発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

パーキンソン病専門医が作った魔法の『人生100歳健康体操』

2023年12月29日 | 本について

 最近の不調を、ネットで調べたらなんだか難病の症状に近い。パーキンソン病かも。えっ治らない病気なの? 想像するだけでクラっときそうです。
 朝日新聞デジタルの「僕はパーキンソン病」という連載を読み返すと「こりゃ大変だ」と思わざるを得ません。

◆あなたならどうする?
 パーキンソン病は、60歳以上であれば100人にひとり発症という難病としては頻度の高い病気ですが、情報が一般より簡単に入手できそうな新聞記者でさえ、診断を得るまでに葛藤し、躊躇しています。
 
 治らないなら、進行を遅らせ、できるだけ長い間よりよい生活の質を保つためにできることはないか。
 有効なダンスや体操などと、生活習慣上の注意点が読みやすくまとめてあります。楽しいDVDつきで、どんな運動かわかりやすいし、運動すれば病気の進行がゆっくりになり、薬を増やすのも遅くできます。うまく病気とつきあうヒントがいっぱいです。 

 パーキンソン病の診断が出た人はもちろん、
 「自分の不調はパーキンソン病っぽい」と思ったその瞬間から(日程の都合をつけて予約、受診、専門医紹介、またまた日程調整して予約、受診、検査を経て診断を貰うより先に)、家で、道具もなしに、できることを紹介する本です。早い診断が求められますが、すぐ始められます。表紙からして何だか楽しそうでしょ?


『渡辺昇』発刊が遅れます。

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新刊『日本は太陽の国 (一) 伊都国は日本最初の【伊の都】』井手將雪著 解説その1

2023年03月04日 | 本について
    定価2530円(定価2300円+消費税)ISBN978-4-901346-74-0 図書出版のぶ工房発行。 福岡県糸島市近郊で先行販売中。全国発売はじまってます。楽天honto紀伊國屋ウェブでも買えます。

 古代日本の人名地名は、まだ文字を持たないところに、文字を持っている人たちが来て、「これはこう書くんですよ」と、発音から当て字をしていったと考えられるものだけど、魏志倭人伝では「奴国」とか「邪馬台国」とか「卑弥呼」とか、「なんだかディスられてる?」としか思えないような字があてられているものが結構ある。ドレイでヨコシマでイヤシイなんて……。
 ところが、福岡県西部にあった「伊都国」。これも魏志倭人伝に出てくるけど、大きな漢和辞典で調べると「天下を平和に治める人のいる尊い都」という意味だ。しかも、注目してほしいのは、魏志倭人伝の記述では、「奴国」の扱いは21字、「邪馬台国」は45字なのに対し、「伊都国」に関しては110字が割かれている。これは何を意味するのだろうか。(つづく)
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「無理なんだけど、会いたかったね」

2022年03月02日 | 本について
◆校了
 納品日までドキドキだけど、ひとまず通常運転に戻る。
 ある人の評伝のような本を作った。これは市販しない。親しい人のみに配られる。もちろん、書籍コードをつければ本屋に置けるような当社全力クオリティで作ることに変わりはない。大層贅沢なものである。
 私の知らない人の本である。会うすべがなくなってから、それを理由に本のお話をいただいたので、会えるはずがないのである。
 残されたノートや手帳や写真や本やチケットや映画のフライヤーから、その人の声が聞こえてこないか、耳をそばだてながらの作業。霊感系の超能力は持ち合わせていないので、読解力だけが頼り。
 楽しい本にしようと思った。希望も絶望も成果も挫折もひっくるめて。
 図書館に行かなくても注釈が書けるのはいい時代だ。
 その人の行ったまさにその日のライブが、動画配信されていたりする。

 なんとか本になった。
 その人にしてみれば、
「なんだか自分史っぽいものをみずしらずの他人に書かれてしまったよ」
 というところなのかもしれないが。
 私としては
「会いに行けるアイドル」ならぬ「いつでも会える〇〇さんしかもポータブル」ができたと思っている。
 で、思う。

