◆呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン
私にとっては、いつもと変わらない夏。単独行は電車となる。電車は空いていて静かである。県境を越えて家族に会いに行くと咎められることがあるらしい。勝手にさせてよ。あと何度、高齢の身内に会える夏があるというのだ。来いと言われれば行く。
ともかく電車が空いていて、新山口駅など、新幹線口のお土産売り場が丸ごとお休みで、その中に入っていないお店は営業していたから、まあ6割見当は休業していたように見えた。観光客も帰省客も少ない夏だったのだ。
身内の人々に会い、話し、合間に大乗仏教と末法思想について読書する(笑)といった、極めてお盆らしい過ごし方をした。
◆いろいろ解せぬ
安心安全など、誰も担保してはくれない。そんなものはない。これは私が20代のころに叩き込まれた思想だが、なぜコロナウィルスの一種に限って安心安全を厳密に要求するのだろう。ほかのすべてを犠牲にして。
近所のファストフード系飲食店は、新型コロナ感染者が出ただけで一週間くらい休業していた。食あたりが出ても、保健所はそれほど長い営業停止はしない。
今回の新型コロナについての社会の(過剰)反応を、武田邦彦氏は「テレビウイルス」、小林よしのり氏は「インフォデミック」と呼んでいるが、テレビをほとんど見ないので、ピンと来ない。
ただ、昨日ラジオのニュースで聞いて驚いたのは、自治体単位でのコロナ重症者のカウントの基準が統一されていないというのだ。2月3月の話ではなく、今のことで、同じ患者さんが隣の県では重症になったりならなかったりということだ。どちらかというとあまり心配していないタイプの人間が、そりゃないよと思うのだから、心配でたまらない人は怒っていいと思う。基準がバラバラなら統計を見て判断できないではないか。厚生労働省はなにをしているのか。行き当たりばったりではないか。
大事なのは、感染者累計から回復者累計を差し引いた数のはずで、でも、回復者の数が新規感染者の数より多い日もあるのに、それはニュースにはならない。もともと「感染者数」というのも症状が出てない人を含んでいるわけで、ワクチンもこれといった特効薬もないにもかかわらず、少なくとも日本においては1日に少ない日はゼロ。多い日でも20人亡くならない病気の健康保菌者をカウントしているのだ。その数字に一喜一憂して、業種によっては、とてつもない犠牲を払っているのだ。解せぬ。