猫も、絵になっていた。

「1日うちにおいてみます」ということだったが、昨日の昼に
リョーくんがきて「今、病院にいってきました。オンプという
名前にした」とのこと。音楽祭の日に拾われたネコが、音符に
なった。確かに白い体に黒い音符みたいな模様がある。

3月11日以降、なんだかしらないけど、二階には、「寒山拾得」
を飾ってある。♪(オンプと変換したら、このマークがでる)
♪鐘が鳴ります 寒山寺(蘇州夜曲)
の寒山寺が、寒山のゆかりの寺だ。寒山は洞窟に住み、詩を書いて
いた。寒山詩というのは今でも読み継がれれいる。だから日本人は
寒山を文殊菩薩の化身と信じてきた。拾得とかいて、「じゅっとく」
という。豊干という老師に拾われて、典座(お寺の料理かかり)を
やっていた。普賢菩薩の化身だといわれてきた。
拾われたので、拾得(じゅっとく)。
寒山と拾得をモチーフとした、いわゆる「寒山拾得図」というのを、
禅林や絵かきが好んで描いた。「無心」や「禅的境地」に達して
いるかいなかのメルクマールみたいなものだろう。
京都にいくと、いろいろなところに、この寒山拾得が遊んでいる。
老舗のライブハウスに「じゅっとく」というのがあるくらいだ。

今回の地震で、大地が揺れ、大津波がきて、たいへんなことになった。
いや、これから本格的にたいへんな時代がくるだろう。でも悪いこと
ばかりではない。身の丈を超えた経済活動とか生活。贅沢三昧な食や
それを可能にする化石エネルギーの無手勝手な浪費など、「足るを知る」
なんていうことを大切に生きてきた先輩たちを、あざ笑うような生き様が
、自然の神さまの怒りをかった、みたいに、一掃された。
ここで「何かにきずく」ことも、拾いものかも知れない。

寒山の有名な詩に「白雲は幽石を抱く」というのがある。
白雲、自然が岩や山や、さまざまなものを抱くことによって、一体
になった宇宙」みたいな意味だろうか。
生きとし生けるもの、ネコも犬も、めだかも、草花も・・・みんな
同じ星で、飯を食ったり、くそをしたりして、生きていく。

今日は「書の会」だ。
貞本先生に「白雲抱幽石」と書いてもらおう。


月曜の朝は卵かけごはん

2011-05-16 07:26:25 | Weblog
昨日は3回目の「墨田ぶらり下町音楽祭」だった。
天気にも恵まれ、スカイツリーも634mまでになって、
なんとなく、達成感がある。
みんなで協力しながら、手作りではじめて、まわりの商店街の人やボランティア
の人、安いギャラでこころよく演奏してくれる人、わざわざ、それを聴きに
きてくれる人、マスコミの人・・・・みんなのお陰だ。感謝感謝感謝。

打ち上げはいつものように、spice cafeで。お祭りの後の余韻を味わう暇もなく、
スタッフの人たちは、空腹になった人たちのために、心のこもった料理をつくって
くれた。このお店が、全国区に名前を知られているのは、なにより、そんな「魂の
籠った料理・接客」があるからだと思う。日本一のカレーやだ。
音楽家やボランティアや、開場を提供してくれた方たちと、美酒を飲みながら
おそくまで「祭り」を堪能した。

今日は、「卵かけごはん」の日。朝はやくから蕎麦を打ち、焙煎をした。が、
こんなことをしている場合ではない。
これから出陣しなくては・・・

明日は「書の会」
火曜日・水曜日は、ひさしぶりに、何もない休み。

5/23(月) クラシックライブ
演奏:平山伸一郎(ヴァイオリン)・赤松林太郎(ピアノ)
19時開場 19時半開演 ¥4,000
   (お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)