「無理なんだけど、会いたかったね」

 誰かが亡くなったあと、その人についての本をつくる。
 作法はいろいろ考えられるが、
 「悲しい」「寂しい」「泣く」
 この3語は禁句である。

◆フツーの人の自分史の効用
 これまで、「自分史(をつくりませんか)」という広告や文言を見たとき、やめてよ、書かないよ。私みたいな一般ピープルの話なんて一体誰が読むんだろう? と思っていたけれど、たとえば私が1冊「我的生涯」という小さな本を作って消えたとすると、残ったものはすべて即刻、迷わずスッキリ処分してもらえるんじゃないかと思ったりする。究極の終活である。
 本を開いてみようと思う身内も知る人もいなくなったとき、この世から完全に忘れ去られてしまうわけだが、それでもある未来、どこかで古本を見つけて手にする人がいるかもしれない。そして読んで、へえ、21世紀前半のフツーの人はこんな風に生きたんだ、と思ってくれる人がいないとも限らない。
 不朽の魂を持つ、未来への手紙になりうる、ということである。
「地球上のある1日の物語」という映画のような、平板な風景が立体的に、なにか人類のダイナミズムのようなものが感じ取れる材料となるかもしれないと考えると、未来に小さな時限花火を仕掛けるようで、少し楽しくはならないか。

 

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『あれから七十六年』 近日発刊 難民は遠い国の見知らぬ人々のことではなく

2021年12月10日 | 本について
『あれから七十六年』ISBN978-4-901346-72-6 定価1650円(本体1500円+税)
◆難民は遠い国の見知らぬ人々のことではなく
 ネットを見ていると、難民にまつわるニュースや寄付を募るUNHCR国連難民高等弁務官事務所の広告が出てくる。気の毒にと思う人がほとんどだと思う。
 難民は、どこか遠い国の見知らぬ人々のことではない。76年前、戦争に負けて300万人をこえる日本人民間人が「引き揚げ者」と呼ばれる難民となった。住まいを失った上に、人々の多くはすぐには帰国できず、無法地帯と化した場所で、ほぼ自力で寒い冬を越さないといけなかった。満洲だけで100万人、赤ん坊から老人から、弱い人もお構いなしにである。
 ちばてつや氏の漫画などで紹介されているが、祖父とか曾祖父の年代では、日本人として、難民はそう珍しい話ではなかった。他人事ではない。  
「暴力と迫害から逃れて、険しい山道を越え、 ジャングルに隠れ、川を渡り、夜じゅう歩き続けて…。わたしたちは命がけで、 ひたすら安全な地へ急いだ。(ミャンマー/ロヒンギャ難民 )」
「現在、レバノンなどシリアの周辺国に避難しているシリア難民は約564万人※を超えています。これから訪れる冬の厳しい寒さは、着の身着のまま逃れてきた難民のすでに困窮している生活を容赦なく直撃し、特に幼い子どもたちや高齢者などは命の危険にさらされます。※2021年9月現在 」(いずれもUNHCRの広告記事より)
 過酷な状況に胸が痛むが、そっくりそのまま多くの日本人民間人が経験したというと、信じてもらえるだろうか。人々はどのように過ごし、どうやって港に向かい、船に乗り、帰国してどのようにして暮らしていったのか。今回は、二十二人の体験記を『あれから七十六年』として上梓する。



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それでも本を出した方がいい 多くの人に思いを伝えたいなら ただし注意深く

