◆大和のふるさと くれ
駅で「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れる呉のご当地マンホールは、やっぱり戦艦大和なのです。これは「大和ミュージアム」の前にあります。今回は隣の「てつのくじら館」を見学しました。ゆっくり来れたときは「大和ミュージアム」を見に行きたいと思っています。
◆ついでに広島市のカープ坊や
今年の日本シリーズは逃しましたが、カープ坊やはマンホールになってます。これは広島駅前でゲット。せっかくのふっくらほっぺが欠けています。たぶんマツダスタジアム周辺にはもっときれいなのがたくさんあるはず。カープ坊やは1975年に初登場です。ややレトロ風味の野球少年です。
そうこうしているうちに2月になってしまった。
◆佐伯市ですよ
1月後半には佐伯に行った。佐伯は大分県の海沿いの南端、宮崎県との県境のまちである。日豊本線の大分市よりも東へは、なかなか行く機会がない。大分の先は、列車の本数が少ない。醤油のまち臼杵(大きなところではフンドーキンや富士甚がある)を過ぎるともっと少なくなり、さらに先、佐伯から宮崎県延岡の間は、特急が1日13往復走るが、普通電車は1日3往復になってしまうのである。佐伯も延岡もけっこう街なのだけど。
例によって行くところは歴史資料館である。まだ新しい立派な建物である。受付で入場料を払う。平日であったものだから貸し切り状態!!というのもよくある状況である。ゆーっくり観覧。佐伯氏、江戸時代は毛利氏(毛利輝元に名前をもらったとのこと)。明治はじめには西南戦争の激戦地になっていたということ。
館ロビーには進水式のご案内ポスター。造船の町で、誰でも見に行けるらしい。
▲すぐ近くには藩校跡。門が残り、今は小学校となっている。
▲そして城跡。入口は市民ホール。
その後背にある城山にのぼる。なかなか頂上につかない、と思ったら標高140メートルを超す立派な山で、プチ登山となってしまった。あまりヘビーデューティーなデザインともいえないが、ウレタンソールのウォーキングシューズだったのでなんとかなった。ダサ靴と侮ることはできない。
▲やっと見えてきたお城の跡。あとちょっとだ。
▲頂上からの眺望。見晴らしがいい。冷たい風が心地いい。冬はいくらでも歩けるので好きだ。
こういった写真は夏場には無理なんですよ。木の葉や草花が茂るから。
地上に降りて、城下町を歩く。立派な門構えの家々が続く。旧武家屋敷で今は一般のお宅なのである。あとは市内をぐるぐると。国木田独歩旧宅だとか。
と、標高差140メートル(海抜2メートルから登ったからそれくらい)距離にして10キロは歩いたが、全く平気だった。今度行くときは、海沿いを歩きたいと思うが、いつになるだろうなあ。
土日と宮崎市内で急な所用、時々撮影。その後一泊して日南市飫肥で撮影。
土曜日の用事が朝早かったし、前日も夕方まで福岡で用事があったため、空路で宮崎。
九州のほかの県はかなり行ってるのに、なぜか宮崎はじめて(肥薩線真幸駅は例外として)だし、プロペラ機もはじめてなのでウキウキである(←子どもか)。
荷物受取りの時間などないので、最少限の荷物を黒くて四角いよくあるショルダーバッグに入れて行く。
早朝便だし、雨だし、福岡空港へは地下鉄一択である。
よく揺れて少し遅れて宮崎空港も雨。
空港からタクシーの経費が先方から出ることになっていたが、行き先方向の列車に間に合ったので、反射的に乗る。時刻表でしか見た事なかった宮崎空港線だ。田吉から列車は日豊本線となり、これも当然はじめての区間。宮崎を経て佐土原駅からタクシー。途中宮崎交通の回送バスを見る。
「すみませんが回送中です」の表示。なんと低姿勢な!!
