◆台風一過
よく眠れた。被害について正確なところは倉庫を確認に行かなければならないのだろうが。伊勢湾台風並みと報道されてビビったが、「これまで経験したことのない暴風大雨」でなかったのは、私が長生きしているせいなのかな? 鹿児島の被害状況を見れば大体どんなのが福岡にくるか見当がつくから、それをみてから窓ガラスに養生テープを貼った方がいいかもね。
◆さよなら夏の日
台風が去れば涼しくなるだろうな。この夏は、遊びにいくことが少なかった。遠方仕事が全部消えたからついでにあちこち物見遊山できなかった。毎年行くミュージカルもなかったし、町や駅に出ても、寄り道するようなイベントがまったくなかった。小倉に出ても祇園太鼓もやってない。
遠出は、嫌がるひとがいる。私が県境を越えて会食することについてどうこういう身内はいないが、母の通院する歯医者が、福岡から娘が帰省して、という話を引き出すなり「今日はやめて一週間後に来てね」ですと。
◆歩け歩け
1日1万メートル歩けて、翌日に疲れを引きずらず、また1万メートル歩けるのでなければ靴失格である、と断言してみる。幸いにしてメーカーとサイズを決めることができた。革のウオーキングシューズで、少々の雨なら平気で、いくらでも歩けるし走れる。いくつか揃えたので、あとはメンテナンスと、それでも履きつぶしたら補充するだけだ。デザイン違いで5足あり、うち1足は2足履きつぶした3足めで、もう1足は同デザインの色違いである。ハードな野辺送りも(多分)平気なフォーマル靴もある。欠点は、ややダサいこと。オシャレより、ダサくても歩きやすいを選択する。オバはんだもの……。
◆台風が近づく
地上の雨も風も大したことはない9月6日18時30分福岡市だが、上空の雲が高速で南西に流れている。今日の夕刻から台風がひどくなるという予想なのに、4日午後5時にスーパー店頭からパンが消えてた。4日から準備を、と広報していたからだろうけどちょっと違うような。
停電は憂鬱だけど、まだ昼間の方が長い時期なので、停電で暗くなったら寝ようと思う。水は2リットルペットボトルが12個あり、半分は車に載せる。気休めだが。重石である。
1991年19号りんご台風のときは、会社から帰るのがすでに危なく、急遽確保したビジネスホテルにタクシーで行った。コンビニで多少の食べ物は確保していたが、コンビニも店じまいの準備をしていた。ビジホ(まだ新しかった)で温かい定食を注文した。たぶんミックスフライかなにか。カリカリに揚がっていて美味しかった。すでに停電していて、ある意味雰囲気な照明だったが、私の次の次くらいのお客さんでオーダーが終わってしまった。普段であれば、周辺のお店でお酒つきのご飯の泊まり客が多いだろうけど、その日はどこもやっていない。部屋に戻っても、バスタブのお湯が途中で終了した。それでも温かいお湯に浸かることができたので良しとしよう。風がビュンビュン鳴り、揺れる建物(耐震構造って揺れる)の中で「恐怖の強風」と駄洒落をつぶやきながら、あまり眠れずに朝になった。
車は無事だった。
運転しての帰途、都市公園課自慢の街路樹があちこちで倒れて道を塞いでいた。信号機も停電で役に立っていない。それでも何とか帰宅した。自宅も無傷だったが、結構ながいこと、あちこちで屋根にブルーシートを被せた家を見かけた。瓦の算段がつかなかったと聞いた。
それより強烈な今回の台風ってどんなん?と、不安な夜は暮れていくのであった。