2021年05月26日 | 本について
順不同。
◆Facebookを見ていると、本をつくることに関する広告が多いのに驚く。
◆「ゼロ円で本ができる」という広告は本当か。
◆あなたの本を作りますという広告はどこまで信じたらいいのか。
◆版元としての原則を書く。出版とは、原稿を製品にする仕事である。
◆費用の高い安いは、全く同じ条件下での複数の業者を比較して、初めて判断できることである。
◆いろいろな広告が出ているが、安いと宣伝するところは、著者が自分でやらないといけない仕事が多い。つまりそれは特別に安いわけではない。
◆校正もリライトも必要ないきちんと編集された完璧な文字データを、ページ毎のレイアウト済みで持ち込めば、安いのは当然である。出版社の仕事のほとんどを本人がするからであるドゥーイットユアセルフ。「原稿の製品化」の部分について、お金の動きが発生しない、ということなのである。あなたの労力と時間を採算に入れなければの話だが、必要なときに必要なぶんだけ印刷製本するオンデマンド本の場合、ゼロ円となる。かかるのは一冊ごとの印刷製本代で、従来のように何百部何千部本をつくるよりは単価は高くなるが、在庫は抱えずに済む。
◆では、ゼロ円で本ができる広告主の業者は何で収益を得ているのか。オンデマンド本を印刷するときのマージンは知れている。発行部数がすごく少ないこともありうるだろう。
◆文章を読みやすく整え、目に優しいレイアウトをし、書店で手にとってレジに持って行ってもらいやすいデザインにする、ネット販売だと手に取るのは無理だが、面白さのほかに読みやすさに配慮していないとリピートは無理だろう。流通する商品たる製品のデータを作成するには技術が必要である。乱暴なたとえだが、学校技術家庭科と棚取り付け程度の日曜大工の経験者が材木と道具を与えられて、家具店で販売できるタンスを作るのに遠からずの作業となるかもしれない。
◆おそらくは、著者が、なんとか自分でやろうとしたものの、うまくデータがつくれない、美しくできないときに、業者に依頼するオプション作業に支払う金額で成り立っているのだと思う。
◆結果、従来の印刷出版業者に支払うくらいは製作費を負担することになるのではないか。
◆だから、自分でできることと、業者に頼みたいことをはっきりさせた上で、相見積もりするのが賢明である。
◆いろいろな業者のサービスの内容の表題だけ見るに、どこもそうべらぼうな経費を請求しているわけではなさそうだが、要するに、必要でないサービスは買わず、必要なサービスだけを買えばいいのである。
◆もちろん、同じ条件で比較して良心的な版元や業者とそうでない版元や業者は存在する。
◆あと得意不得意がある。よほど専門的な本を出したい場合、自分の出したい分野の本を出しているところを選ぶのが賢明である。
◆出版コンサルタントにお金を払ってその1割が商業出版にこぎつけているという広告を額面通りに読んでいいのなら、なかなかいい確率だと思う。途中で投げ出す人で儲けている商売かもしれないが、つまり、投げ出さなければいいのだ。
◆「今より収入を増やさなければならないあなたに」と出版を勧める広告!! 売れる原稿を増産できるようになるのは、投下した資本を回収できるのはいつか。とりあえず会社は辞めず、メルカリかヤフオクと並行してスタートされたし。もちろん書くべき(売るべき)何かがあればの話である。
◆まるで出版社がお金を出して刷る売れる本が簡単に書け収入になるととられかねない文面があれば、それは疑ってかかったほうがいい。
◆オンデマンド本にしてAmazonで売る。「出来栄えは遜色ありません」と書いてある。この本が書店に並んでたら、レジへ持っていこうと思うようなオンデマンド本を作ってくれる業者ならぜひお願いしたい。
◆著者の金銭的負担がまったくないのに紙の本ができる、いわゆる商業出版は、よほど中身が良い上に売れる見込みがないと実現しない。
◆どの出版社も、ベストセラー原稿を探している。それは決して多くはないから、コンクールをする。その告知広告のなかの「商業的な見地から全国出版に見合う作品を選出できない場合には本は出さない」の文言を見逃してはならない。そういうことだ。
◆本を書くのは、書きたい、伝えたいことがある人の特権である。
◆本を出すと決めて、準備にかかった人の多くは、私が会った限り、進化を始める。本にする、を実現する決意が、原稿をよりよいものにしていく。
◆自費であっても本は出したもの勝ちである。
◆小説家の販売努力を知っている。本を売って副業にする関門は狭い。
◆周囲の人が買いたいと思わない本は、売れない。身近な人は、あなたの本をお金を出して買いたいと思っているか。
◆販路(講演会、自分の授業)のあてがあれば、これはもう、本は自腹切ってでも、さっさと出した方がいい。レジュメを作る手間が減り、確実に売り上げが期待できる。
◆本を出すと、プロフィールに堂々と「絵本作家」「〇〇評論家」「小説家」「詩人」「〇〇研究家」「その他何かクリエイティブな職種の名など」+「著書に『〇〇〇〇』(〇〇出版)」などと書ける。自分の書いた本があれば「自称だよね」と揶揄されることはなくなる。
◆本は、伝えたいことがあれば、出したもの勝ちである。
◆本は読む人への真心からの長い手紙である。誰かがそれを読む。あなたの知らないところで。どこか遠くの町で。時が経っていても、端末がどんなバージョンアップをしようと、言語を解する人がいるかぎり、それを誰かが読むかもしれない。読む人は時を超えてあなたと会話する。不朽の魂を手に入れるに似たことが起きるのだ。
◆ああ長い。何て読みづらいんだ。また改訂したら、あちこちに貼ります。最後まで読んでくださりありがとうございました。
 気が向いたらまた。
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ニセウイルスと機械伯爵とRPGと私

