発行人日記

図書出版 のぶ工房の発行人の日々です。
本をつくる話、映画や博物館、美術館やコンサートの話など。

紀伊國屋書店福岡本店で『笑顔の認知症』3位!!!

2018年11月26日 | 本について

◆『笑顔の認知症』紀伊國屋書店福岡本店で3位

 なんと、博多駅のバスターミナルビルにある紀伊國屋書店福岡本店の週刊ベストセラーに!! 思わず写真撮っちゃいました。

 まあ、今度の参院選に出馬予定の方の組織や、百田尚樹氏に勝てるとは思ってませんけどね、でもうれしいな。でも

「前週は2位でしたよ」

「ええぇぇぇぇぇぇぇえええっつ?」

なんでその週たまたま本屋に行かなかったんだ、自分。

◆愛が進歩を生み出す

 本をつくることに関わると、本では触れていないこともあれこれ調べることになる。ある代表的な認知症薬を開発した人は、ご母堂に「お名前は? ◯◯さん? 私の息子も◯◯と言うんですよ」と言われたのが悲しくて、会社の反対を押し切って開発したという。スーパーでやってるテレビキャンペーンを横目に「愛に地球が救えるか?」と思ったりするひねくれ者の私であるが、愛が人類を救うこともありうる。要は正しい方向性を見いだすことである。


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笑顔の認知症

2018年11月11日 | 本について

◆新刊『笑顔の認知症』音成龍司著 

1400円+税 ISBN978-4-901346-64-1

本日発売

 

◆認知症は、他人事ではない。

 なにしろ高齢化社会がすでに来ているというのに、65歳の10人に1人、85歳を超えると3人に1人が認知症なのである。しかも30代後半から忍び寄って来ているというのだ。しかも少子化時代。夫婦の両親4人が健在ということになれば、ほとんどの人が親の認知症とつき合わざるを得ないことになる。自分たちが現役で働いていれば、当然かなりの負担になるし、定年退職していれば老老介護、そのうちに、配偶者の認知症問題も浮上してくる。そして本人も。

 だから対策。身近な人と自分自身のために、転ばぬ先の心構えである。久留米市で日々認知症の患者さんを診ている脳神経内科医、音成龍司氏は予防も治療も「笑顔が大事」と語る。

 この本では、まず、劇の脚本の形式で、ある家庭でのできごとが描かれる(これは久留米市で過去に上演され、おじいさん役を音成医師が演じた)

 その家庭ではおじいさんが認知症にかかり、お世話を主にしているお嫁さんと喧嘩が絶えない。ある日、オレオレ詐欺とおぼしき電話をおじいさんがとってしまう。おじいさんはお金を持って行こうとするが、財布が見つからず、お嫁さんが盗った(もの盗られ妄想)と大喧嘩となり怒って家を飛び出してしまうが、何のために外に出たかわからなくなり町をさまよう(徘徊)。さて、どうなるのか? この項目で私たちは認知症の患者さんとの対応方法を学ぶ。

 それから音成医師の診察室「もの忘れ外来」の様子がいくつかの物語として描かれる。認知症の物忘れとして注意が必要になるのはどの段階か。運転免許をどうする?(←これは映画「家族はつらいよ2」の主なテーマでしたね)受診したがらない人をどうやって医院に連れて行く? いろいろな問題と解決方法が出て来る。

 そして、予防方法についてかなりのページが割かれ、それから治療方法のところでは、医院で処方される薬などの説明がある。笑顔が大事。知ることで笑顔になれる。この本は、すでにやって来ている高齢化社会を私たちが生き抜く糧となってくれる。

 (直接申し込みは送料実費180円いただきます。



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呉と広島マンホール

2018年11月08日 | 旅行

◆大和のふるさと くれ

 駅で「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌が流れる呉のご当地マンホールは、やっぱり戦艦大和なのです。これは「大和ミュージアム」の前にあります。今回は隣の「てつのくじら館」を見学しました。ゆっくり来れたときは「大和ミュージアム」を見に行きたいと思っています。

 

◆ついでに広島市のカープ坊や

 

今年の日本シリーズは逃しましたが、カープ坊やはマンホールになってます。これは広島駅前でゲット。せっかくのふっくらほっぺが欠けています。たぶんマツダスタジアム周辺にはもっときれいなのがたくさんあるはず。カープ坊やは1975年に初登場です。ややレトロ風味の野球少年です。

 

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呉「てつのくじら館」で、機雷と潜水艦についてお勉強する

2018年11月01日 | 物見遊山

◆画像はクリックで拡大します

 広島から呉駅に向かって走る列車に乗る。約1時間で呉である。ホームにつくと対向車が来る。まもなく列車が到着します。危ないので下がってお待ちください。と、聞こえてくるのは、宮川泰作曲、宇宙戦艦ヤマトのテーマ曲だ。ここはかの超弩級戦艦大和の母港だった呉である。前回来たときは、隣駅の用件がほとんどだったため、呉駅周辺を急ぎ足だが歩くのは今回が初めてである。

 

◆「くじらかん」にまつわるエトセトラ

 とはいえ、呉駅周辺の空き時間は1時間しかなかった。そのあとの用が済んだら夕方で博物館は閉館している時間である。さて、どこに行こう?ということで、海上自衛隊呉史料館「てつのくじら館」である。駅近くのショッピングセンターの隣に、どどーんと大きな潜水艦。これぞ、鉄のくじらだ。