今日は晴れた。晴の日の下町音楽祭

2011-05-15 07:12:16 | Weblog
今日は「墨田ぶらり下町音楽祭」だ。
お祭りはいい。非日常なのがいい。みんなで協力して、
ともに助け合ったり、工夫したり、話し合ったりして
作っていくのがいい。緊張もするけど、終わった後の
達成感がまたいい。いつものように、午後から5箇所を
オペラとか、バロックとか現代音楽だとか、いろいろなジャンル
の音楽を、梯子しながら、ぶらぶらと、下町を楽しんでいただけたら
こんなにうれしいことはない。
幼稚園では、いろいろなお店が出展をする。

今回の大震災で、お祭りやイベントが自粛ムード。
この音楽祭も例年ほど、チケットが売れていないけど、
無為自然というか、自然のなりゆきにまかせるしかない。
音楽は、人が生きていく途中の、苦しみとか悲しみなんかを
表現したものが多い。生きていく間は、いろいろなことがある。
想定外のこともままあるし、立ちすくんでしまうようなことも
ある。そんなどん底のときにこそ、音楽や芸術が、生まれてきた。

昨年の音楽祭は朝から雨が降っていた。今年は晴天なり。
スカイツリーの下で、素敵な音楽家たちの演奏が踊る日。



墨田ぶらり下町音楽祭

2011-05-14 08:38:35 | Weblog
昨日の夜は、「ねんどの会」。ちょうどJ-WAVEで
「墨田ぶらり下町音楽祭」のことで、かよちゃんがでるので、
みんなで聴いた。玉音放送を聴くみたいに、みんな真面目に
聴いた。この会の最年少はみくちゃん10歳。お年玉で
ねんどの勉強をしている。
「習いごとは、自腹」に限る。自分のお金を使わないと、身に
ならない。バブルみたいな時期があり、会社とかサラリーマンも
「経費」でいろいろなことをやる悪習ができた。
そのせいで、「真剣に遊ぶ」とか「命がけで習い事をする」みたいな
ことが、稀有になった。

ねんどが終わったら、普茶料理みたいに、みんなで同じ釜の飯を食う。
昨日は、そばをきしめん風にして、食べた。誰かが「大家族みたい」
といった。まさに言い得ている。家族で食卓を囲む、同じものを、同じ
時間に喰う。こんな幸せなことはない。そんな普通の「食のありかた」
が壊れ、家族も体もバラバラになっていった感じがする。

明日は、いよいよ「墨田ぶらり下町音楽祭」だ。
「この街のコンシェルジュ」であり、明日の演奏会場になる
黒崎竹信堂さんが、朝から掃除をしていた。さすがだ。
余震に備え、「お客さんにけががあってはならない」と、
大工を入れて耐震工事までして準備。口は悪いけど、腕のいい職人
であり、この街にはなくてはならない人だ。

昨日、静岡のタウン誌の取材があった。初めてこの地にきたライターさん
が、「こんな街が東京にあるんですね」と、驚いた様子。
「人がおもしろい」とのこと。そう、観光とは、そこに住んで、
生き暮らしている「人」に、光をあてて観てこそ、おもしろい。
タワーの光もいいけど、タワーの下に目をむけて、そこに住んで
いる人たちが見えたら、おもしろさが10倍。
明日の音楽祭は、そういう意味では、最高の「下町散策」
であり、「音楽」まで聴けて、しかも被災地にワンコインの寄付
までできる、という「豪華な一石三鳥」みたいなお祭り。
無駄のない縁で結ばれている人たちと、再会できるのを楽しみに
しています。

チケットは、天真庵やspice cafeでも売っている。明日は、十間橋通り
の「ふれあい会館」で、当日券を販売します。





黄檗

2011-05-13 08:41:02 | Weblog
昨日は、表参道にいって、煎茶のお稽古。
後輩が、きれいに煎茶をいれてくれて、それを堪能した。
宇治の上林 のお茶。お茶といえば、宇治。隠元さんが
中国からいんげん豆とかお茶とか禅をもってきて開いた
のが黄檗山萬福寺。普茶料理の里でもある。大皿に
料理を盛り付け、みんなでいっしょにいただく。
そんなシンプルな思想がいきずいている。
煎茶では黄檗山が甲子園みたいなものだ。