2021年04月24日 | 本について
◆ニセウイルスは今朝の驚き
 PCを開くなり「あなたのPCがウイルスに感染したおそれがあります」「スキャンします」「5つ見つかりました」「ダウンロードするまで画面を変えないでください」など、人を不安にさせる画面が立て続けに出た。
 そんなときは慌てず騒がず、他のタブレットなりスマホなりで検索すれば、ほとんどの場合「この画面は触ったら面倒だから触らないで閉じてね」という親切な人のサイトや、セキュリティソフトメーカーの「偽物の見分け方と出なくする方法」につながる。それで今日も事なきを得た。……たぶん。
 ただ、昔は必要なかった種類の読解力や問題解決へ向かう粘り強さみたいなものが必要なんだな。ともかく、オバハンには無理、と言ったら負けである。

◆機械伯爵との闘い
 本をAmazonのe託販売サービスで売っている。自分の管理する書籍コードがある本なら登録できる。年会費は9900円、卸値はたしか66%、送る冊数はAmazonから決めてくる。在庫がなくなると1冊単位で注文が来るが、少量送るのにもレターパックプラスを使わないといけないので、送料は高くつく。
 それでよければ版元じゃなく個人でもAmazonで直販できる。私がどこで何をしていようがAmazonがすぐに発送してくれる。
   ……と、サラっと書いたが、本を商品登録して、注文が来て、伝票を出力して梱包に貼り付け、サクッと出荷できるようになるまで正直手間取った。なんのRPGゲームよ、と呟きながら。相手はほぼAIで私はそれを「機械伯爵」と呼んでいる。しばらくやっているうちに完全ルーティン作業となった。こういう不慣れなことを、これからも何度かマスターしないといけないのだろう。

◆版元に在庫がある本は、定価で買える
 本は原則お店で買うという考えの私が、なぜAmazon販売をはじめたかというと、私のところの本で、在庫のあるものを、とんでもない高値でAmazonに出品している業者が少なからず存在することを知ったからだ。版元の倉庫でピカピカの本が出荷を待っているのに「コレクターズ商品」って何? いつでも定価で商品が売れる再販制度の恩恵を受けている以上、在庫がある限り定価でお客様に商品をお届けするのがメーカーの責務である。売れようが売れまいが、画面上、バカ高値は許さぬ意思表示はしないといけない。
 あ、ほぼ絶版で、本当の稀覯本になってるのもごく一部あります。でも、事情をご存じない書店様から突然返本されてくることもありますし、気が向けば増刷もしますから、Amazonで定価販売がなく、ネット上高値がついてても、一応お問い合わせくださいね。


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暴走する『銀河鉄道の夜』

2021年04月18日 | 本について
◆銀河鉄道の音楽
 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を、久々に、それも猫マンガ版(ますむら・ひろし)で読む。
 お話のなかに、讃美歌(プロテスタント系。カトリックでは聖歌)の「主よみもとに近づかん」が出てくる。
 別のところで新世界交響楽(ドボルザークの第九交響曲「新世界より」のこと)の文字も見える。アニメ映画では第二楽章ラルゴの第一主題(いわゆるひとつの下校時間の曲「家路」)が使われているし、大概の評論にも、あれは「家路」に違いない、と書いてある。
 しかし、と、ひねくれ者は思う。
 銀河鉄道の「新世界交響楽」は「家路」とは違うんじゃないか?と私は思うのだ。なぜかって
①「主よみもとに近づかん」(←この曲登場はほぼ確定)と「家路」って、曲的に近すぎる。ざっくり言って
「主よ」はA A' B A‘’
「家路」はa  a'  b  b  a''  a'''
 という構成なのだが、Aメロとaメロがあまりに似通っている。音程を合わせると違和感なく重なる。聞きようによっては同じ曲になりかねない。これらを一つのお話で出す意味が見いだせない(←個人の感想です)。
   