 くじら館といえば、古い山口ケンミンは、旧下関水族館にあったシロナガスクジラ型博物館「鯨館」を思い出すなあ。大きな鯨のおなかに入って行くと、鯨が何一つの無駄なく原料として利用され、食品に限らず、さまざまな工業製品となっている展示を見ることができた。数年前行ったときは、入場はできないものの、外構は元あった場所に展示されていた。なにしろ往年の捕鯨基地下関だ。あるいは大洋ホエールズ。古い方以外はご存知ないかもしれないが、現在横浜DeNAベイスターズの前身のまた前身。1950年から1952年まで下関球場が本拠地だったため、山口県にはいまだにベイスターズファンが多いし、優勝すれば下関大丸でセールがある。


◆きょうのことぱ「航路啓開」

 さて、呉「てつのくじら館」の展示は主に掃海と潜水艦。

 展示館の2階が機雷掃海関連である。掃海し、機雷を除去して安全に航行可能な海域にすることを「航路啓開」(こうろけいかい)と呼ぶ。聞き慣れないことばだわ。掃海ということばは湾岸戦争のときに有名になった。ペルシャ湾に自衛隊の掃海部隊が派遣されたと。掃海は海上自衛隊の大事な仕事なのだ。

 第二次大戦末期の米軍の「飢餓作戦」は機雷による日本の海上封鎖のことだった。夜、B29がやってきて機雷をたくさん撒いて行く。残存していた航路は多数の機雷で封鎖され、近海の海上輸送は、ほぼ不可能になってしまった。ことに瀬戸内海には多数の機雷が敷設された。神戸港大阪港も使えなくなる。触雷しようものなら水漬く屍となってしまう。沖縄戦が始まっても呉や宇品から救援に行けない。大陸からの食糧輸送は途絶え、国内石炭燃料の輸送も止まるので鉄道輸送もままならなくなり、日本は周知の通り飢餓状態となった。まさに兵糧攻めである。むろん海軍は掃海作業を行っていたが、とても追いつかなかった。

 そのうちに終戦となるのだが、海軍は所属を移しながら、そのまま掃海作業に専念することになる。日本海軍が防御用に敷設した機雷と米軍敷設の機雷を始末しないと船舶が輸送手段として使い物にならない。つまり復興はない。ただ、あらたな機雷が敷設されることはない。くまなく海底をスウィープしていく。急がないと、引揚船、復員船も触雷の危険がある。実際触雷沈没して多数の死者を出した船が出ていた。むろん命がけの作業。掃海艇もまた危険にさらされる。殉職者も昭和20年代で70名を超えた。

  そんな航路啓開作業のことが、機雷の実物とともに展示してあった。戦後仙崎港(山口県長門市。カマボコのフジミツの本社があるところ)に大陸から41万人も引揚げ上陸してきたのは、関門海峡周辺が機雷だらけで門司や下関が使えなかったからだ、と、聞いた事はあったが、町の人口よりもはるかに多い引揚者を受け入れ、さぞ大変だったと思う。日本海側に多数漂着した浮遊機雷も、仙崎にはあまり来ていない。なるほど。安全な港は、本っ当に少なかったんだ。やむを得なかったということだろうな。知らないことはいっぱいあるんだなあ。と思う。朝鮮戦争や湾岸戦争の掃海についても展示があった。

 

◆潜水艦にまつわるエトセトラ

 3階に上がると潜水艦の展示である。

 潜水艦といえば、80年代に大ヒットした漫画「沈黙の艦隊」ですね。潜望鏡など触れる展示もあって「この艦はシーバットではなく(しばしの間)やまとです(少し口角を上げる)」と「沈黙の艦隊」ごっこができる。あるいは映画「真夏のオリオン」(2009年)。日本軍最後の潜水艦。ついに残存する艦内の酸素はあと1時間分となる。「わが、イ77潜(もちろん架空艦)は、最後の反撃に出ます」。スマホ持って何言ってんのよ。あまりヒットしなかった映画だと記憶してるが、玉木宏演じる倉本艦長が、ほぼ丁寧語で話していたのが好もしい。あと「イエローサブマリン」ビートルズね。金沢明子の「イエローサブマリン音頭」ってのもあったな。80年代ゲルニカの「潜水艦」(「改造への躍動」より。太田蛍一作詞、上野耕路作曲、ボーカルは戸川純。このアルバムは結構好きだったな)では、海の狼、鋼鉄の鮫、鋼鉄の人魚。

 サブマリナー(潜水艦勤務)は、海上自衛官でも精鋭である。常々世の中で一番優秀な集団は職業宇宙飛行士だと私は思っているが、それに近い資質が必要なのだと思う。それにしても三段ベッドの一人あたりの空間の高さが50センチくらいというのは、慌てて起きると頭をぶつけそうだ。

 で、展示してある実際の引退潜水艦の艦内も見学できる。それが冒頭写真の潜水艦。グッズもたくさん売っている。呉に今度いつ来れるかわからないが、次回はもうすこしゆっくりみてみたいし、隣の大和ミュージアムにも行ってみたい。

 

 瀬戸内海の穏やかな海や、行き交う船や、牡蠣イカダが見え、呉線の電車の窓から見える海の景色は春に来たときと同じである。その反対側には山が迫っているところが多い。その山が大雨であちこち崩れて、夏の間しばらく呉線は全線不通になっていた。

 呉市から東側の路線(竹原を経由して三原まで)はまだ復旧してない。

 復旧済区間も、ときたまノロノロ運転となる。砂防ダムがいくつか砂防ダムとしての役割を果たしたものの、キャパシティを超えてしまったものもある模様だ。土嚢があちこちに積んである。呉ポートピアランドという市民公園は、堆積土置き場になっていて、高く土が盛られて閉園中である。多数の死者を出した七月豪雨の爪痕はまだ残っている。

 夜、広島駅に向かう途中、電車から見えるマツダスタジアムでは日本シリーズの最中だった。町のあちこちで「カープっカープっカープ広島っ♪」の歌が聞こえていた。

 

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