佐土原ミッションを終え、そこにちょうど駅ゆきの路線バスがやって来たので反射的に佐土原駅まで乗る。交通系電子マネーがちゃんと使える。でJRで宮崎駅。
宮崎駅近くにお泊まり。
九州内単独仕事は大概日帰りである。博多や天神発だと交通費も安い。出版仕事の場合、経費は自分の会計であるのでここんとこ重要。バス電車便で確実に間に合う限り先方の負担であってもタクシーは使わないのも普段の習慣からである。
それにどの県に行くにも大して時間はかからない。
ところが宮崎は時間がかかる。大分まわり特急電車で5時間半はかかるし、博多から新幹線で鹿児島中央まで行き、そこから宮崎行きの特急に乗るコースも4時間はみといた方がいい。新幹線使って新八代で大慌てで高速バスに乗り継いで計約3時間というのが公共陸路で一番早いし、全行程高速バスだと4時間半くらいでとても安いけど、高速バスに遅れはつきものである。ちなみに夜行は、列車もバスもない。したがって急ぐとき、朝早いときは空路となる。
そういや、単独お泊まりも久しぶりだぁ(←浮かれている)。
だが、前日からのバタバタと朝からのバタバタで、チェックインして持参のコーヒー(個別包装のドリッブコーヒーって便利)飲んだらもうお外には出られない。今日の内容をまとめてバタンキュー。コーヒーを飲んでても爆睡である。
翌朝はスッコーンと晴れている。朝ご飯に出てきたとりごぼう飯がおいしい
駅は、巨人、ソフトバンク、オリックスなど野球チームと、サッカーチームのキャンプ案内がいっぱい。
市の広報の表紙も、プロ野球キャンプ特集である。駅前には、キャンプ地直行のバス停が設置されている。
明るくて広々してるというのが宮崎市内の印象。
街なかに、他県だと保存樹レベルの大木が普通にある。宮崎神宮近く県の美術館博物館市民ホールのあるゾーンには、公園隣接している。晴れた早春の日曜ということで、家族連れで賑わっている。芝生の上で遊べる開放的な公園だが、ぽつりぽつりとクスノキの大木があり、あちこちにステキな木陰を作っている。その隅にあるシルクハットの銅像は小村寿太郎。日露戦争時代、先日紹介した金子堅太郎を米国派遣した外務大臣そして日露講和のポーツマス条約の全権大使である。日向国飫肥藩の出身なのだ。
スーパーを覗く(ケンミンショー気分)。
練り物天ぷら類が充実している。チキン南蛮もあるが、一番驚いたのはサバチャーハン450円である。見た事ないぞ。肉巻きおにぎりをおやつに買って公園でちょいとひと休み。激ウマに絶句。肉巻きおにぎりは、宮崎名物で、駅などの土産物屋で、真空包装のものを売っているが、肉が巻いてない場所のご飯表面がカリカリにタレ焼きしてあるところなんかは、真空包装じゃムリである。
この日も、流れるように用事が済み、やはりバタンキューである。
◆日南線で飫肥(おび)へ
最終日は朝から完全フリーである。となると現金なまでに元気に起きて、日南線に乗り、飫肥に出かける。曇天。
日南線も当然はじめてである。宮崎からほぼ日向灘に沿って南下、鹿児島県の志布志まで行くディーゼルである。
車窓からは青島海岸名物「鬼の洗濯板」が見えたりする。
1時間10分くらい乗ったか、飫肥に着く。
「歓迎、広島東洋カープ」の文字と、バットを構えたカープ坊やの横断幕。カープのキャンプ地なのだなと。駅から数分歩いて城下町に着く。
町並み保存について長い間努力が払われてきたことが伺える。旧電電公社マークのついたマンホールがあって、電話線の地中埋設を昭和の間に済ませた地域だということがわかる。建物の色彩や素材について制限があるのだろう。統一されていて、ともかく絵になる。チキン南蛮丼弁当を買って、今日もピクニック気分である。
飫肥城に向かう途中、小村寿太郎生誕地の碑がある。そこは同時に、文化年間、伊能忠敬がここで計測したという看板も立っている。
武家屋敷跡の石垣は、それぞれの家で趣きが違う。藩校の建物が残っている。広い敷地。小村寿太郎の胸像とともに、西南戦争飫肥隊で活躍した小倉処平の碑がある。
飫肥城本丸跡は、立派な杉の林である。
裏手からは、飫肥中学校のグラウンドが見えるのだが、これはちょっと驚いた。
野球場、サッカー場、陸上トラックが完全独立して設置してある。陸上トラックの内側は、ハンドボール場であり、地続きにテニスコートが2面。さらに地続きに何があるのだろうか、ともかくグラウンドがやたら広いのである。一周1キロメートルどころじゃないんじゃないか?
特筆すべきは野球場の隅にある、ネットで囲まれたブルペン。公立中学校でブルペン!! これはびっくり。
練り物を天ぷらにしていたので、種類ごとひとつずつ買う。おび天(鹿児島でいう、さつま揚げ、な感じ)というらしい。甘いめの味つけで、フワフワしている。ごぼう、えびなどいろいろな味があったけど、一番好きだったのは、ゆず唐辛子味だ。
そのうちに時間が来たので飫肥駅まで歩き、南宮崎の終点まで爆睡。そして帰路につきました。
「海幸山幸」などの撮り鉄もいろいろできて大満足でした。