5月22日まで福岡の「九州国立博物館」で「黄檗」
という展覧会をやっている。
ぜひいきたいと思っている。

今日は「ねんど」
こねるのまいかさんがやってくる日。
彼女の笑顔は、彼女がつくるねんどや、イラスト
に魂として憑依しているくらい素敵だ。
近くにある「スマイルキッチン」の店主の笑顔も
いい。文化一丁目のカフェspice cafeといい
、天真庵といい、どちらかといえば仏頂面だけど、
駅前の二店の店主は、ほんとうに笑顔がいい。
押上の「隠れた名店」だ。

「相笑相語」あいわらいあいかたる・・・そんなお互いさま
がこれからはとても大切だと思う。

明後日の日曜日は、「墨田ぶらり下町音楽祭」
本日J-waveに、かよちゃんが生出演。

秋葉の隣はおがつまち?

2011-05-12 09:13:59 | Weblog
昨日は休みだった。朝起きて、珈琲とパンで朝ごはんをさっとすませ、
車で桧原村にいった。時間があると最近は、この東京都とは思えない
寒村の中で森林浴を楽しんだり、鳥の声を聴いたりしている。
公営の小さな温泉につかり、「一筆啓上仕り候」の鳴くホオジロのさえずり
なんかを聴いていると、幸せな気分になる。
湯からあがると、隣接してある食堂で昼ごはん。

地元の野菜のおひたし(名前はわすれた。ほうれんそうみたいな)を酒肴に、
地酒・喜正のぬる燗。お店の人が、「このおひたしは、義援金になります」
という。200円のおひたし。そのまんまでも安いのに、それを義援金に・・
すばらしい・・・などと感動しながら、「もうひとつ」と繰り返し、3皿
頼み、喜正も5本を空けた。地物のまいたけのてんぷらなんか最高のごちそう。
いつも、そんな風にしながら、酔ってくると、畳の上にごろんとなって、
持ち込みの本を読む。

昨日は、ヤフオクで落とした寿岳文章の「美しいもの」
を読んでいた。著者が、東北を旅した昭和40年のころの様子が書いてある。
楮(こうぞ)・三椏(みつまた)など、日本が誇る植物がある自然の中で、
和紙が漉からてきた。いつしか西洋紙におされて苦戦しているけど、やっぱり
和紙のほうに最終的には軍配があがるにちがいない。こんな歌が紹介されていた。
読んでいたら、涙があふれてきた。

子が泣けば 紙漉やめて 乳をやり 寝かしつけては また漉く妻よ

小さな幸せな日常が自然に吐露されていていい。今よりも不便で
貧しい時代だったけど、いろいろなところが豊かだったような気
がする。

今朝、近所のマンモス公園の近くを散歩していたら、小さな張り紙があった。
「ここの張り紙をおごとわり」と手書きでかいてある。界隈には東北出身の
人が多い。「犬の糞おことわり」と同じようなクレームの張り紙だけど、
なんだかほっとした。昔、石巻の雄勝を旅したとき、雄勝硯を買ったことがある。
いつもこのPCを置いてある般若くんがつくってくれた神代楢の文机の下の黒い
漆の硯箱に入っている。その時に買ったお店の女将さんが、「徒町(おかちまち)というのは、東北弁だと「おがつまち」なんですよ」と教えてくれたことを思い出した。

一筆啓上仕り候。今では、ホオジロの専売特許みたいになったけど、ときどきは
手書きで親や友だちに手紙を書いてみよう。気持ちがこもったものが、伝わっていく。

明日は「ねんどの会」
こねるのまいかさんが、「土をこねる」楽しさを伝授してくれる日。

日曜日。5月15日は「墨田ぶらり下町音楽祭」
仕事もお祭りも、続けていくことはたいへんなことだ。でも
みんなで力をあわせて、何かをなしとげていくことほど、自分の
存在がわかるときはない。
人は、人のお役にたって、その人が喜ぶ姿の中にだけ、自分の存在を
感じる動物らしい。