②列車の窓の外でインディアンが鶴を射落とすBGMが「家路」なのは変。これ絶対変(←個人の感想です)。

◆「新世界」について語らせると一晩中でも語れる
 「新世界」は、中学のとき、吹奏楽部が練習してて、ふうん、いい曲だわ、なんて曲?とレコード買って管弦楽で全曲聞いて、一瞬として退屈を許さないすごいシンフォニーだと思った。
 私としては、氷山にぶつかった船(ほぼタイタニック)からやってきた少女が「新世界交響楽だわ」と言ったメロディーは、終楽章から持ってきたい。
 交響曲「新世界から」は、もし何かでほかの名前をつけることになった場合、ドボルザークは交響曲「鉄道」と名付けたに違いない。彼は鉄道好きだからだ。高校の英文読解に、鉄道好きのドボルザークが列車の音に違和感を感じ線路の異常を見つけた、みたいな話もでてきた。
 もっとも鉄道っぽいのが終楽章アレグロコンフォコ。「家路」のつぎに有名な曲でアニメ「ワンピース」(アラバスタ編、ルフィ対クロコダイルの闘い)でも使われていた楽章だが、イントロの向こうから汽笛が聞こえてこないか。第一主題を聞けば、新大陸を疾走する機関車が目に浮かぶ。車窓の風景に目を転じれば、クラリネットが主旋律を奏でる第二主題となる。私は第二主題にストリングスの流れ星を聞く(←個人の感想です)。これぞ銀河鉄道、と思うのだ。

◆止まらぬ妄想列車
 待てよ、宮沢賢治がドボルザークを聞きすぎて『銀河鉄道の夜』を書いたとすると。いやありうる。彼のことだ、不思議ではない。と、『宮沢賢治童話論集』を上梓した発行人が言いきっていいのだろうか。
 第一楽章でジョバンニは丘に寝転ぶ。優しい導入部。孤独で悲しいジョバンニは青い琴の星がきらめくのを見る。光る星々。そこで雷鳴のようにショックを受けてジョバンニはいつのまにか汽車に乗り、カムパネルラと不思議な旅を始める。
 第二楽章で、「主のみもとに近づく」人々の祈り。
 第三楽章のスケルツォで、氷山にぶつかった船を回想。
 で、第四楽章。みんな降りてしまうにふさわしい描写もある。最後に近いところでカムパネルラが降りるところも見つかる。そしてジョバンニは旅を終える。
 
 組曲「惑星」と「海ゆかば」の関係について以前書いてみたこともある。音楽理論は勉強してない。ただ、いい曲ね、と聞き、たまに深読みしたくなる。
 『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の死後に発表されたお話で、当人に「実のところどうなんですか」と聞いた人はいないから、いくらでも勝手に書けるわけだし。



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『「二系民族説」でよみとく金印の謎』

2021年02月21日 | 本について
 ◆『「二系民族説」でよみとく金印の謎』販売中

金印は筑前国の志賀島で発見されたとされる。 読みや由来、真贋について多くの研究者が各論を展開してきた。1892年に三宅米吉が金印に刻まれた「漢委奴國王」の文字を「かんのわ(倭)のなのこくおう」と読んだのが定説となり、その後はそれをスタート地点として金印をもらった「わのなのくに」はどこかという論争が多く展開され続けている。 後藤氏は日本人がいわゆる縄文と弥生の二系民族であると考えれば金印を含めた先史的事象の謎が解けるのではないかと閃いた。
 そもそも金印を受贈された「漢委奴國王」の「委奴」とは、 文字を持たない人々(古代日本側)が話していた自分たちを指す単語を、表音記号としてあらわしたものなのではないか。ならば、漢から命名されたと思われる「したがう」 「遠方」という意味合いを持つ「倭」の国からいったん切り離して考えるのが筋なのではないか。
続く。
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新刊『月形洗蔵 薩長連合その先駆者の生涯 』

2021年02月07日 | 本について
月形洗蔵 薩長連合その先駆者の生涯 』
 元治元年十月、筑前藩主黒田長溥による長州周旋の続行が決まる。長溥は月形に対長州工作の指揮を命じ、それは後の薩摩長州連合の嚆矢となる。三条実美ら尊攘五卿、高杉晋作、西郷隆盛、木戸孝允、土方久元、中岡慎太郎、早川勇、渡辺昇、野村望東尼ら多くの人々との関わりにより全ての礎となるも、慶応元年の「乙丑の獄」により筑前勤皇党は壊滅、月形は謹慎、九月入牢、十月に斬首となる。「薩長連合」の正史を知る一冊。

 A5判 上製 304頁+巻頭カラー口絵
ISBN978-4-901346-68-9 定価 本体3,000円+消費税
令和3年2月より、順次配本開始。

 もう12年になるのか。小社「九州文化図録撰書(街道シリーズ)」の『筑前維新の道』を上梓したのは。当時から「幕末から明治維新の話に、なぜ長州や薩摩でなく福岡?」と言われることは少なくなかった。薩長連合のためにどんなに筑前の人々が尽力したかを知っておいて欲しい。その後、花乱社から、谷川佳枝子氏による『野村望東尼』を出版。また、太宰府天満宮宝物殿で太宰府幕末展が開催され、それにつれて、徐々に売れていった。
 京都の二度の政変で決定的になった長州薩摩の間の亀裂を修復しようと尽力したのは筑前藩主の命で行動した月形洗蔵を中心とする筑前勤皇党の藩士たちである。
 この本は福岡に軸足を置いて活動した月形洗蔵を中心に追った伝記である。膨大な一次資料を分析して執筆された力作である。巻末の年表で月形に関わる人々と動向を見ていただくだけで、並みではない努力を読み取っていただけると思う。また、巻頭のカラー口絵で、関連文書や絵画、現代の遺構の写真などを紹介しているので併せてご覧いただきたい。
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『月形洗蔵』本当に近日発刊。

2021年02月05日 | 本について
◆新刊ですよ
 印刷製本段階で紆余曲折が生じたものの、それは白鳥の湖の水面下のお話。さきほど印刷会社から納品日の連絡があり、脳内にはチャイコフスキー第5交響曲第4楽章が響き渡る。納品されれば白雪姫アニメの歌を「配本~配本~♪」と歌いながらしばらくは段ボールにまみれる生活となる。

 自分の能力を最大限に使い、薩長連合の礎石となったものの、栄光なきまま死罪とされてしまった筑前勤皇党の月形洗蔵の伝記である。

◆「幕末プロジェクトX」、あるいは「栄光なき天才たち筑前編」
 例えれば、こんな話(?)である。もっとまっとうな解説は後日。
 F社(筑前福岡藩)中間管理職T(月形)は、あるとき犬猿の仲であったS社(薩摩藩、もともと社長はここの経営者一族の出身である)とC社(長州藩、響灘を挟んだお隣の会社で仲が良かった)を仲直りさせろ、という無茶なプロジェクトを社長(筑前藩主黒田長溥)から仰せつかり、社長を尊敬していたので、使命感を背負って奮闘努力して成功を収めた。その間にはC社内にもあった激しい派閥争い(俗論派と正義派)や、S社のカリスマ敏腕部長(西郷隆盛)などの話も当然絡む。ところが困難なプロジェクトを完遂したものの、それがやっぱり親会社(江戸幕府)の逆鱗に触れるのではないかとビビった社長に自分の属している派閥ごと首を切られてしまう。
 これが武士の世界なので、本当の斬首となるのだ。
 そのプロジェクト大成功については、その後、年金や勲章をもらったり、あの渋沢栄一や土方久元に褒めてもらったりして、子孫や縁者は罪人の係累の不名誉を味あわずにすんだ。
 だが、解雇(斬首)されるときTが叫んだ通り、F社はその後グダグダとなる。
 後からやってきたベンチャー企業の社長の話がビジネス小説として売れたため、そちらの方が有名になってしまい、真のレジェンドたるTの功績を知る人は多くない。

◆歴史人物のヴィジュアルについて
 なんで司馬遼太郎が『竜馬が行く』を書いたかというと、名前とヴィジュアルにかなりインスパイアされて構想が広がったのだと思う。薩長のために歩きまくった中岡慎太郎、彼の評価は山口でもっと高くていいと思っているのだけど『慎太郎が行く』ではいまいちだったのかな。
 今回、ご子孫の監修で月形洗蔵のヴィジュアルを用意した。これにインスパイアされて歴史小説となってくれればいいなと思っている。

 これは古写真ではなく初公開なので、フリードメインではないから、お取り扱いには注意を要します。

 それにしても、月形洗蔵、往年の時代劇映画のヒーロー、月形半平太(の月形は、この月形洗蔵の月形、半平太は土佐の武市半平太からとったのだそう)よりも、さらにキリっとしてカッコいい名前だと思う。
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