アル中?ダメ中。

2011-05-11 07:44:07 | Weblog
今日、明日はお店はお休み。

昨日は「英語で蕎麦会」だった。
長屋に移り住んで、きれいな嫁はんももらい、すっかり地元に
なじんだ感じの岩本先生が、鞭をふりふりチーパッパ、その後
酒を飲み飲みチーパッパと英語を教えてくれる日だ。
この会は、1999年ころぼくの友だちのビル・スメール
が、「ビールとスルメで英会話ね」なんていいながら、飲みながら
力を抜いて英会話を始めたのがきっかけ。ビルも下町が大好きで
銭湯にいった後、近所のカラオケで「北国の春」を歌うのを日課
にするような、変な外人だった。昨年ひさしぶりに日本にきて、
京島のスナックで、5年ぶりに「北国の春」をきいた。
そのあとをついだ岩本先生は、下戸だった。生徒たちは酒豪、猛者
が多く、はんたいに先生が酒をきたえられ、今では日本酒だと2合は
飲めるようになった。ときどき酩酊して授業中にコックリさんになたりする
けど。
昨日は、音楽家がふたりいたので、というわけではないけど、「音響熟成」
と銘打たれた「れんと」(黒糖焼酎)を、炭酸割りにして飲んだ。
炭酸は、地元の「あずま炭酸」?・・・朝、押上文庫の文庫ちゃんが
差し入れてくれたものだ。ビンにシロで印刷された文字までレロトで、
フンイキがある。せんぬきで蓋をあけて、飲んだら、「さわやかな夏」を
感じた。岩本さんは、あまり焼酎は飲まないのに、昨日は飲みすぎて、
いつものように「返事はいいけど、馬耳東風」な感じだった。
英語ができる人は、ケンカや夢まで英語になるまで、大きな分岐点
があるそうだが、英語の道にいけた人は、ユニークな人が多い。

同じように、中国語でケンカや夢まで見る「まいこ先生」のユニークさ
というのも、人後に落ちない、というより国宝なみだ。
二日続けて、そんなユニークな語学の勉強会ができて、ほんとうに
幸せに思う。ぼくは、二階で「かっぽれ」だが・・・

今週の日曜日15日は「墨田ぶらり下町音楽祭」。
三年目になる。先週は「アド街っく天国」で紹介され、昨日は
朝日新聞に紹介された。お祭りは自粛ムードだけど、
人を元気にするには、まず自分が人生を楽しんだりしないと、
みんなへこんでしまう。しばらくは、日本の経済は凋落ぎみ
だと思うけど、経済だけが人生ではない。こんな時こそ、
「日本人にもどる」いいチャンスなので、記憶の奥底に潜んだ
底力を呼び起こして、これからの人生に向かっていきたい。
悪いことばかりじゃない。音楽家や芸術家が活躍する時代は、
今までも、「まさかの坂」みたいな混沌としたときだ。「今」
みたいな時代だ。今回の音楽祭も、バロックやクラシックな音楽が
中心。迷ったり、悩んだときは、「古典」がいい。

古典ではないけど、渡辺愛子さんの陶展が今日まで池袋の東武デパート
でやっている。信楽の古典といえば、「蹲」(うずくまる)。人が
悩んで蹲る姿に煮ているところからそう命名され、昔から茶人に愛されて
きた器だ。時間がある人は、東武へいってほしい。あのデパートの地下の
酒売り場は、日本一だと思う。池袋時代は、週に二回は通って勉強した
ところ。カウンターだけのカレーやも美味い。

羊頭狗肉みたいな「放蕩鍋」 でも食中毒にはならない。くせにはなるが・・

2011-05-10 08:34:37 | Weblog
ときどき、猟師さんと原始的なぶつぶつ交換する猪の肉
が冷凍庫にひとつ残っていた。いつもは、半解凍してルイベ風
にして食べるのだが、肉を生で食べるのは、微妙な時期なので、
味噌仕立ての鍋にした。蕎麦はそれにまけないように、
ほうとうときしめんの中間あたりにした。昨日の易の勉強でいえば
「中庸」。ほどほどというのが大事である、という東洋の智恵は、
占の世界でも大事にされてきたらしい。
「過ぎたるは、及ばざるがごとし」(中庸)・・普遍の哲学。

話がずれたけど、蕎麦はもともと太くうって食べてた。その前は
そばがきで食べていた。技を競ったり、へんなうんちくが語りつがれたりして、
「10割蕎麦の細打ち」みたいなもんが流行ったりしているのだと思う。
細い蕎麦も「噛む」けど、噛み締めることはできない。
この「ほうとう鍋」みたいな猪鍋に、太めの蕎麦を入れて食べると、
信玄もびっくり(ほうとう鍋の発明者)するくらい、うまい。
今年の夏は、節電のためにクーラーのきいていない部屋で過ごす
、つまりは、昔風の生活をよぎなくされる。
暑気払いとは、もともと「すきやき」「なべ」「ゆどうふ」など
熱い夏に、ふーふーいいながら、熱いものを食べて、自分がだす
汗で涼をとったのが、原点。
久保さんが、四角い黄瀬戸の鍋をつくってくれたので、夏の
メニューに「湯豆腐」なんかをいれようと思っている。
いろいろなものを食べたり飲んだりしつくした後に
いきつく鍋。そんな鍋のことを「放蕩鍋」といったりして・・・

今日は「英語で蕎麦会」
長屋に一昨年の秋に移り住んだ岩本先生がやってくる日。
せんしゃくんも、近所に越してくる予定らしい。
蕎麦職人の「ひび庵くん」は、路地裏をうろうろ散策中。

明日は休みだけど、夕方「かっぽれ」。下は「ダメ中」
ふたつの教室をいっぺんにやり、蕎麦会をいっしょにやる。
かっぽれは男ばかり、反対に「ダメ中」は、きれいな(おじや、いや、おせじ)
女性ばかり。「蕎麦屋の二階」のコンパみたい。これまた楽し。

5月15日(日)は、「墨田ぶらり下町音楽祭」


TKG

2011-05-09 11:04:18 | Weblog
今日は月曜日。
月曜日の朝は「卵かけごはん」(TKG)の日。

奇人の会員制倶楽部みたいな感じの天真庵だけど、昨日は
さすがにテレビの影響もあって、デビュー戦の人があまたいた。
いつもは、前を何度も、寅さんが実家にかえってくる時みたいに、
往復し、やっと勇気をだして、扉を開けようとして、その重さで
挫折したり、カウンターの中の頑固親父?の目線で足がすくんだり
する人も多いみたいだけど、昨日はいっぱいで、100人以上きたけど、
同じくらいの人ははいれなかった。
蕎麦が2時間もたなかったので、ガレットを
かなり焼いた。チーズケーキは、4度焼いた。(48人分)
氷を二度買いにいき、ガレットのチーズも買いにいった。
選挙の応援演説ではないけど、「金も看板も経験も・・・・ないないづくしでは
ありますが、がんばります」状態だった。

今日の朝は、静かに始まったけど、途中からいっぱいになり、11時半に売り切れて
何人かはお断りした。

今日の夜は「易の勉強会」
今日は何もしこめないので、ごはんを炊いて、
かつおぶしに醤油をかけて、「ねこまんま」でもやろうかしらん。

目に青葉 山ほととぎす ねこまんま

5月15日(日)は「墨田ぶらり下町音楽祭」
ほんとうに、この界隈の「人」がわかるのは、この
お祭りや、秋の「JAZZ十間橋」のときだと思う。
観光・・・人にスッポライトをあてて、それを観るのが一番。感謝。